理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

STAP細胞事件における文科省とその出向理事の関与と思惑について

 
 さて、文科省STAP細胞事件における関わりとその思惑についてまとめてみます。
  STAP細胞事件では、そのプレーヤーは、大きく分けて次の塊になると思います。
  
 理研CDB上層部(竹市、西川氏ら)
 理研CDBGD理研内研究者集団
 分子生物学会幹部らの理研外研究者集団
 若山氏や若山研の研究者
 理研本部の上層部
 事務方
 小保方氏
 笹井氏、丹羽氏
 ハーバード大の共著者の研究者
 ネイチャー
 マスコミ、科学評論家―特にNHK毎日新聞日経サイエンス
 
 これらのプレーヤーが、各局面で様々に入り組みながら推移しました。以下、文科省の思惑を中心に、局面ごとにみていきます。
 
■ 論文発表時
 ネイチャー論文発表時には、文科省理研ともに、これを間もなく提出が予定されている特定国立研究開発法人法案の成立に向けた弾みになるという思惑があったであろうことは確実でしょう。
 笹井氏を含め、CDBは、iPS細胞に対抗できるSTAP細胞により、その一層のステータス向上を狙ったと思われます。
 
■ 論文発表後~石井調査委報告まで
 発表直後の竹市氏への学会大物研究者連名による警告文から始まる一連の小保方氏捏造等のネットでの指摘等で混乱が大きくなり、下村文科相がいち早く大臣記者会見で論文の撤回した上でもう一度やり直すことを勧めたり、文科省ガイドラインやそれに基づく不正調査規程とは異なって、ごく短期間での不正調査とし、試料調査や再現実験を伴わないような「不正調査」として、早期に決着させようとしたのも、すべては、この「特定国立研究開発法人」の指定とそのための法案提出・成立のためでした。石井調査委の不正認定に対する異議申立ても、およそ本来の定義と異なる「捏造/改竄」認定により極めて強引に却下してしまいました。
特定~法による指定予定だったのは、理研だけでなく、産総研もありましたから、一人、理研文科省だけの問題ではありませんでしたし、なにより、野依理事長の悲願でもありました。それらの事情が異例の短期間での決着を急がせた最大の要因だったとみて間違いはないでしょう。文科省、野依理事長はじめとした理研上層部の利害は一致していたと思います。
 
ただ、この時点では、STAP細胞については、期待をかけていたことは間違いないでしょう。STAP細胞の有無を検証するための検証実験を4月から開始しましたが、3月下旬時点で、小保方氏が笹井氏の勧めによって辞表を提出する準備を広報としていたときに、理研本部の理事たちは、「そんな簡単に辞めるべきではない」としてこれを止めました。
検証実験へのアドバイス等を期待し、検証実験が成功すれば、それはそれで追い風になるという思惑があったと思われます。
 つまり、3~4月時点では、文科省理研としては、特定国立研究開発法人法案の提出の阻害要因とならないように、論文はいったん撤回させて(不正決定直後に論文撤回命令が発せられています)、不正調査も打ち切った上で、別途の検証実験によってSTAP細胞の有無について検証していくという「切り離し」の方針だったのでしょう。
 
 この間、理研本部は、理事を含めて、CDBでのSTAP細胞実験の実態をほとんど把握していませんでした。それは、石井調査委での不正決定後の懲戒委でのヒアリングの際、懲戒委のメンバー(理研の事務方)が、小保方氏が若山研のポスドクだったということを知らず、ユニットリーダーだったと誤解していてことを知り、懲戒の判断がつかなくなって懲戒処分を停止したことからわかります(『あの日』p180)。
 当然、文科省もこの実態を知らなかったわけです。
 
■自己点検委報告、改革委提言時
さてその後の推移ですが、実際はそういう文科省の思惑通りにはならなかったことは周知の通りです。レター論文も含めた調査を求める声は、学会の研究者やマスコミ等からも広く起こりましたし、CDBGDらの研究者たちが自己点検委を3月以降に立ち上げ、STAP問題を奇貨として、理研の組織運営のあり方にまで話を広げてしまいました。その実際の狙いは、CDB発足以来長期にわたって幹部として指揮をとっていた竹市氏、西川氏や、貢献度が大きかった笹井氏らの一掃と、分子生物学会らの外部研究者の意向が反映できるような運営の仕組み作りという政治的、奪権的なところにありました。
これについては、理研本部の上層部も文科省も預かり知らないところでの動きだったはずです。しかし、野依理事長の肝入りで立ち上げた改革委が、理研上層部の思惑と違った動きになってしまったのは誤算だったと思います。
改革委は、自己点検委報告書の内容を踏まえつつ、若山氏、遠藤氏といった、小保方氏、笹井氏、STAP細胞にアンチの理研内外の研究者たちの考えに則して検討をしており、レター論文を含めた再調査の実施の提言の方向で動いていました。こうなってくると、もう不正問題の調査の打ち切りはできなくなり、特定国立研究開発法人法案の提出は困難となりました。翌年の通常国会での提出を目指すという方針に切り替えざるを得なくなったわけです。
 
改革委提言は、その観点からは、CDBGDたちや学会関係者たちの思惑に沿うものでしたが(小保方氏の検証実験参加提言は彼らの思惑違いだったかもしれませんが)、しかし、すべての者にとって誤算だったのは、「CDBの解体」提言でしょう。
基本的に、岸委員長を始めとして大学の学者が中心あり、彼らは理研CDBに象徴されるような独法の異質な予算配分、運営システムに対して反感を持っていたと思われます。それが、「大学なら准教授に相当するようなユニットリーダーを安易な手続きで」云々という批判をし、CDB解体提言になってしまいました。自己点検委報告を主導して奪権を狙っていたCDBGDたちの思惑と大きく外れる提言となりました。奪権すべきCDBそのものが大きく縮小されてしまうのでは、何のために奪権を仕掛けてきたのかわからなくなります。これは、理研本部の上層部としても、文科省としても、全く想定外の展開だったことでしょう。
 
■小保方氏参加による検証実験時
小保方氏やSTAP細胞については、学会や理研の研究者らにおいては全否定的受け止め方がもっぱらでしたが、そうではない影響力がある関係者も根強く存在しました。弁護士の丸山和也氏は、参議院の文教科学委員長を務めていましたが、
「従来より検証実験と小保方氏への処分は別に扱い、国を挙げてのサポート体制を築いたうえでの検証実験をすべきと政府、文部科学省などに申し入れてきたが、そのことがようやく実を結んだ感がある。小保方氏のおかれた状況を十分配慮して、良好な実験環境を作る必要があり、願わくばSTAP細胞の存在が証明されることを祈る」
とし、文科省に対して、小保方氏参加による検証実験の実施を働き掛けてきたことを述べています。所管委員会の委員長ですから、文科省としても無視はできないはずです。そして、文科省としても、検証実験が成功してSTAP細胞が再現できれば、論文不正は一過性のものとして切り離すことができ、特定国立研究開発法人法案の提出に弾みをつけることができます。
 
しかし、その際には時期的な制約が当然あります。次の国会に間違いなく提出するためには、年内には決着させておく必要があります。このため、11月には、STAP細胞の再現の可否をはっきりさせ、再現できる見込みがあるのであれば継続して実験を行い、見込みがなければ打ち切って終結させるという、いわば「両睨み」のスタンスをとっていたことでしょう。再現実験の成否について、文科省は期待しつつもニュートラルだったと思います。
他方、学会やCDBGBらの内外の研究者は、STAP細胞があってもらっては何としても困るわけですから、小保方氏参加の検証実験の阻止には失敗したものの、検証実験環境を通常ではあり得ないような制約を付けました。そして、「STAP細胞再現」の定義が、キメラマウス作製成功というところに設定されていましたから、若山氏が不参加となれば、実験は「失敗」に終わる可能性は更に高めることができます。


彼らにとって幸か不幸か笹井氏の自死という衝撃的な事態が生じ、小保方氏の心身の状況が最悪になったことも「追い風」となりました。この実験環境が通常では考えられないような制約を付けるに至る内部での協議がどういうものだったのかがよくわかりません。総括責任者の相澤氏が、後に記者会見で小保方氏に謝罪したほどでしたが、その相澤氏であってもそのような異例の実験環境とすることを認めざるを得なかった事情というのは、どういうものだったのかを考えると、おそらく、改革委提言において、小保方氏を検証実験に参加させるように提言しつつも、監視の下で行うべきことを指摘していましたから、GDたちが、それを錦の御旗として、押し切ったということだろうと思います。
こうして、検証実験では、「再現」には至りませんでした。
 
■桂調査委報告書まで
ここからは、文科省がかなり主導していったことは想像できます。両睨みだったものを、「STAP細胞は再現できなかった」ということで決着させ、第二次不正調査委の調査を、小保方氏の責任とすることで、早急に終結させることが至上命令となったことでしょう。
第二次不正調査のほうも、当初から、小保方氏と笹井氏のみが実質的な対象とすることは、当初からのシナリオでした。それは自己点検委、改革委提言の枠組みでもありました。
 もしこれを、若山氏に研究室の主宰者としてメインに据えて、その責任にまで調査を広げていたら、収拾がつかなくなるという「懸念」がすべての関係者にあっただろうと想像されます。


 自己点検委報告とりまとめを主導したCDBGDらの研究者、外部の学会の研究者らにとってはもちろんのことですが、理研上層部にとっても、若山研での研究実態が明らかになることは、石井調査委以来の不正調査の枠組み自体が誤っていたことを認めることになりかねないとの大きな懸念があったものと思われます。
 これは、石井調査委での不正決定後の懲戒処分を停止した事情から推定できます。理研本部は懲戒委員会による小保方氏へのヒアリングの際に、初めて小保方氏が若山研で指導を受ける立場でのポスドクだったことを知ったわけです。それは、東大の加藤教授らの不正調査を念頭に置けばわかる通り、不正調査の枠組みそのものに関わる話です。要するに、石井調査委の調査の枠組みが間違っていた、ということです。しかし、もう調査は終わり、不正の最終決定まで手続きは全部終わってしまっています。今さら、調査の枠組み、前提が間違っていましたとも言えませんから、そのことはそっと横に置いて、第二次の桂調査委においても、その枠組みは維持しないといけないということが、理研本部(上層部)、CDB上層部にとっても(更には文科省にとっても)至上課題となったことでしょう。
 ここで、CDBGDらの研究者、外部の学会の研究者らの思惑と、理研上層部の思惑とは一致しましたわけです。この点だけを念頭におけば、文科省理研CDB上層部、調査委、CDBGDたちとの間で、暗々裡の「共同謀議」的合意があったものと言えると思います。
 
 その意味で、小保方氏が、若山研での実験の実態を示す証拠類を提出した際に、信頼できる人から全部削除されたということは、上記のような全体の流れからすれば、必然だったと思われます。その証拠類を採用してしまったが最後、調査の基本的枠組みが崩れ、桂調査委はもちろん、石井調査委まで含めて、調査の枠組みの再構築、若山氏の責任をメインに据えた調査のやり直しを余儀なくされかねません。
 ですから、小保方氏が信頼していた人であっても、まさに小保方氏が指摘する通り、「組織を守るという役割がその人の重要な仕事である」以上、おかしいと内心は思いつつも、全部削除としなければならない状況にあったということです。竹市氏が、5月時点で、自己点検委員会報告書の取りまとめにあたって、小保方氏からの同様の陳述の申し出があった時に、「今さら変更が増えると混乱が起きるのであきらめてほしい」(p181)として、これを抑止したのも、そういう背景があったのかもしれません。


 また、相澤氏が、検証実験結果の記者会見の終了直後に、「検証実験のやり方は科学ではない」として、小保方氏に謝罪した際に、後ほど取材に応じてもいいという趣旨のことを述べていましたが、結局それが実現していないのも、法案提出の環境作りに支障が生じるという理由によるものと思います。検証実験のやり方が科学的でないと当の総括責任者が言いだしたら、「それではやり直せ!」という声が出てくるのは必至ですから、理研上層部、CDB上層部が、文科省の思惑も踏まえながら、必死にこれを抑止したというのが実態だろうと想像されます。
 
 こうして、実態とはかけ離れた構図を前提として、関係者の思惑が一致して、桂調査委の結論もまとまりました。ただし、小保方氏が言う「仕組まれたES細胞混入ストーリー」についてまで、文科省理研上層部が積極的にコミットしたかと言えば、それは疑問です。それを想像させる材料はありません。それはあくまで、CDBGDたちや若山研の人々によって主導されたであろう話だろうと思います。
 
 本来であれば、検証実験結果や丹羽氏、笹井氏が公式の記者会見で述べたことも踏まえて、桂調査委のES細胞混入の結論は検討されるべきでしたが、それをやったら収拾がつかなくなるでしょうし、タイミング的にもぎりぎりとなっていましたから、ともかく、年内の決着を文科省からの至上命題として、大車輪で作業が進んだことでしょう。それで、1219日に検証実験結果発表、同26日に桂調査委結果発表(不正認定+ES細胞混入)ということで決着が図られました。
 あとは、それに基づく懲戒処分、モニタリング委による体制構築、運営改善のお墨付きというのが、法案提出のための環境整備の面では必須のイベントですが、それも2月までに済ませて、何とかギリギリ滑り込みか・・・?と思われました。しかし結局、2015年の国会には提出されず、翌2016年に提出して成立し、同年10月に指定されるに至りました。
 2015年の国会に提出されなかった理由はよくわかりません。
 
■まとめ
 こうやって見てくると、文科省は、特定国立研究開発法人法案の早期提出を至上命題として動いていた中で、理研本部の文科省出向のコンプライアンス担当理事は、おそらく、不正調査の枠組みが間違っていたことに懲戒検討段階で初めて気が付き、今さら枠組みを変えることもできないということで、それを覆すことにつながる小保方氏による実験実態の証言は封殺しなければならないという思惑はあったものと想像されます。


小保方氏は、独立したユニットリーダーだとばかり思っていたところ、実は若山研のポスドクだったことを知ったときには、相当焦ったものと思います。本来は、東大の加藤研の不正調査の枠組みで調査をしなければなりませんでした。これは、不正調査実施の責任者としての責任問題にも発展しかねない話です。独法を指揮監督する立場にある文科省の責任にもならないわけでもありません。それは何としても回避されなければなりません。
 そのために、既に設定されている構図(=小保方氏がすべて実験を行ったのであり、若山氏は支援的役割に留まる)を維持しなければならず、この点で、文科省文科省出向理事、理研本部、CDB上層部、CDBGDたち、若山氏と若山研の人々といった一連の関係者の利害が一致したと言えるでしょう。そして、小保方氏による若山研での研究実態の暴露は、これら関係者全体にとって、極めて都合が悪い材料として、一致して封印に向けて力が働いたということだと思われます。
 
 こうやって考えれば、ワトソンさんが言う文科省出向理事を中心とした「壮大な陰謀」「共同謀議」という言い方も、あながち間違いではないようが気もしてきます(ただし、「事務方幹部」が文科省出向理事だというのは間違い)。ただ、文科省とその出向理事は、「間違ってしまったことを今さら修正できない」という思惑と、「法案提出の環境整備のために早期収拾を図らなければならない」という思惑とによって動いていたのであり、「STAP細胞はES細胞の混入であった」という「仕組まれたストーリー」の企画演出には関与している材料はありませんし、そのような専門的なところに関与するのは無理でしょう。少なくとも、小保方氏参加による検証実験が開始された7月時点までは、STAP細胞の再現に向けて小保方氏に期待するところも少なからずあったものと思われます。


 以上のように、文科省やその出向理事の関与と思惑は、局面によってかなり異なっています。いずれにしても、特定国立研究開発法人法案の提出時期と重なってしまったがために、様々な無理を強いられるという不幸な事態に陥ったということは否めないところです。