理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

【備忘】三木秀夫/室谷和彦両弁護士に対するインタビュー記事(文藝春秋2014年9月号所収)

 
 おそらく、記事の存在があまり知られていないのではないかと思いますが、文藝春秋の2014年9月号に、 三木秀夫/室谷和彦両弁護士に対するインタビュー記事があります。
 ジャーナリストの森健氏がインタビューしたものですが、同氏は、このインタビュー記事の前に収録されている、「小保方晴子3つの顔」という記事を書いています。小保方氏のミニ特集になっている形です。
 タイトルは、次のようになっています。インタビュアーの発言部分はカットし、質問趣旨を【 】内、( )内に記した上で、両弁護士の発言を収録しておきます。
 小保方氏は、心身疲弊しているなかでも、自分の専門の話になると別人のようにドーっと喋るといったことや、特許出願についてはその内容、ルールとも、ほとんど知らなかった(というか知らされていなかった)、といった点は興味深いところです。

 弁護士が初めての反論150
  聡明でウィットに富んだ人です
 
【弁護士就任経緯】
三木 三月中旬、小保方さんの周囲の人の紹介で、弁護団結成に至りました。困っていたのは、マスコミが家の前に張り付いて動けないことと、「理研の調査委が話を十分に聞いてくれない。何か言おうとしても『イエスかノーで答えなさい』と言われる」ということ。そこで、我々が対応することになったのです。
 
室谷 弁護団として抵研究不正に対する不服申し立てを、十日後の四月九日までに行わないといけない。ところが、彼女の自宅前は、大勢のマスコミに取り囲まれて外出できなくなっていた。節度ある自粛を求めてやや収まりましたが、ネイチャー発表直後からの心労と調査委の一方的態度の聞き取りによる精神的ダメージが重なって入院となりました。
そのため、打ち合わせの方法としては、私から「これはどういう形で反論しましょうか?」という質問をして、それに対するレポートをメールで送ってもらう。疑問点があったら、病院に話を聞きに行って確認するという作業の繰り返しでした。
 
【当時の小保方氏の様子】
室谷 そうですね。電話をかけても、「今日は体調がとても悪いから何もできません…。」という感じで。「いつどこで何があってどんな話をしましたか?」という事実関係を確認するような質問には、精神的ダメージから記憶をたぐりよせるのが非常にしんどそうな様子でした。
一方、一旦科学の自分の専門の話になると、途端に彼女は熱心に説明するのです。それまでとは別人のようにドーッと喋るので、一つ一つ「それはどういう意味ですか?」と確認していました。
 
三木 (四月九日の会見では)しっかりしていますよね。全ての質問を一旦、自分の頭に入れ、その上で冷静に答えていた。彼女には正しく実験を重ねてSTAP細胞を作ったという自信があるから、あの場を乗り切ったのだと思います。
 
三木 何か隠しているとは思わない。嘘をついているというイメージはありません。彼女も『縁に恵まれた」と言うように、いろんな人の助けを得ながら、真面目に研究を続けてきた。社会に役立つ研究をしたいという思いは本当だと思います。一方で、オシャレも好きで性格的には女の子らしいところもある。
 
三木 割烹着については「ほんまに着てたの?」と一遍、聞いたことがあるんです。「先生、何言ってるんですか!これは前から着ていました。先生までマスコミに踊らされて」と言われました。
 
三木 家族みんなで精神的に支えておられます。
 
三木 彼女はもともと明るい人です。周りの極めて身近な人たちからの評判を言うと、穏やか、しなやかで強い、努力家です。聡明でウィットに富んでいる。会って雑談している時は、面白いことを言いますよ(笑)。しかも、決して人を落とし入れるような言動はしません。
 
三木 (研究室で飼っていたカメについて)それ、僕もずっと気になっていてね。たぶん誰かに預けたんやと思います。
 
【不服申立却下以降】
室谷 (再調査却下以降の様々な疑義について)そうした疑義自体が偏見による不正確なものでした。一部マスコミから、頻繁に執拗な質問がされていましたが、一つ一つ正面切って反論や弁明をすることは、弁護団として無理でしたし、きりがないという状態でした。また、反論をしても、結局重要な点は無視されることが多かったので、無力感もありました。
 
室谷 小保方さんは心身共に憔悴して入院中ですし、大量に寄せてくる偏見に満ちた質問一つ一つ反論するのは無理でした。また、医師からも止められていました。
ただ、実験については、自分がやったことですから、絶対の自信を持っている。それなのに、データ処理の仕方が悪かったことを理由に、実験も握造だと批判されることには、悲しみを募らせていました。
 
室谷 (論文の暇疵について)当初から、それが適切か不適切かという結論は別にして、「こう貼り付けました」「画像を取り違えました」と認めています。
 
【論文撤回について】
三木 (アーティクル論文撤回に同意について)あの時は正直、戸惑いました。時系列で言うと、まず若山先生が追加論文(レター)を取り下げると強硬に言い出した。レターは若山先生も責任著者で貢献が大きかったですから、彼女も”若山先生がいいなら私は別に構わない“と撤回に同意したんです。ただ、アーティクルは絶対に撤回しないと言っていた。
 
室谷 共著者間でのやり取りが、うまくいっていないという印象を持っていました。その後や我々の知らない間にズルズルとアーティクルの撤回にまで話が進んで。
 
三木 笹井先生を通じて若山先生に同意書を預けたとかで、まだ公表される時期でもないのに早々と報道されてしまった。それでこちらも慌てました。私が「ニュース出ているけど、本当なの?」と聞くと、「はい、仕方がなかったのです」と。彼女は非常に悲しんでいました。
 
三木 (アーティクルの撤回が再現実験参加の条件だった?に対して)それは理研から正式に条件として言われていません。しかし、様々な所からアドバイスを受けたりしたようです。撤回に反対していたバカンティさんが彼女に「一遍取り下げて出直したほうがいい」ということを告げたようで、それが最後のプッシュとなったようです。
 
【採用経緯について】
三木 (異例とされた採用経緯について)その点は、僕も本人に尋ねました。若山先生が一三年四月から山梨大に移ることが決まっていたこともあり、彼女はその頃、身の振り方を考えていたんです。何もなかったら、ハーバードに戻っていたのではないでしょうか。
ところが、彼女の研究内容を重要視した理研が移籍を勧めてきました。採用に関する書類の〆切は過ぎていましたが、STAP細胞の実験を評価してくれた上で実験を継続できる環境まで用意してくれるという。小保方さんからすれば、言われるがまま動いていたわけです。推薦状は取り寄せに時間がかかるので、後で全て提出している。英語も堪能ですから、英語面接がなかったのは採用側の都合だったと思います。
 
【特許出願について】
三木 (論文について)本人は「とにかく時間がなく、バタバタした中で出すことになった」と言っていました。実際に論文を書いていた期間は一三年一月からの二カ月間だけです。
 
室谷 それ以上に急ぐ理由があったんです。それは、三月末で理研を去る若山先生に論文記載のデータをチェックしてもらわないといけない部分がたくさんあったということ。若山先生が山梨大に移ると、メールでやり取りしなきゃいけない。一方で一三年三月に補助的な特許を出願し、一三年四月にPCT(国際特許)出願がなされているのも事実。もっとも、小保方さん自身はこの辺りの事情をよく知らないのです。
 
室谷 例えば、PCT出願は最初の特許出願から一年以内に行う必要がある、といったルールも知らなかった。話を聞いても、“言われるがままに判子を押しましたという感じで。二百頁ほどになる公開特許公報のコピーを見せたら、「初めて見ました。確かにここは私が書いた部分ですが……」と。
 
三木 (STAP以外には無頓着ということか?に対して)そうですね。そういう意味でも、純粋なんです。
 
【サイエンスの査読の指摘について】
室谷 (サイエンスの査読の指摘について)そもそも今回のSTAP論文と、それ以前の三誌の論文は全く別物です。三誌は、若山先生の実験結果を中心にした論文でしたが、いずれも再投稿不許可という大変厳しい評価を受けた。小保方さんはこれはもうダメだと思って、一旦はこの論旨で論文を出すのをやめ、違う実験をやろうと検討していたところ、「STAP細胞の実験を続けるために理研に来ないか」と誘われたのです。直後に笹井先生と出会い、一三年一月中旬から「酸処理によって得られた幹細胞の性質」という新たな視点で論文をまとめ直すことになった。それが今回の論文です。
 
室谷 (ゲルの線について)まず、サイエンスの査読者からコメントを受けた画像と、ネイチャーに載せたゲルは異なるものです。この点で、誤解されていると思います。また、ネイチャー論文は、リジェクトされた論文とは主旨が違います。もし同じテーマで論文を出すのであれば、査読者のコメントを一生懸命読んだのかもしれませんが、そうではなかったから、査読者のコメントを精査しなかった。
 
室谷 (その説明は少し苦しいのでは?に対し)全然苦しくない。逆に査読者のコメントを知っていたら、当然画像に線を引いていたはずです。
 
三木 本来、画像に引くべき線を引いていなかったというだけです。あえて線を引かない動機があるかと言われたら何もない。つまり、この論文を別の結論に誘導しようという意図は全くなかったということです。実際、調査委の報告でも、動機については一切触れていない。動機が見当たらないからです。
 
【実験ノートについて】
三木 (ノートが杜撰との批判について)いや、実験ノートは公開していないんですよ。この点は明らかな誤報道です。彼女が描いたマウスの一絵と「陽性かくにん!」というメモがいつも出ますね。あれは理由補充書に引用として載せただけなんです。マスコミにも文句を言いましたが、訂正しようとはしません。
 
室谷 あの絵は私がスキャナーで取ったものですが、絵自体は名刺ほどの大きさで、実際はその横にいろんなデータが書かれている。
 
三木 (実験ノートが少なく科学的に追跡できないとの批判について)だから、みんなあのマウスを見て、データが書かれていないというイメージを持ってしまう。
 
室谷 二冊というのは、調査委に提出したものだけであって、他にもあります。また、科学的に追跡できないか否かは意見の相違と考えています。理由補充書において、追跡できることを説明したのですが、調査委に一方的に否定されたのです。追跡できるものと考えています。
 
室谷 (科学者からのノートの杜撰さの批判について)時代が違うという点もあると思います。昭和の時代はパソコンがないから、全部ノートに書いていた。写真もノートに貼り付けていた。今は、全ての研究者がそのようにしているわけではない。デジタルで持っていることも多い。ただ、デジタルデータで持っていると、それを整理しないとミスが生じやすくなる。データは膨大になりますから。データの整理が十分でなかった点は彼女自身も反省している点です。
 
【再現実験の開始について】
室谷 彼女にとっての一番のストレスは実験ができなかったことだと思います。逆に言えば、科学的なことに携わることは彼女の体調にとってすごくいいこと。実際、再現実験が始まってからは体調の悪い中、前向きにやり遂げなければとの意思を持って取り組んでいます。
 
室谷 (十一月末までという期限について)いえ、理研の計画書によれば、七つの段階を想定しています。十号月末までにやらないといけないのは、STAP細胞樹立の第一段階である「マウス組織でのOct4陽性細胞の出現」です。これがクリアできれば、「テラトーマ形成」「キメラ形成」という次の段階に進みます。科学者の方は「十一月までにキメラを作るのは無理だ」と言いますが、前提が間違っています。
 
室谷 (自信は)もちろんあります。
 
三木 今後に期待して下さい。