理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

「事務方幹部」は「理事」ではあり得ないー文科省出向理事など更にあり得ない

 
 
 『婦人公論523日号の、小保方氏の日記の続きを読みました。
論文投稿費返還請求を受けたことをきっかけに、憤懣とストレスとが昂じていく様子がみてとれます。今までにない激情に駆られています。
 
 事実関係がどんどん歪められて、自分一人に帰責されていき、それが既成事実化されていくことへの憤懣が募っていっており、それが、後の『あの日』の執筆につながったということでしょう。
 
■それで、この返還請求を受けたことに関する憤懣の中身が、どう解釈されるのかは人それぞれだと思いますが、小保方氏自身が、『あの日』で書いている通りに受け止めればいいかと思っています。それは既に書いた通りです。
 

「国の研究機関である理研が、このような前例のない、意義のない決定をするとは思えない。ネイチャーへの投稿を決めたのはもちろん私ではないし、他の人の不正はわからなかっただけで、単独での支払いを強いることは、私を罰する姿勢を対外的にとることだけが目的であり、その姿勢を貫くことに憤りを覚えた。」
「それは値段の問題ではなく、社会に迎合する形で処分をとった理研の判断は間違っていると思ったし、支払うことも私一人での不正を認めたようになってしまう。絶対に払いたくないと考えていた。」(p241~)

 
 他方、ワトソンさんが、この日記の記述の解釈を、有志の会ブログのコメント欄でずっと書いておられます。私のブログのコメント欄でも少し書かれています。
 
「事務方幹部」に対する憤懣である、とのワトソンさんの解釈は、それはそれでひとつの受け止め方かもしれません。私は、全体の流れからしても、小保方氏の『あの日』に書かれた返還請求を受けた時の気持ちの記述からしても、そういう特定の者に対する憤懣ということではなく、上記に書いたように、「事実関係がどんどん歪められて、自分一人に帰責されていき、それが既成事実化されていくことへの憤懣」だと捉えています。その「事実関係が歪められていく」「自分一人に帰責されていく」と捉える中に、「事務方幹部」の一連の言動がそのひとつとして含まれていることも確かだと受け止めています(より正直にいえば、この『あの日』の記述からは、「事務方幹部」という特定者への怒りであるとは、どうやっても読み取れません。あとから書かれた『あの日』での心情についての記述をもとに、当時の日記の解釈をするというのが妥当な方法だと思います)。
ただ、ワトソンさんの当初の受け止め方を特段否定する話でもありませんし、日記の解釈について、小保方氏自身が『あの日』も含めて書いていること以上に、云々しても仕方がないと思って、静観していた次第です。「事実関係がどんどん歪められて、自分一人に帰責されていき、それが既成事実化されていくことへの憤懣」だということならば、既に広く共有されている話です。
 
 しかし、その後、ワトソンさんの解釈は日に日に広がり、それにつれて憤懣も募っていきました。遂に、


「事務方幹部」
文科省からの出向理事
=小保方氏による証拠の提出を阻止し小保方氏の信頼を裏切った者
=マスコミ・若山氏へのリーク元・・・
=「壮大な陰謀」の主


といったように、「壮大な陰謀」の主体的存在として、一人に集約されるところにまで、論が展開していきました。そして、次のように書かれています。
 
>理研の事務方の話になったら、蜘蛛の子を散らすように、誰もいなくなりましたね。誰も何も言わない。触れようともしない。捏造派も擁護派も。見猿、聞か猿、言わ猿。これは一体、何を意味するのでしょうかね?
 
 このコメントに関連しては、「太陽」さんが冷静に書かれていますが、私は、ワトソンさんの解釈には、事実誤認が多々含まれていると思っています。その事実誤認をもとに、文科省出向者が諸悪の根源(「壮大な陰謀」の主)であり、小保方氏がその出向者に体現される文科省に対して憤懣を募らせている・・・かのように思い込まれてしまうのは、3つの点で、極めて不幸なことだと感じています。
 
 第一は、ワトソンさんの科学的見地からの詳細な推論にそのエネルギーが費やされることが期待されているところ、それが無駄に消費されてしまっていると思われること。
 第二は、ワトソンさんの「文科省出向役員が諸悪の根源」論が、小保方氏の言う「仕組まれたストーリー」を演出、具体化し、小保方氏、笹井氏とSTAP細胞とをここまで追い込んだ者とその手口への関心を低下させる(目を逸らせさせる)効果をもたらしている感があること。
 第三は、ワトソンさんの攻撃的主張が、「擁護派」内で、無用の緊張、亀裂が生じさせていること。
 
 ですので、あまり気が進まないのですが、その不幸な事態からの脱却を念願して、少しだけ書いてみます。どうか冷静にご理解いただければと願っています。
 
■なお、『あの日』に出てくる「事務方幹部」は一人ではありません。複数です。たとえば、
 
p216 「事務方の幹部の一人が助言をくれることになった」(検証実験開始後のマスコミ対応についてのこと)
p221 「私は所長室に呼ばれていた。部屋の中には事務方の幹部らが集まり、対応に追われていた」(笹井氏自死直後の場面)
 
 ですから、その箇所での「事務方の幹部」が他の箇所のそれと同一人物かどうかはわかりません。すべて同じ人物であるとの前提で考えることは間違いかもしれませんが、ただ、どういう位置にいる人間を「事務方幹部」と小保方氏が呼んでいるかを把握する材料にはなります。


 
1 「事務方幹部」はあくまで事務方であって、理事ではあり得ない。
 
 『あの日』での「事務方幹部」への言及箇所を引用されていますが、小保方氏は、「事務方幹部」と「理事」とは、明確に使い分けています。その役割も明らかに異なっています。
 また、「理研本部」と「CDB」も使い分けています。
 理事は、役員(経営陣)として、和光の理研本部にいます。そして、理事が小保方氏に接する局面として『あの日』に描かれているのは、法律や理研規程上の法的手続き、権利義務に関する場面です。
 
 ①石井調査委による不正決定の通知と異議申立て可能との告知(理研所長室で川合理事:p163
 ②懲戒処分の停止、再調査の開始、検証実験への正式参加の意思確認(p213
 ③第二次調査委の設置についての説明(川合理事:p227
 
 これに対して、「事務方幹部」が登場するのは、もっと身近な局面です。


「我慢するんだ。ぐっと耐えろ」
「研究の状況を常識的に考えたら、理研が小保方さんにお金の返還を求めることは絶対にありえない」


 などというのは、まさに「事務方」がいうような話であり、経営陣として責任を負っている理事が軽々に言うはずがありません。
 
■もし、「事務方幹部」が理事だとすれば、次の場面は説明不能です。
 
【場面1】石井調査委による「捏造/改竄」決定の告知場面。「331日に事務方の幹部から電話で呼び出され、弁護士3名に付き添われ理研に向かった。・・・所長室には川合理事がいて、・・・最終報告が出ましたと説明を受けた。」(p163)とあります。構図からして、呼び出した「事務方幹部」は、理事ではないことは明らかです。
 
【場面2】「我慢するんだ」「ぐっと耐えろ」と言っている「事務方幹部」は、マスコミ対策で助言してくれるはずの人ですが、「我慢するんだ」というだけで、「理研に不利な報道がされそうになると、無断で私が依頼している弁護士に対応の助言を求め、電話していることもあった。」(p216)とあります。しかし理事がこのようなことをするわけがありません。せいぜい、総務部課長クラスの者です。しかも、その電話の様子を小保方氏が身近で把握しているわけですし、「毎朝、マスコミからの問い合わせを見せるたびに」我慢しろと言われたというのですから、CDBで小保方氏の近辺にいる人間です。理事は和光の本部にいます。
 
【場面3】笹井氏自死の直後の場面。「私は所長室に呼ばれていた。部屋の中には事務方の幹部らが集まり、対応に追われていた。・・・その後、他のGDも部屋に入ってきたが、「GDの出る幕なし」と言われて部屋から出されていた。」(p221
 理事は和光の本部にいますから、この「事務方幹部」はCDBの人間です。しかも、CDB所長の竹市氏は、高位ではあるけれども、あくまで「職員」であって、「理事」(役員)よりも下の地位です。職員の部屋に、理事が集まるなどありえません。理事がいたなら、そう書かれるはずです。
 
【場面4】笹井氏自死の数日後の相澤氏の来訪場面。「それから何日がたったのだろうか。滞在先に相澤先生と事務方の幹部が訪ねてきた。「まだ検証実験を続ける気があるか」と聞かれた。「やります」と返答をした。・・・・事務方の幹部は、「我慢するんだ」と元気に言い残し、帰っていった。」(p223
 台詞からして、「場面2」の「事務方幹部」と同じでしょう。検証実験の継続の意思の確認であれば、(検証実験参加の意思確認をしたのが理事だったので)理事が登場してもおかしくはないですが、それならば、「理事と相澤先生」と書くはずです。相澤氏も高位の者ですが、「職員」ですから、理事よりは下ですので、他の記述箇所の並びからすれば、「理事と相澤先生」と書かれるはずです。それにこの事務方幹部は、明らかにCDB勤務でしょう。
 
 以上により、「事務方幹部」はあくまで事務方であって、「理事」ではあり得ないということがご理解いただけると思います。
 
このことは、「事務方」という言葉からもわかります。これは、経営陣である「役員/理事」と対になる言葉です。「事務系幹部」という言葉なら、「研究系幹部」と対になるものとして、役員まで含めて「幹部」という呼び方はあり得ると思いますが、あくまで「事務方」ですから、文字通り、事務局の幹部であるCDBの総務部課長クラスの者と考えるのが自然だと思います。
実際、一研究員である小保方氏とのやり取りを、『あの日』や「日記」で描かれているような比較的身近に行う立場にあるのは、そういうクラスの者のはずです。
「大将」なる者が同一人だとすれば、その語感からしても、総務部長クラスの者かもしれません。【場面3】にあるように、笹井氏自死の緊急時に所長室で、GDを排除した上で諸々指揮をしたとすれば、それは総務部長クラスのような気がします。しかし他方で、上記の【場面2】で描かれているような、マスコミ対応の相談を無断で三木弁護士にするなどという小物振り?をみれば、課長クラスのようにも感じられます。CDBという立派な組織の総務部長クラスの人間がそんな軽薄なことをするとは考えにくいようにも思います。
 ただ、笹井氏が残した遺書の宛先のひとつが総務部長だったと、有志の会ブログだったかのコメント欄で見ましたが、そうであれば、総務部長クラスなのかもしれません。
いずれにしても、CDB所長らより下位にある総務部課長クラスの者であって、理事ではあり得ません。
 

2 「事務方幹部」は、文科省出向理事ではあり得ない。
 
 ワトソンさんは、「事務方幹部」=文科省出向理事と思い込んで、それをもとに、小保方氏のこの(「壮大な陰謀」の主である)「事務方幹部への怒り」に対して誰も関心を示さず、三猿を決め込むのは不可解でありおかしい!と言っておられると思います。しかし、そういう構図はおよそ考えられません。上記「1」で、理事であり得ないという説明をしましたが、ポイントを整理すると、
 
 ①理研の理事は、和光本部にいるのだから、CDBでの接触は物理的にできないこと。
 ②『あの日』の描写では、理事と事務方幹部とは明確に書き分けられていること。
 ③「事務方幹部」を理事と捉えると、『あの日』で書かれた数場面の説明がつかないこと。
 
 ましてや、文科省出向理事ではあり得ないわけですが、その点も補足しておきます。
理事で小保方氏と接点があるのは、主として川合理事です。川合理事は、石井調査委での不正認定と異議申立ての告知の場面と、桂調査委設置の説明の場面で登場します。
「懲戒処分の停止、再調査の開始、検証実験への正式参加の意思確認」を行った理事は、名前が書かれていませんが、川合理事であればそう書くでしょうから、もしかすると、コンプライアンス担当の文科省出向の理事だったかもしれません。
しかしその川合理事を飛び越えて、より上位で横断的立場にある文科省出身のコンプライアンス担当理事が、小保方氏の身近で、「我慢するんだ」「研究の状況からみて常識的には返還請求など考えられない」と囁くなど、構図として想像もできません。
上述のように、理事の登場場面は、法令や規程に基づく法的手続きや権利義務に関わるような局面です。その全体の統括をしているコンプライアンス担当理事が、調査対象者である小保方氏に対して、調査や当局としての措置の方向性に関わる個人的考えや憶測を囁くなどは、後から大問題になりかねませんから、あり得ません。
 
 以上の通りの理由で、「事務方幹部」は、理事ではあり得ず、文科省出向理事など更にあり得ないということです。したがって、文科省とその出向理事をトップとした「壮大な陰謀」「事務方の共同謀議」によって、小保方氏が追い込まれていったという構図もまた、あり得ません(文科省STAP細胞事件への関わり、スタンスについては、後ほど局面ごとに整理して書きます)。
 
ですから、「事務方幹部」が文科省出向理事であることを前提として、「同者に対する小保方氏の怒りをどう考えるのか?!なぜ黙りこくるのか?」という設問自体が意味をなさないと思います。
それに冒頭の方でも書きましたが、そもそも、『あの日』のp241に小保方氏自身が書いている怒りの記述を読んでも、「事務方幹部」に焦点を当てた怒りであると読み取ることはできません。
 そういう二重の意味での思い込みの上に立って論じておられるワトソンさんの怒りは、空回っているように見えます。まして、その怒りに同調しないことを非難されても困惑するばかりで、コメントしようがなく、大方の皆さんの受け止め方もそういうことだろうと想像しています。
 

3 マスコミにリークしたのは、「事務方幹部」ではあり得ない。
 
ワトソンさんは、マスコミにリークしたのも「事務方幹部」だと主張されていますが、「我慢するんだ」「ぐっと耐えろ」と言っていた「事務方幹部」は、マスコミ対策で助言してくれる者だったと、『あの日』にはあります(p216)。
 そして同じ箇所で、その「事務方幹部」は、「理研に不利な報道がされそうになると、無断で私が依頼している弁護士に対応の助言を求め、電話していることもあった。」とあります。これは小保方氏の目撃談ですから、本当にマスコミ対応をする立場の者なのでしょう。だとすれば、マスコミにリークする方と、リーク対応をする者とが同一人物とは考えられません。
 
 また、p182で、個人的な情報リークがひどいので「事務方幹部」に相談したら、「リーク者の目星はついていて注意はしているが効き目がなかった、正義のつもりだから困ったものだ、山梨大にいった情報はすべて毎日とNHKに流出する、若山氏には理研広報からも注意を呼びかけている」というような「他人事」のような対応をされたとありますが、ここでのリーク内容は、自己点検委の報告書の内容です。リークしているのは、そのメンバーのGBと考えるのが自然でしょう。
 それは、p174で、自己点検委員会の設立後、リーク情報によるメディアの取材が殺到した場面で、次のように書かれていることとも符号します。
 
「私のもとにはCDBの幹部(GD)か初期の頃から論文執筆に参加していた著者しか知らないはずの内容の問い合わせが相次いだ。」
CDBGDにマスコミにリークしている人がいるなんて信じたくはなかったが、三木弁護士と新聞記者さんの会話の中であるGDの名前が出た際、「明らかにそのGDから情報提供を受けているようだった」と聞き、強いショックを受けた。」
 
 三木弁護士の証言ですから、やはりリーク元はGDなのでしょう。
 
 論文撤回時のリークは、p192以下に書かれています。これは、若山氏が、CDB幹部(GDや山梨大の大日向氏ら著者ではない人々にCCが入った形で送られていることが背景にあり、「リークしてくれっていうお願いのメールみたいだね」と、理研の人が声を詰まらせたとあります。したがって、この局面でのリークも、CDBGDであることは確実でしょう。

 
4 小保方氏は、「事務方幹部」を信頼などしていない。
 
 ワトソンさんは、「事務方幹部」が、小保方氏の味方のようなふりをし、小保方氏もこの「事務方幹部」を信頼していたにも拘らず、その信頼を裏切ったかのようなニュアンスで書かれています。しかし、それも間違いだと思います。小保方氏は信頼など初めからしていないでしょう。
 「我慢するんだ」「ぐっと耐えろ」と言っている「事務方幹部」は、マスコミ対策で助言してくれることになった者です。p216のその記述箇所をみると、「「信頼し相談できる上司であったはずの人」から「我慢しろ」といわれるたびに~~~」とありますので、「小保方氏はこの「事務方幹部」を信頼していたのだ」と受け止める人もいるかもしれませんが、それは、「~~~はずの人」であって、「信頼し相談できる上司だった人」ではありません。
「マスコミ対応の助言をしてくれることになった」わけですから、「信頼して相談できる上司」であることが期待されたわけですが、しかし実態は、その箇所に書いてあるように、
「我慢するんだ」というだけで、事実の発信や反論を許さなかった代わりに理研に不利な報道がされそうになると、無断で私が依頼している弁護士に対応の助言を求め、電話していることもあった」と描かれています。明らかに、この「事務方幹部」に不信感を持っています。
 また、「3」でも書いたように、p182で、個人的な情報リークがひどいので「事務方幹部」に相談したら、「リーク者の目星はついていて注意はしているが効き目がなかった、正義のつもりだから困ったものだ、山梨大にいった情報はすべて毎日とNHKに流出する、若山氏には理研広報からも注意を呼びかけている」というような「他人事」のような対応をされたとあります。ここでも不信感を滲みだしています。
ですから、「信頼し相談できる上司であったはずの人」であって、実際にはそうではなかったということが書かれていることが、理解されると思います。


 
5 桂調査委員会で証拠提出をブロックしたのは「事務方幹部」ではない
 
 証拠提出をブロックした場面は、つぎのように書かれています。
 
「いざ調査委員会に、「これらの証拠を提出したい」と若山研での実験の実態を示す証拠をまとめた書類を見せると、助言という名の検閲が入り、公表されると理研にとって都合の悪い情報は、すべて削除された。組織を守るという役割もその方の重要な仕事であることは理解できた。しかしその方を信頼していただけに、この時に私が感じた孤独感は、計り知れないものがあった。この調査にも真実は届かない。私の言い分は信じてもらえない。こう思うと、調査委員会の聴取に応じることは恐怖でしかなかった。」p233
 
 この局面では、「事務方幹部」は、そもそも登場していません。上記のパラの前のパラで、「調査委員会との取次を担当してくれていた事務の人」に相談したところ、メール類などの証拠をみて、「若山さんが研究を主導していたのは明らか。調査はきっといい方向にいくはずです。」と言ってくれたとありますが、この「事務の人」は、調査委員会の事務局関係の人であって、CDBの総務関係のような、全体の事務方の部門の者ではないと思います。
 そして、証拠提出を実質的に拒否したのは、記述されている通り、調査委員会の人間そのものです。
 「その方を信頼していた」という記述と、「4」で書いたような「事務方幹部」の描写における「信頼し相談できる上司だったはずの人」という記述とが混同されて、同一人物であるかのような勘違いが生まれたものと思います。
 
6 まとめ
 
 以上により、「事務方幹部」についての事実誤認による勘違いを重ねた上で論じることが、いかに無益かということがご理解いただけると思います。
 単なる勘違いだけであれば、私も含めて誰にでもありますからいいのですが、ワトソンさんの今の激烈な主張の数週間に亘る展開は、STAP細胞事件での「仕組まれたES細胞混入ストーリー」を企画演出し、公式な各種委員会とマスコミへのリーク、ネット情報とを組み合わせて徹底的な印象操作を図ることによって、小保方氏、笹井氏及びSTAP細胞を否定しようとした人々とその手口への関心、真相追及の動きを著しく鈍らせ、目を逸らさせる効果をもたらしていると感じます。
 
 「官僚の天下りや出向者」に体現される文科省による「壮大な陰謀」なのだ!・・・と叫べば叫ぶほど、「仕組まれたES細胞混入ストーリー」に沿ってSTAP細胞事件を一貫して牽引してきた研究者たちの存在が希薄化されてしまいます。「壮大な陰謀」の主は、これらの「ES細胞混入ストーリーを仕組んだ」人々でしょう。
しかし、後から書きますが、文科省の関心は、あくまで特定国立研究開発法人法の成立・指定だけであって、STAP細胞の有無や小保方氏らのことについては二の次でしかありませんでした。特定国立研究開発法人法の成立に向けて、STAP細胞を援用材料にできるならする、できないなら早期に切り捨てる、いずれにしても、この問題を早期に決着させるという思惑に沿って動いていたことは、外形的にも明らかです。
 
 本当に、小保方氏らが邪魔だったのならば、20143月下旬時点で、小保方氏が笹井氏の勧めによって辞表を提出する準備を広報としていたときに、理研本部の理事たちが止めることはなかったことでしょう。p158には次のように書かれています。
 
「笹井先生の意見に同意し、反省と謝罪を込めた辞意コメントを広報と用意した。・・・ところが理研本部から「そんな簡単に辞めるべきではない」と理事たちから意見が出ているので、「再考しなさい」と話が二転三転した。」
 
この時点(3月)では、下村文科大臣が「論文を撤回しやり直したらどうか」といち早く会見で述べましたが、他方で4月からの検証実験開始方針を既に固めていたはずです。だからこそ、このように辞表提出を撤回させたわけであり、STAP細胞そのものや小保方氏らに対して否定的なスタンスはなかったと思います。
 
■そして、ワトソンさんは、「擁護派」の皆さんに対して、同調して怒りを示さないと言って指弾して、無用の緊張と亀裂とをもたらしています。
 文科省とその出向理事が諸悪の根源だ!壮大な陰謀を企んだ真の悪玉だ!といってくれて、同調しない「擁護派」の人々を指弾してくれるワトソンさんの論に対して、「仕組まれたES細胞混入ストーリー」に沿ってSTAP細胞事件を一貫して牽引してきた研究者たちは、やれやれこれで安心だ・・・とホッとしていることでしょう。それが目に見えるようです。
 和モガさん、DORAさん、Ooboeさん(とそのパートナーさん)らによって、真相解明につながる材料や証言、推論が出されてきて盛り上がりつつあるこのタイミングで、ワトソンさんが今のような生産的でない非難を続けておられるのは誠に残念です。このままでは、ワトソンさんの居場所がなくなりかねないという懸念もあります。
 
 科学的知見によって、熱くなって一直線に突き詰めていくワトソンさんの姿勢は頼もしくも思えますが、今回の日記の件ではそれが裏目に出ているように感じます。上記で縷々ご説明した内容を、どうか冷静にご理解いただいて、また従前のような活躍をしていただけることを祈念する次第です。