理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

2-4  「STAP細胞事件」における科学と法律―「反小保方無罪」的な空気の支配

【まとめ】
 
 以上のように、「STAP細胞問題」は、最初から今に至るまで、ことごとく法律的センスが欠如していることの連続でした。唯一、冷静に筋を通していた早稲田大の論文調査報告書でしたが、早大当局や先進理工学科によって放擲されてしまいました。
 研究者の皆さんの中には、「法律解釈など、弁護士によっていうことがバラバラだから、どういう主張だってできる」と、法律家を三百代言的に扱い、法律的思考を軽んずる向きもあります。法律家といっても千差万別ですから、いろいろな人がいるでしょうが、それは、博士といっても千差万別でいろいろな人がいるのと同じです。

 別に法律家でなくても、社会で相手のある仕事をしている社会人であれば、何か問題が生じた時に、どう対処するかといえば、まずは事実関係の確認と整理、その上での論点整理をし、その各論点ごとにルールに基づきどう評価、主張すべきかを考えると思います。もちろん、ルールだけで割り切れるものではなく、そこに利害関係(更には感情)が絡んでくることもしばしばでしょうから、その点での留意も必要になってくるでしょう。しかし、基本は事実関係の争いと論点に関する評価の争いがメインだと思います。それらについて、一貫性と整合性とがある主張を競い、相互に矛盾や弱点を指摘し、改めて主張を再検討して補強し・・・と、「理論武装」の繰り返しで、最後は決着に至るわけです。
 
 科学もそうなのではないのでしょうか? 仮説と仮説の争いで、どちらがより多くの現象、材料等を説明できるか、その説明の整合性を競いながら、科学的真実に近づいていくということだと思っていました。笹井氏が、「STAP細胞仮説」、その「反対仮説」としての「ES細胞混入仮説」というような言い方で、前者の優位性を述べていましたが、ごくしっくりくる発想でした。
しかし、その後、STAP細胞の証明のための再現・検証実験は不調に終わり、矛盾する材料もあって証明には至っていないことはそうなのかもしれませんが(それでも、丹羽氏によれば、論文の実験の時と同じ事象が観察され、ES細胞でもTS細胞でもない有意に発光する細胞が現出したということはあったわけですが)、「ES細胞混入仮説」の弱点である笹井氏や丹羽氏らの指摘を踏まえて、整合性ある説明なり実験結果なりを出そうという試みは見当たりませんでした。遠藤氏の提示する材料、胚葉体説等、断片的には出てきますが、全ての事象を整合的に説明できるものはないと思います。

 一見してあれだけES細胞説にとって明白な矛盾材料を提示されて、それでも知らん顔して、当たり前のように「あれはES細胞だ」と断言できるそのセンスが理解できません。胚葉体説にしても、ES細胞そのものでは説明できないと思っているから出てきた話でしょうし、では胚葉体で全部説明できるかといえばできないわけですよね?
 

 日本の科学技術の研究、開発の水準の高さは素晴らしいものがあることは周知の通りで、日本人として誇らしく思えるのですが、他方で、それとは真逆の思考停止、科学的解明姿勢の欠如、根拠なき非難・中傷の数々を眼前に見せつけられると、暗澹たる気分になってしまいます。STAP細胞事件でのこの反応の激烈さは異様です。野依理事長以外のノーベル賞学者までその批判には激しいものがありました。小保方氏に作法違反が少なからずあったために、仕方がない面もありますが、それを差し引いてもやはり異様です。
 このような科学者らしからぬ、冷静さからかけ離れた反応に加えて、上記に縷々述べたような法的思考の欠如と相俟って、科学界の異様さは際だってきています。
 
 小保方氏やSTAP細胞を否定する結論なら全く無批判で受け入れようとする思考停止的な典型例は、理研改革委の報告書に対する反応です。上記の問題点で指摘したように、「不正の有無を調査せよ」と提言しながら、他方で「前代未聞の不正」「世界三大不正」と先取りして決め付けるなど、どうやったら、こんな支離滅裂な代物が罷り通ることができるのでしょうか? 高校生でも論理構成が破綻していることは理解できます。しかも、ご丁寧なことに、日本学術会議までがこれをそのままコピーしたような遠藤氏、若山氏に対する讃辞を以て追認しました。高校生並みの国語読解力、冷静な批判能力が日本の科学者たちにはなかったということです。

それに、改革委が不正だという根拠は、遠藤氏、若山氏が提示している材料ですが、何の検証も受けていない、それこそ論文にもなっていない不確定な材料でした。少なくともその一部は間違っていたわけですし、桂調査委ではうやむやになってしまいました。
そして、研究不正は研究者個人の話であるにもかかわらず、CDBに対する世界的評価や数々の貢献は一顧だにせず、CDB解体提言までしています。こんな組織の責任を問う提言が罷り通るならば、研究者自身の首を絞めることになるにもかかわらず、海外の研究者から以外、全く批判がでませんでした。東大の研究不正への対応と比較し、ダブルスタンダードになることも、ネイチャー誌が初めて指摘したのではないでしょうか。
研究の世界では世界に伍するような高水準の研究レベルにあるにも拘わらず、ことSTAP細胞問題になると、冷静さや常識性が吹き飛んでしまうというのは、やはりそれ自体が「事件」です。

 
研究者の皆さんには、それぞれ「科学とはかくあるべし」という「あるべき論」があるのでしょう。そして、そこから大きく逸脱し、基本作法も身に付けていないように見える小保方氏に対する視線が厳しくなるというのは理解はできます。ただ、皆さんそれぞれに「あるべき論」があって、統一されているわけでもなく、石井、桂両不正委員会報告書、改革委提言、早稲田の論文調査委報告書、早稲田当局の措置など、ご自分の考えに合うところだけが頭に入ってきて、相容れないところは無視か全否定になっているように感じられます。

早稲田大の学位取消処分に関しては、それぞれ、論文執筆、構成、審査、学位授与の在り方、不正の意味合い、審査の外部委託の是非、再審査の在り方等に考え方があり、事実関係の認識も含めて千差万別、百家争鳴という状況です。これから新たに学位を与えると言う局面であれば、一から議論するのでもいいですし、議論が拠って立つ確たる基準がなくても、指導教官、審査員らの裁量によるところが大きいですから、いろいろな考え方がありうると思いますが、問題が、「学位取消」となると、話は変わってきます。
処理する基準となるルールとその解釈、処理する前提となる事実関係についてコンセンサスがないと、議論が収束することはないでしょう。「「学位取消」は重大な不利益処分であり、その取消はその場合の法的なルールに従って、慎重に判断する必要がある」という、ごく常識的なことが共有できなければ、それこそ「話にならない」わけです。
 
小保方氏については、「論文の基本も知らず、データの捏造をやったに違いない奴で、理研論文に続いて、あんな草稿を間違って提出するなど杜撰極まりないのだから、そんな奴に学位などとんでもない話だ。あの論文を消す必要があるのだから、取消は当然だ!」という漠然とした強い拒否感の下に、自分の「あるべき論」で主張を行い、事実認定もルールも放擲して、そういう方向、結論になるものであれば何でも無批判的に歓迎するという向きが多いように感じます。
中国の「愛国無罪」、韓国の「反日無罪」と同じく、「反小保方無罪」ということで、何を言っても、何をやっても許される、という状況です。それが一般の人々のレベルに留まっているならともかく、改革委だの学術会議だの、研究実績のある立派な研究者だのまでが「反小保方無罪」とばかりに、一緒に叫んでいるのですから、異様な光景です。
少なくとも、「研究不正」に関する議論については、自然科学の研究者といえども、基本的な「法律的リテラシー」を身につけていただくことが必須だと感じます(偉そうな言い方ですみません・・・)。