理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

2 STAP細胞の件を、特許の視点からみると別の構図が見えてくる―再現実験と特許出願の精緻化を急ぐ必要

【2014年3月27日 午前 1:15投稿】

続き

●以上の一連の事実関係を踏まえれば、現在マスコミで報じられている内容は、全く十分なものではなく、このままいくと、国益にとって大損失になってしまう可能性があるのではないか?というのが、この記事で言いたい懸念です。
 
事実関係を踏まえての推論のポイントをまとめると次のようになります。
 
 2年前に特許出願をした以上は、その時点で、実験の積み重ねによって十分な実施可能性が確認されていたはずである。特許の明細書での基本要件は、実施可能性要件であるから、それが担保できなければ、特許にならないから、これは当然の話である。
 与えるストレスの方法、種類ごとに、請求項を立てているから、それぞれごとに実施可能性があることが担保されているはずである。これだけの数の請求項ごとの実施可能性を担保する実験等は、小保方氏一人でできるはずがないから、バカンティ教授らの米国の共同研究者らがともに行っているはずである。
 また、特許出願の書類等の記述、作成には極めて高い専門性を必要とするから、小保方氏ができるはずもなく、特許専門の弁護士がついて、研究チームの研究成果を踏まえた行われているはずである。
 
 もともと、東北大の出澤真里教授のチームによるMuse細胞の研究によって、細胞にストレスを与えることによって万能的細胞が生まれるという点は確認されていたわけであるから、今回のSTAP細胞の研究の核となる部分は正しいものであり、ストレスの与え方の様々な方法を具体的に研究した成果をまとめたものである可能性が高いのではないか。少なくとも、「捏造」である可能性はまず考えにくい。
 
 特許出願した以上は、それは一般に公開されるから、それをもとに論文発表を急がなければ、他の研究者がその特許出願内容を知って、学術論文を発表してしまうと、科学界での注目、評価がその者にいってしまう。このため、論文発表を任された小保方氏がまとめて発表したのは、2年前の特許出願した発明内容のうちの一つのストレスの与え方(弱酸性の溶液に浸す)に絞り(ただし、会見では管に通すとなお良いという趣旨の発言もしていた由)、その論文発表を急いだが、急ぐあまり(あるいは「研究者として未熟」なあまり)、科学界の研究倫理に反する極めて杜撰なコピペ、写真流用等を行ってしまったという構図の可能性がある。
バカンティ教授らが、論文のミス等は、研究成果からすれば枝葉であるかのような言い方をしていることも、このような構図を前提としてみれば、符号する。
 
 理研が改めて公表した手順書や、バカンティ教授らが最近公表した手順書が、小保方氏の論文と少し違っているということも、もともとの研究成果が、特許出願の74項目にもわたる請求項の包括的なものであるということを考えれば、多少の手順の違いがあったとしても、ストレスを与えることによって初期化され万能性を有するようになるという現象が確認できれば、研究成果の画期性には大きな影響は与えないということになる。
 バカンティ教授らが、「手順書どおりやれば容易に再現できる」として自信をみせていることも、そういう意識があるのであれば理解できる。
 
 他方、その特許出願については、国際特許出願(PCT出願)となっているので、出願から2年6カ月経過する今年の10月24日までに、各国の国内審査手続きに移行しないと、取り下げとなってしまう。また、包括的な第一請求項については、東北大出澤教授らの先行出願が存在する旨の指摘がある。このため、その先行出願との関係を整理した上で、実施可能性を担保するための実施手順等に不備があるのであれば、至急それを補完・修正の上、出願明細書等に急ぎ補正をかけて、特許として認められるための要件の充足に取り組む必要がある。
 

 以上が、全体の構図についての推論です。
こういう構図だとすれば、小保方氏がとりまとめた論文の内容のコピペ、写真流用等の疑惑のみをあれこれ論じ、挙句の果てに個人的スキャンダルを暴くような記事は、大きく「ずれている」ということになります。
あたかも、小保方論文が、STAP細胞についての唯一の研究成果、製作方法であるかのようなイメージをマスコミや世間は持っていないでしょうか? だから、理研やバカンティ教授らが事後に公表した実施手順が、小保方論文のそれと少し違うということで、研究全体を否定するようなところにいってしまうような気がします。
 
●次に、以上の推論を踏まえた私の考えです。
 
 本件に関する研究倫理、科学の作法の観点からの問題は、日本の科学界の信用、組織のガバナンスを揺るがすものであり、それは厳しく対処が必要ではありますが、それと、STAP細胞の再現性の有無の検証は切り離して、早急に行われるべきである。特許出願内容から見て、小保方論文に書かれていることは、おそらくSTAP細胞の包括的な研究成果の一部に過ぎないのであって、そのひとつの制作方法に関する論文上の記述、表現が、未熟さによって倫理を逸脱してしまったという可能性は捨てきれない(加えて、ES細胞が混入したという実験上のミスの可能性もある)。
 理研が追加発表した作成手順、バカンティ教授らが発表した作成手順に従って、理研自身と第三者機関への委託によって、その実現性の可否の検証を大至急進めるべきである。論文の撤回も、それを見極めてからでも遅くはないと思われる。理研では、研究チームの丹羽仁史プロジェクトリーダーが改めて再現実験に取り組んでいるとのことであるが、バカンティ教授グループとも連携させ、研究グループを強力に支援するとともに、第三者機関に委託費を出して、その検証をさせるなど、「本筋」部分の検証に全力を挙げるべきである。学会も研究倫理上の責任追及だけを言うのではなく、もしかすると日本の画期的研究成果かもしれないということを念頭において、その検証について全面協力すると言うべきではないのか? もともと、東北大出澤教授グループの発表によって、「遺伝子注入によらずしてストレス付加によって初期化して万能性を持たせることができる」という基本的研究成果は認められていたはずである。それに加えて多数の製作方法を含む特許出願がなされているのである。それであれば、今の時点で、STAP細胞ができた可能性を否定するのはおかしいではないか?
 
 これらの再現性の検証がうまく進まないと、今年の10月24日に期限を迎える特許出願が各国の国内移行手続きに入れず、各国への出願が取り下げとなってしまいかねない。本件特許出願に記された多数の請求項の一部でも認められるならば、「遺伝子注入によらずして初期化して万能性を持たせることができる」という従来の常識を覆す方法が認知され、日本の科学界にとっても大成果となり得る。しかし、それが、今回のような研究倫理上の責任追及とバッシング一色となることによって妨げられて無に帰するのであれば、それは逆に国家的大損失になってしまう。一部マスコミが言うような「営利追求によって陥った罠」などと矮小化される話ではない。
 
 理研幹部及び文科省は、そこまで視野に入れて対応しているかといえば、疑問である。そもそも、下村文科相の論文撤回の勧め発言は、異様に早かった感がある。研究上の優遇を与えられる「特定国立研究開発法人」の指定をにらんだトカゲの尻尾切りの思惑が全くなかったと言えるのか? 産業技術総合研究所との競争意識が全く無かったと言えるのか? 大臣が先走ってああいうことを言えば、理研理事長はそれに沿って対応せざるを得ない。文科省及び野依理事長以下の理研幹部は、小保方氏についての研究倫理上の検証、再発防止、責任追及については厳しく行なうべき旨と並行して、STAP細胞の研究自体は特許出願もされていることもあり、極めて重要な成果である可能性は現時点では捨てきれないので、その再現実験に全力を挙げるべき旨を強調すべきであった。野依理事長は、ノーベル化学賞を受賞した研究者である。それであれば、今回の研究成果の重要性については十二分に理解できるはずである。それを文科省の言動に単純に和してガバナンス、倫理の問題だけ延々釈明するのではなく、大局に立った発言をすべきではなかったのか?理事長を辞めても偉大な研究者ではあり続けるのだから、腹を括った対応をすべきであった。「特定国立研究開発法人」の創設という大役はすでに果たした。
 バカンティ教授らが属するハーバード大の対応とのこの大きな落差はいったい何なのか?
 
 もし今回、再現性の十分な検証が妨げられることによって、論文も撤回され、特許出願も取り下げに至った場合、例えば中国その他の国や研究者が、その隙を突いて、今回公表された論文やその再現の詳細な手順にヒントを得て、人海戦術によって、現在未公表の(=公知ではない)別途の支分的方法を見出して特許出願し、論文発表を行なったとしたら、日米チームの偉大な研究成果は他人に攫われることになる。それは、単に栄誉を逸するという話ではなく、研究の主導権を長期にわたり特許とともに奪われることを意味する。その可能性が無いと言えるのか? 言えるとしたらなぜ言えるのか? もしそのような事態が現出したら、その責任は誰がとるのか? 後世、「視野狭窄によって大魚を攫われた日本の科学界と行政」という汚名を着ることにならないのか? 
 
 若山教授の検証によって、ES細胞の混入・取り違え疑惑が改めて注目されている。しかし、それでは、ES細胞ではできないはずの胎盤の存在はどう説明されるのか? 実は胎盤ではなかったということか? 胎盤でなければそれは何なのか?
今回のSTAP細胞の研究は、米国ハーバード大のバカンティ教授のチームが主導して行い(その中に小保方氏も留学していた)、特許出願に至ったはずである。そのときに、そのような初歩的間違いがなされるとは考えにくいのではないか? 当然、胎盤の確認もし、増殖力の確認もしていたのではないのか? バカンティ教授の下で、どのようなマウス細胞を使うことによってSTAP細胞ができたのか、その後どう増殖したのか、その辺りの追跡検証がなぜマスコミは行なわないのか? 
また、特許出願の74にのぼる請求項ごとに対応した実験成果があるのか? その特許明細書の記載内容で本当に「実施可能性」があるのか? 「最良実施形態」はどれなのか? 先行先願技術である東北大出澤教授グループの包括的請求項に関する特許出願やその審査状況は現在どういうものか? 出澤教授のコメントはないのか? Muse細胞STAP細胞の差は何か? 各国の国内手続き移行期間は通常は1年8ヶ月だがきちんと2年6ヶ月まで延長手続きはとられているのか?誰が特許出願の責任者、担当者なのか? 等々の追跡取材をマスコミはなぜ行なわないのか? 
特許出願がされている事実を報じるのみで、それがあたかも営利追及のような批判めいたトーンで報じるだけのそのセンスの無さは何なのか?
より身近な点で言えば、理研研究室は証拠保全のために研究チームの出入りを禁じているというが、他方で丹羽リーダーが現在再現実験に取り組んでいると報じらられている。丹羽リーダーはどこで実験を行なっているのか? 目途が1年ともいうがなぜそんなに時間がかかるのか? 
 

 以上が、今時点で思うところです。週刊文春、新潮の両週刊誌は低レベルに過ぎます。佐村河内氏と同様のスキャンダルにしてしまっています。研究成果を生かすために上司との関係を良くさせようとすること自体、多かれ少なかれどういう組織であっても、普遍的に見られる話です。それを取り入るとかあげくには乱倫がどうとか、週刊文春芸能誌に堕したかのような近年の傾向の縮図のような記事でした。今週の週刊新潮にしても、小保方氏と上司の笠井氏を深夜の残業帰りにたびたび乗せたというタクシー運転手の「二人の沈黙の異様さ」という感想をとっかかりに、おどろおろどしい記事に仕立て上げているのは、馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。連日の深夜の残業帰りに誰が雑談になど興じるものですか。自宅が同じ方向なら乗り合わせて一台で帰るのは当たり前です。ほとんど誇大妄想のような記事でした。
 
 そういった低次元きわまる記事が続き、新聞も行政も科学界も、ワンパターンの研究倫理や組織ガバナンス上のバッシングに終始する中で、日経新聞の3月25日付け朝刊の科学技術欄の記事は、ほっとする良質な記事でした。STAP細胞の再現性実証のポイントが一般読者にもわかりやすく簡潔に書かれています。「研究者の関心は依然高い」と報じています。ただ、再現実験は中止したとするところが多いというのはやはり懸念があります。
 
 小保方氏は、STAP細胞の再現の可否に拘わらず、今回のことで研究者生命を失う公算は高いでしょうし、博士号取り消しも確実でしょう。論文のとりまとめには大失敗をし科学界の信用を揺るがすものにしてしまったわけですが、それでも、研究チームがSTAP細胞の包括的研究成果を生み出していたのであれば、そのチームの重要な一員として貢献したということは、特筆されてしかるべきではないのか、それがバランスの取れた公正な評価ではないのか、と感じます。もちろん、STAP細胞が実は存在しなかった、とんでもない勘違いだったということであれば、すべては終わりですが・・・。ともかく、現時点での速断は禁物です。
 STAP細胞の有無がどちらに転ぶにしても、小保方さんが科学界の歴史に残るであろうことは間違いありませんが、願わくば、今回の一件についてはきちんとけじめをつけた上で、研究者としての再起を期されることを期待したいものです。