理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

7 理研・自己点検委への違和感、怪しさ(7)―疑問⑥ 牽強付会な秘密保持、採用経緯への非難.


疑問6:秘密保持の非難、小保方氏採用経緯の曲解等、牽強付会に過ぎる。
 
 「疑問6」については、以前、改革委提言で同様に述べている点に関し、本ブログでその空疎さ、理不尽さを指摘し、強く批判しました。
 
◎「3-1/3-2 理不尽極まりない理研改革委提言は破棄されるべきである―CDBの「構造的欠陥」の論拠の空疎さ、理不尽さ」
 
 この記事で詳細に述べましたので、問題はそれに尽きています。自己点検委報告書では、下記のように同じようなことを繰り返し書いていますが、述べたいことは、次の3行で要約できます。


①小保方氏の採用手続き、審査が十分なものではなかった
②秘密性を理由に公開セミナーを開かず、他の研究者との討論の機会を失わせた。
 ③笹井氏が小保方氏を囲い込んで、PI育成、メンタリングの点のみならず、進捗状
  況の共有面で問題があった。
 
 しかし、これらの点は、改革委提言の批判記事で詳しく書いたとおり、的外れに過ぎます。
 
【秘密保持の必要性を理解できるとしながら、敢えて問題視-背任行為を促すに等しい】
 秘密性を担保する必要があったのは、画期的研究であり、論文発表の新規性担保の問題だけでなく、仮出願後の本出願前であったために、他に洩らして公知技術となってしまうことを絶対避ける必要があったという至極当然の理由によるものです。公開セミナーなどで話してしまっては、論文及び特許出願の新規性喪失に直結し、特許に関しては知的財産としての価値が失われてしまうというリスクがあったことは、当然に想像できます。
この報告書で、「秘密性の高さを理由に公開セミナーをしないと決定した人事委員会の判断はそれなりに理解できる」としていますが、それが理解できているならば、それ以上問題とはなり得ないということでしょう。それなのに、とってつけたように、「多面的な批判を受ける機会を逃したことは否定できない。」などと指摘しているのは、笹井氏や理研上層部に向けた批判のための批判だということです。この報告書は、「知的財産を失わせる背任行為を敢えて行え」と言っているに等しいのです。
秘密性の必要性について理解しているならば、論文や特許との関係の懸念もクリアしつつ、情報シェアできる具体的方法を述べてみよ、ということです。できるわけがありません。
 
【山ほどある客観的材料を無視して、手続き面だけで批判-その批判自体も妥当性に疑問】
 小保方氏の採用経緯についても、批判のための批判でしかありません。推薦書が遅れた、過去の論文の調査を十分に行わなかった、第三者に意見を聞かなかった・・・等々、「客観的資料に基づいて当人の資質を慎重に検討することをしなかった。」と指摘しています。
しかし、時系列でみれば、
 
・テッシュ誌に小保方氏が筆頭著者である論文(博士論文の元となるもの)が掲載され、
・その応募の1年も前に、若山氏とともにSTAP細胞のキメラマウス化に成功し、
・その研究成果について、若山氏とともにネイチャー誌等に投稿をしており、
STAP(スフェア)細胞特許の仮出願も、理研東京女子医大、ハーバードの3者で行い(採用選考の半年近く前の20124月)
・その成果に基づく実験計画を、倫理審査会の場でプレゼンしたことにより、人事担当のGDの関心を呼び、
・採用選考時期には、本出願の準備を理研としても行っている最中であった。
 
等々、客員研究員として、これだけの客観的判断材料となる実績を示していたわけです。特許出願などは、理研自身が当事者となっているのですから、これほど客観的な判断材料が他にあるでしょうか?
にもかかわらず、「客観的資料に基づいて当人の資質を慎重に検討することをしなかった。」と批判するというのは、どういうことでしょうか? 
 小保方氏の手記でも、若山氏は、小保方氏の研究能力、手技を高く評価していたことが書かれています。
 
同じ時期に、他に4人のPIを選考し、採用していますが、どのような「客観的資料に基づいて当人の資質を慎重に検討」したのでしょうか?
上記の時系列で書いた小保方氏の実績以上に、客観的な材料というものとして、どういうものがあったのでしょうか? 推薦書があった、公開セミナーで話して皆からの多様な批判の機会を持った、過去の論文を確認した、それだけで、小保方氏の選考よりも優れていたということでしょうか?

 小保方氏は上記の様々な実績を示していたときは客員研究員だったわけですが、理研にとってはいわばインターンのようなものだったでしょう。インターンで実際に仕事をともにして資質を見極めた場合と、初めて応募してきた相手に、履歴書、論文、面接でのやりとりだけで判断する場合とを比べて、どちらがより確実で客観的な判断ができるかといえば、その答えは明らかでしょう。
 企業等への応募者でも、履歴書の内容がものすごく立派な人はたくさんいますが、その人が本当に適性があるかどうかとは、あまり相関がないということは、組織人であれば、誰もが実感しているところではないでしょうか? もちろんそこに、コネ入社的な採用手続きの不透明性、不公正性が入ってきてはいけません。だからこそ、その点は、小保方氏の手記にもあるように、西川氏は、「八百長は絶対にできないから」と念を押しているわけです。

●今、再度読み直してみると、ここでも巧妙な書き方がなされているのに気が付きます。
 
「小保方氏の場合は、重要な応募申請書が面接日前に個別に設定された締切日までに本人から研究推進部総務課(当時)へ提出されなかったこと、人事委員会が過去の論文等の調査を十分に行わなかったこと、秘密性を重視して第三者の意見を得ていなかったこと(推薦書はセンター長が理事長への推薦を内定した後に提出された)、若山研究室における客員研究員としての小保方氏の研究活動についても聴取すべきであったのに、これをしなかったこと・・・」
 
 「第三者の意見を得ていない=推薦書が内定前に届いていなかった」といいますが、これは確か、バカンティ教授によるものでしょう。バカンティ教授の下で研究を進め、理研と共同研究契約に基づき小保方氏が派遣されてきて、若山氏とともに研究をして論文を書き、理研も当事者の一人として特許出願を行っているという客観的材料がある中で、形式的にバカンティ教授の推薦状を揃えるなどどれだけの意味があるのでしょうか? そしてそれを「秘密性を重視して」という文言に結び付けることによって、極めて巧妙な印象操作がなされています。
 「秘密性の重視」ということと、バカンティ教授から推薦状を得るということとどういう関係があるのでしょうか? 全く関係ないでしょう。
 
 「若山氏からも聴取すべきだった」という指摘も同じことです。若山氏を共著者・発明者とする論文、特許出願という客観的材料があり、もともとが若山研から申請したヒト細胞を用いる実験計画の審査会でのプレゼンがCDB幹部の知るところになったのですから、形式的に聞くまでもないでしょう。形式的に改めて聴取しなかったことを以て、あたかも重大な瑕疵であるかのように記述するのもまた、巧妙な印象操作と言えます。
 
 また、「重要な応募申請書が面接日前に個別に設定された締切日までに本人から研究推進部総務課(当時)へ提出されなかった」とありますが、それは小保方氏のせいでしょうか? というか、それは本当でしょうか?
この採用面接に至る経過は、小保方氏の手記のp108110に書かれています。順番に整理すると、
 20121115日 西川副センター長から応募意志の照会のメール。
    1121日 応募意思と帰国日程(1210日)を西川氏に連絡。
    1210日 帰国し、面接日程等の採用審査過程についての詳細を、林GD
          ら知らされる。
         その後、「事前提出を求められていたリサーチプロポーザルを必死に
         書いた。」
   1221日 面接。採用決定。
 
 小保方氏は、日付を詳細に書いていますが、1210日に帰国して直ちにその日に採用審査過程の説明を受けてプロポーザルを書き、当然のことながら、21日の面接には間にあっています。これらの日付に対応して、点検委報告書が指摘する「応募申請書が面接日前に個別に設定された締切日までに、本人から提出されなかった」という点は、具体的に何月何日のことなのでしょうか? そして仮に「遅れた」としても、締切日は、「面接日前に個別に設定された」のであり、通常の入試等のように、一律に設定され、それを少しでも遅れたらアウト、という状況ではないのですから、何が問題なのでしょうか? 帰国可能な日との関係で、締切は弾力的に調整するのはあり得ることでしょう。
 そういう状況であるはずのところを、あたかも、小保方氏がいい加減で、締切を守らなかったかのような印象付けをし、理研当局側も不公正な対応をしたかのように読者に刷り込むのは、それこそ不公正というものです。
 
 
【ともかく何か問題を並べないと、シナリオが書けないという苦衷】
小保方氏とSTAP細胞の問題をテコにして、理研上層部を追い込み、「運営・ガバナンスの改革」という提言にまでもっていくためには、ともかく針小棒大でもいいから、あることないこと、問題材料として並べる、ということしか頭になかったのでしょう。締切までに書類が提出されなかった、推薦書が遅れた、若山氏から聴取しなかったなどという、本質とは全く関係ないようなことまで問題点としてカウントして、小保方氏及び理研上層部が不公正、不透明な対応をしたかのような印象付けをしています。
秘密にしたことは理解はできるとしながら、それでも多面的批判の機会を逃したとしてメインの問題として掲げるなどは、ともかく何か問題点を少しでも多く並べないとシナリオが書けない・・・という苦衷がにじみ出ている一節です。
運営体制の問題にまで持って行くために、自己点検委の面々は、問題点探しに必死な様子です。牽強付会でもなんでもいいから、ともかく数を揃えることに腐心したようです。



【参考】自己点検委員会報告書抜粋 
 
(2)STAP 論文問題を防止できなかったCDB の運営体制
今回のSTAP 論文問題には、以下に記述するCDB の運営体制の不備にも原因があった。
GD 会議は、STAP 研究を論文発表まで秘密とすることを容認した。その結果、人事委員会は、小保方氏をRUL として採用するに当たり、PI の候補者に対し通常実施しているCDB 内の公開セミナー及び関係研究者との討論の機会を省いた。また、CDB 内で通常行われている研究討論会等にも研究結果が提供されることはなく、多くの研究者による研究内容の評価の機会が失われた。

②センター長は、小保方氏の論文作成を指導する役割を笹井GD に任せたが、その後、笹井GD と他のGD 会議メンバーとの間で、進捗状況の詳細に関する情報共有がほとんどなされなかった。」
 
「3.小保方氏の研究ユニットリーダー採用
(2)小保方氏を採用した経緯及び採用後の問題点
①経験が浅く、優れた業績を確認できない研究者を抜擢する際には、それに見合うだけの慎重な調査と検討があってしかるべきであるにもかかわらず、小保方氏をRULとして採用する審査では、秘密性保持のため、英語による公開セミナーが省略され、人事委員会における日本語による非公開の面接セミナーと質疑応答のみを行うという例外的措置が採られた。秘密性の高さを理由に公開セミナーをしないと決定した人事委員会の判断はそれなりに理解できるが、これによって、多面的な批判を受ける機会を逃したことは否定できない。また、小保方氏の場合は、重要な応募申請書が面接日前に個別に設定された締切日までに本人から研究推進部総務課(当時)へ提出されなかったこと、人事委員会が過去の論文等の調査を十分に行わなかったこと、秘密性を重視して第三者の意見を得ていなかったこと(推薦書はセンター長が理事長への推薦を内定した後に提出された)、若山研究室における客員研究員としての小保方氏の研究活動についても聴取すべきであったのに、これをしなかったことなどから、客観的資料に基づいて当人の資質を慎重に検討することをしなかった。STAP 研究の成果がもたらすメリットや秘密の確保を強く意識したという側面もあり、人事委員会における手順が拙速であったといわざるを得ない。

②今回の検証によって、応募書類として提出された小保方氏の研究計画書の図の中でヒト細胞として示された図が、マウス細胞のみを用いているはずの学位論文の図と同一と思われるものが見つかった。この点は、CDB 自己点検チームが研究計画書を詳細に検討して初めて発見したことであり、人事委員会が採用審査当時に気づくことは難しかったと考えられる。

③小保方氏は、2013 3 1 日にRUL に着任してから2014 1 28 日の報道発表に至るまでの間、CDB 内で研究発表を行う機会がなかった。2013 10 月に行われた外部非公開のCDB リトリート(学問的な交流を深める研究合宿で、使用言語は英語)の際に小保方RUL にも恒例の「新たに採用されたPI の講演」が依頼されたが、実現しなかった。

④小保方RUL は着任後も、新研究室に移転するまでの8 か月間を主に笹井研究室のスペースで過ごすこととなり、人事管理、物品管理という必要事項の説明は笹井GD が取り仕切った。神戸事業所の人事課や経理課から小保方RUL に直接説明する機会が乏しく、PI 育成の観点から問題があった。

⑤若手PI 採用後のリスクは、センター長からメンターに指名された2 名のGD 又はPLによる研究指導で補っていた。しかし、今回小保方RUL のメンターとなった笹井GDが研究指導の枠を超えてSTAP 論文に直接関与するようになり、結果として幅広い科学的議論を行う機会を減じたことは、若手研究者の育成の観点からも大きな問題であった。メンターと指導的執筆者という役割の両立が困難な状況に陥った場合、それに対応する何らかの対策が講ぜられるべきであった。また、CDB のメンター制度は、シニア研究者の2 名体制であり、それが相互監視をも可能にするはずであった。本件では笹井GD と丹羽PL が指名されたが、実質的には笹井GD が専属的にこの任に当たり、結果的に複数の視点からのメンタリングが不十分になった。」