理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

2-2 「STAP細胞事件」における科学と法律


問題4:研究不正を、研究者の問題から、組織の問題に拡張させ、関係ない研究者に連帯責任を負わせたこと。
 研究不正の問題は、基本的には、その研究者だけの問題です。研究者は組織に属しているとはいっても、企業や官庁のように組織の指揮命令下に置かれるわけではなく、それぞれがその分野の科学コミュニティの一員として研究活動を行っています。ですから、その研究不正もその研究者自身の問題であって、組織の問題では本来ありません。この点は、ネイチャー誌記事でも、「一研究不正を以て、組織の責任を問うことは通常はない。」と指摘されています。実際、あれだけ大量の研究不正、信じられないような論文と経歴の捏造といった不祥事が続発した東大が、何か組織として責任を問われたかといえばそういうことはありません。
 それを、STAP細胞問題では、あたかも企業の不祥事と同じような感覚で、理研の理事、理事長の責任を問い、あげくにCDBという組織の解体まで主張したのですから、ダブルスタンダードも極まれりです。

 しかも、CDBがこれまで果たしてきた数々の役割、内外への貢献、海外も含めた高い評価などについては、全く実態把握をしようともせず、完全無視しています。ネイチャー誌でも、岸委員長の説に反駁して、海外からの高い評価は既に確立していることを述べています。地元というか関西地区でのCDBを核とした医療モデル都市的計画などについては、全く念頭にもなく、解体だけを目的として提言しているのです。
 組織を解体するということは、全く関係ない研究者の職を奪うことを意味します。つまり、関係のない者に連帯責任を負わせた構図です。まるで、北朝鮮のようで、「反革命分子」が出た一族、集落の住民が、根こそぎ強制収容所に入れられるのと変わりはありません。
 提言では、他の研究者の「雇用は維持し」としていますが、組織を解体して研究の場を奪っておいて、雇用だけは維持せよなど、他の研究者の立場を如何に軽んじているかということです。
 CDBの縮小、再編のよって影響を受けた理研の研究者たちは、小保方氏らを恨んでいるのでしょうが、恨むべきは、政治的思惑から理不尽な連帯責任を強いた改革委です。
  
問題5:不正調査等の対象者、組織からの意見聴取、聴聞等を行わなかったこと。
 どういう問題であっても、当事者からのヒアリング、意見聴取、聴聞は必須です。改革委は、竹市氏からは聴取したようですが、川合理事は後に、「何も意見聴取をしてもらえなかった」と不満を述べていました。
 実際、ネイチャー誌のインタビューで、「改革委は、真実をどうせ言わないからと決めつけて、当事者から話を聞こうとせずに、テレビの会見中継に拠って、憶測、推測だけで判断したと岸らは述べた。」と報じられています。デュー・プロセスの基本的センスが欠如しています。


 第一次の石井調査委員会も、被調査人の小保方氏から意見聴取をせずに、調査結果を確定させ公表しました。事情を聞く聴取と、不利益処分を行う場合の聴聞的意見聴取の区別をしなかったのは、基本的手続き違反でしょう。調査段階で小保方氏から聴取しても、小保方氏は委員会としての結論がどうなるのか、その時点ではもちろんわかりません。石井委員会は、調査報告書の結論を事前に小保方氏に示した上での聴聞的意見聴取という手続きを踏み、その聴取内容を吟味してから、報告書を確定させるというのが、不利益処分を行う場合の基本だと思います。別途、不服申立て手続きはありますが、それは事後の手続きであって、事前に踏むべき手続きを省略してはいけません。結論に変わりがないとしても、公正手続きとして要請されるステップです。
 ※ この点は、桂調査委員会では、峻別してそれぞれの聴取手続きを踏んでいることからも明らかです。
 
問題6:被調査者を調査者扱いし、その証言を全面的に信用し採用したこと。
 論文の不正調査なのですから、その論文の共著者が調査対象になるのは、当然です。ところが、まことに不思議なことに、若山氏は被調査者から調査者の一員扱いになってしまいました。「最初に撤回を呼びかけた良心的な学者」というイメージによるものでしょう、この基本的矛盾に、表だって異議を唱える人はいませんでした。
 そして、若山氏が「第三者機関」(実際は知り合い)に依頼した遺伝子分析結果をそのまま採用しました。若山氏も対象である調査である以上、小保方研究室に対して封鎖がなされたのであれば、同様に、理研から山梨大に移管された一連の関係試料についても、理研から山梨大に対して、封鎖・現状保存を要請するのが筋だったはずです。にもかかわらず、そのようなアクションを起こすこともなく、若山氏自身が「第三者機関」からの分析結果を自ら公表するに任せ、理研は自らが保有する試料のその「第三者機関」での分析結果も、若山氏と共同の作業であるかのようなトーンで、同時に公表する始末です。若山氏が保有する試料は、理研(の調査委)が預かり、分析に出すのが筋というものです。


 そして、その公表結果が、STAP論文撤回の「決め手」の一つになり、改革委も、遠藤氏とともに若山氏を、「勇気ある研究者」として褒めそやし、日本学術会議までが、同様の表現で二人を称えました。しかし、その分析に間違いがあったことが撤回後、改革委提言後に明らかになったことは周知の通りです。それでも、理研も桂調査委員会も、「若山研にはマウスは存在したが、小保方氏に渡したのはその系統のマウスではなかったことは間違いない」という若山氏の主張を疑うことはありませんでした。調査対象である以上、若山氏には「自分が不正を行ったわけではない」「自分が手交ミスなどしていない」としなければならない利害関係を持っていることはいうまでもありません。にもかかわらず、桂調査委員会は、過去の観察経過等に関する言動との整合を追及するわけでもなく、「自分の研究室にはこういうマウスはいなかった」という主張が覆っても、もう一つの「こういう系統のマウスを渡したことは間違いない」という主張は当然の前提として維持し、結論を出しました。その前提は報告書の根幹を支える点ですから、なおのこと、利害関係があるはずの被調査者の主張をそのまま採用することには、大きな疑問があります。
 被調査者にもかかわらず、矛盾を追及されるわけでもなく、むしろ調査協力者のような位置づけで、その主張が調査委で丸呑みされているのですから、不思議な話です。
 
問題7:現場保存が蔑ろにされ、調査資料が次々と流出したこと。
小保方氏への調査を開始したことに伴い、小保方研究室を封鎖し、現場保存しているのであれば、そこには調査関係者しか立ち入れないはずです。ところが、そこには理研の研究者たちが好き勝手に出入りし(鍵を交換したというのは、さすがに理研事務局によるものでしょうが)、あげくにNHKに写真付きで冷凍庫を開けた中味がリークされているのですから、驚きです。
 小保方氏に対しては証拠保全になるでしょうが、逆に小保方氏に批判的な研究者たちが出入り自由であれば、調査を攪乱することも可能になってきます。殺人事件の現場に、犯人に仕立て上げたい人間の血や体液がついたものを密かに置くことができるようなものです。
 そして、NHKその他のマスコミに流出したのは、調査資料でした。実験ノート、小保方氏と笹井氏の間のメールの写しなど、それらのことごとくが、NHKの手にわたったのでしょう。それらがNHKスペシャル等の人権侵害に繫がりました。また、自己点検委員会報告書を、公表前に毎日新聞の須田記者に閲覧させ、写真もとらせた事務局職員又は委員がいます。調査委員会の調査資料は厳重に保存される必要がありますが、ここまでのダダ漏れというのは守秘義務が完全に蔑ろにされているということです。
 マスコミの取材の自由との関係はありますが、守秘義務違反が免責されるのは、大きな公共的利益に資する場合であって、STAP細胞問題がそれに当たるわけではありませんし、調査委や点検委(の委員又は事務局)の側がむしろ積極的にリークして世論誘導するというのは、調査という権力的行為を行う者としての基本的職業倫理を欠くものです。
 
問題8:反証材料を無視し、ES細胞であることの立証実験もしなかったこと。
 この点は、さんざん指摘してきました。桂調査委は、「ES細胞の混入とほぼ断定」し、故意による混入可能性を強く示唆しました。そして、その断定に至る遺伝子分析結果等を論文にまとめ、ネイチャー誌に公表しました。
 ES細胞と断定せず、「論文には矛盾があり、STAP細胞の存在は証明されていない」という段階で、あるいは「ES細胞でも説明できる可能性がある」という程度に留まっていれば、問題はなかったと思います。しかし、その段階を超えて、「正体はES細胞だ」と断定したのであれば、そしてそれを論文にして公表したのであれば、あらゆる反証材料に耐えなければならなくなります。それは、科学としてもそうでしょう。
それを依然として「科学とはそういうものではない」と繰り返し、「STAP細胞の存在を証明するのが先だ」というワンパターンのトーチカから出てこないのいうのは、奇怪な話です。桂調査委は、STAP細胞の正体はES細胞だと断定したことを科学論文にして公表したのです。それであれば、論文内容がどのような反証材料に対してそれを覆す整合的説明ができなければなりません。STAP論文は著者にその真実性の証明を求める一方で、ES細胞混入断定論文については、その真実性の証明はしなくてもいいというのであれば、それはダブルスタンダードというものでしょう。


万歩譲って、科学ではそれは必要ないのだ、ということだったとしても、それが何らかの形で(名誉棄損、業務妨害、懲戒等の関係で)訴訟になったときには、反証材料に答えなければ、相手の主張が通ることになります。訴訟は当事者主義ですから、原告の主張、被告の主張、当裁判所の判断、という構成であり、相手に反論しなければ、それは相手の主張が認められることになってしまいます。「論文になっていなければ証拠の価値はない」などととぼけた応答は通用しようがありません。ですから、ES細胞では説明できない笹井氏、丹羽氏、かつての若山氏の指摘、ライブイメージング画像の現象等を、ES細胞混入の立場から全て整合的に説明できなければ負けてしまうでしょう。


そして、主張の補強、立証の一環として、再現実験というのもしばしば行われます。先日の長女放火殺人での再審無罪決定も、弁護側、検察側それぞれが自らの主張を裏付けるために、放火実験をしたわけです。痴漢裁判にしても、争いになったときには、この背の丈、この位置関係で、実際に行為に及ぶことができるか、ということを実験するわけです。
ところが、「正体はES細胞だ!」と断定的に主張する人々は、桂調査委員会を含めて、決して再現実験をしようとしません。ES細胞そのものなのか、浮遊細胞(胚葉体)なのか、自らがそうと信じる細胞を使って、あのライブイメージング画像に示された現象を再現し、丹羽氏、笹井氏らの指摘を論破すれば、事は決着するにもかかわらずです。一般の研究者は、「自分の研究費と時間を使ってまでやる気はない」「実験したからといって科学に貢献することにはならない」等々、やらない理屈を述べたてますが、少なくとも、桂調査委は、ES細胞だと断定し、故意の可能性が高いとまで言うのであれば、ES細胞による再現実験をして立証すべきでした。マスコミにしても、NHKなどは、東大等に委託して遺伝子分析をしたのですから、ES細胞で再現実験を委託すればよかったでしょうに。多くの研究者にとって、慣れ親しんだES細胞の操作などはお手のものでしょうから、再現など簡単でしょう。
早稲田の鎌田総長が述べたように、「不正というのであれば、そう指摘するほうが立証しなければならない」わけですから、「ES細胞による捏造だ!」と断定して、小保方氏を「捏造犯だ!」と名指しして攻撃するのであれば、然るべき立証をする責任を負っているということです。ところは、そこはもう空気の支配になっていて、みんなで渡れば怖くないとばかり、小保方氏へのバッシング、それも人格的中傷まで含めてみな平気でやるのですから、呆れた所業です。
このように、科学界とマスコミは、立証の責務を果たさないままに、小保方氏を捏造犯だと断罪して、バッシングを続けているのです。


                            続く