理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

『あの日』と「日記」とはセットで読まれることが期待されている


婦人公論で小保方氏の日記の連載は、『あの日』が広く読まれたことが契機だったわけです。日記は、その性格上、その時々の整理できない感情、心理等を書くことは当然あるわけで、誰かに読まれることを前提にして論理的に書いているわけでありません。実際、小保方氏は心身の不調の中で書いていることもあって、すぐには理解しがたい断片的なことも書かれていますし、本人にしかわからない備忘的な点も含まれていると思います。


しかしそれを敢えて公開したのは、事実関係や心情等を整理してまとめている『あの日』が読まれていることを前提にしたからでしょう。いわば、「承前」というものです。小保方氏としては、「『あの日』では比較的冷静に書いていますが、その時々では、私は実際にはこういう状況だったんです、こんな気持ちだったんです」ということを読者に日記によって理解してほしかったということだと思います。

したがって、論文投稿費用の返還請求を受けた際の気持ちは、小保方氏自身で当時を振り返って整理した『あの日』の記述でまず理解した上で、その時の瞬間的な生の感情はこうだったんだ・・・ということを日記によって知る、という流れになるはずです。

 

そしてその『あの日』には、「事務方幹部」にのみ焦点を当てた怒りは描かれていません。実際、その「事務方幹部」は、毎朝、外部からの取材状況を報告する身近な相手であり、小保方氏の弁護士に無断で相談してしまうような仕方のない人物です。信頼など当時からしていませんし、その人が、全体を仕切っているとは全く思ってもいません。理研CDBの上層部なり委員会等が決めた方針を忠実に遂行する、まさに「事務方」そのものです。


理研CDBの上層部、桂調査委員会といった全体を動かしている人々が、信頼できる人も含めて、若山研での研究実態を封印し、小保方氏一人に責めを負わせようとしていたことは、ひしひしと感じ取っていたわけですから、論文費用返還請求を受けた際の怒りも、そういうシナリオの下で組織としての意思決定を仕切っていた理研CDB全体の関係者全体に向けられていると受け止めるのが、自然の流れだと思います。

実際、日記の続きでは、


「原因は先日の理研の発表だと分かっているのに、消化出来ない。仲裁に入ってくれるはずの人から「世間から文句を言われない様にする為の苦肉の策」と言われ更に激昴。」


とあるように、そういう思惑で「苦肉の策」の意思決定をした理研に向けられています。自らが意思決定する立場ではなく、組織の意向を遂行するだけの「事務方幹部」がその意思決定したとは思ってもいないでしょう。

 

こうやって見て来れば、文字通りの「事務方」である「事務方幹部」に焦点を当てても詮無いことで、「小保方氏の衝撃はこれほどすさまじかったのだ」と実感する材料として受け止めればいいのだと思います。


私などは、理研刑事告発も選択肢として検討すると会見で述べたり、実際に石川氏に刑事告発された時の衝撃のほうが大きかったのではないか・・・と漠然と想像していたのですが、実際には告発の件はあまり深くは受け止めていないことが日記でわかり、ちょっと意外な感がありました。むしろ論文費用返還請求のほうが、これだけの心身の平衡を狂わしてしまうような衝撃をもたらしたことを知り、これも意外な感がありました。

 そういう『あの日』の記述だけではわからない、小保方氏のその時々の生の感情、心理が日記によって伺い知れるところに、この連載日記の意義、効用があると感じます。

 

 今後は、告発の受理、早稲田の論文指導の話に移っていくと思いますが、どういう状況だったのか、次回以降が待たれます