理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

早稲田大による小保方氏の学位剥奪問題の件


早稲田大による小保方氏の学位剥奪問題について、おさらい的にメモしておきます。
早稲田の第三者委員会では、詳細な調査(論文指導・審査教官らのヒアリングや、ハーバードでの現地調査も含めて)がなされ、その結果、小保方氏が、学位授与審査のための公聴会に出されたはず論文と、(初期段階の草稿を製本してしまったものではなく)これが本来のものとして事後に提出していた論文とがほぼ同じだとの事実認定がなされました。この事実認定は、早稲田大当局としても、否定するものではないでしょう。
 この事実認定の中核は、学位授与対象の論文の実質的審査は、本来の論文に基づいてなされており学位授与可と判断されているというところにあります。そして、その後の形式的審査・決定段階で、初期の草稿を誤って製本して提出してしまったために、双方に錯誤があったまま学位授与が決定されたことについて、どう扱うべきかということでした。
 その事実認定を前提として、間違って提出された初期の草稿で学位授与してしまったことについて、第三者委員会は「不正の方法に当たらない」として学位取消はできないとしたのに対して、大学当局は、「不正の方法に当たる」と(強引に)解釈しつつ、「論文訂正と論文指導」によって学位を維持するとの決定をした、という流れです。
 
■こういう流れからすれば、錯誤による瑕疵を治癒するための「論文訂正」がなされれば、学位は維持されると誰でも受け取ります。当時のマスコミもその方針発表当時は、そういった受け止め方だったかと思います。ところが、「論文指導」が始まってみると、一からの「論文再審査」になってしまった。しかも、小保方氏が述べるところによれば、論文指導の方針も定まらず、論文の再構成の話にもなり、(第三者委員会も困難であること認めたはずの)ハーバードにあるデータ提出を求められるなど、「論文訂正」の話はどこかにいってしまった、という経過でした。
 小保方氏にすれば、本来の学位授与審査の公聴会に提出した論文に、その公聴会の場で指摘された修正箇所を反映した「訂正」版の論文を再提出したことを以て、総長による決定で求められた中核的義務は果たした、ということでしょう。
 第三者委員会での事実認定に立った上で、「論文訂正」とあるのですから、その後に続く「論文指導」が、(「論文再構成」の上での)「論文再審査」を意味すると理解せよ、というほうが無理というものです。
 一連の経過を裏付ける大学側との間のメール類は、小保方氏の手元にあるでしょうから、総長決定内容と、大学側の「指導」内容との乖離は裏付けることができるでしょう。
 
■三木弁護士は訴訟を勧めたとありますが、訴訟となれば、次のような点が論点になるのではないかと思います。
 
(1)三者委員会による論文審査経過についての事実認定について、大学側は認めるのか否か。認めないとすれば、その根拠は何か?
(2)三者委員会が「不正の方法に当たらない」としたことに対して、大学側は「不正の方法に当たる」としたことの適否。
(3)総長決定における学位維持の条件とした、「論文訂正と論文指導」の趣旨は何だったのか?小保方氏側にはそれをどう伝え、同氏側はどう理解した上でこれに従うことにしたのか?
(4)総長決定の趣旨と、その後の大学側の「論文指導」の実態との間の乖離の有無。
 
■上記の各論点について、早稲田側が勝てる余地は皆無でしょう。
 そもそも、「不正の方法」というのは、故意によるものです。誤って初期の草稿を製本して提出してしまったということは、過失であることは、第三者委員会でも認定している通りですし、小保方氏側にも、わざわざ初期の草稿を故意に提出する動機などあり得ません。それでも「不正の方法」だと主張するのであれば、三木弁護士が言うように、その立証責任は早稲田側にあります。
 総長決定は、こういうおよそ法律の初歩的なところで破綻してしまっています。
 
■以前にも書きましたが、第三者委員会の事実認定を踏まえれば、この小保方氏への学位授与の問題の実質は、(最終稿の製本・提出ミスは大きいとはいえ)、形式的な錯誤があったという点に尽きます。
 実質的な論文審査は行われ、授与相当との判断もなされていたこと認定されているのですから、あとは、その錯誤による瑕疵をどう治癒するかというだけの話です。双方とも、授与相当のものとされた論文内容については一致しているのですから、それを訂正の形で再提出することで、内容的にも手続き的にも、瑕疵は治癒されたはずです。あとは、研究倫理に関する指導を受けて、早稲田大としても、授与した学位の対象を本来のものにすることにでき、小保方氏としても学位が維持できることとなって、一件落着にできたはずです。
 
■ところが、そうはならなかったのは、「捏造を働いたようなヤツに、早稲田の博士号を与えるなど、恥だ!」「ネイチャー論文でも捏造があったのだから、早稲田の学位論文でもあったに違いない!」という、いわば集団ヒステリーがあり、それに、文科省による「捏造研究者の学位が維持されるのは、日本の博士号の学位の権威からは耐えがたい」という思惑とが合致し、公正手続き(デュープロセス)の要請など忘却されて、剥奪に向けて突っ走ってしまった、ということでしょう。
 司法界に多数の有為な人材を輩出している早稲田大が、このような典型的な「空気の支配」に屈してしまったことは、本当に惜しまれるところです。
 
■ワンパターンで、「小保方氏は博士論文を公開せよ。いずれ公開すると言っていたではないか」と言い募る向きがありますが、今の時点でどう扱うかは、他の様々な諸状況とセットで考えられることだろう、ということは容易に想像できるところです。
 早稲田での学位復活を目指すのかどうか、という点がまず先に来る判断です。博士論文は、基本的には早稲田での研究指導に基づく学位論文ですから、その学位復活は目指さないというのであれば、公開する意味もありません。復活を目指して訴訟を提起するのであれば、おのずと博士論文は公開されることになります。そこはワンセットでの判断でしょう。
 そして、早稲田の学位復活を目指すのかどうかを判断する際には、今の状況下で、労力・時間・コスト・再バッシングのリスク等を念頭においても、なお復活を目指す意義があるのか?という点が検討されることでしょう。現時点では、その意義に乏しいと判断されてもおかしくはありません。


 今は、落ち着いた環境下で、心身の復調を最優先で考えつつ、STAP細胞の特許出願も大詰めを迎えつつありますから、その結果を見極めてからでも遅くはありません。これが認められれば、STAP細胞研究を巡る環境は大きく変わることでしょう。
ATP溶液での刺激によるOct4発現までを独占的に押さえることになりますから、一定の落ち着いた環境が生まれ、その中で、安定的なOct4発現には小保方氏の手技が期待されることになるでしょう。また、バカンティ氏と小島氏によるSTAP細胞による脊髄神経細胞修復という実施例も含んだ、多能性細胞としての特許出願も別途係属中です。双方の特許出願は密接な関係があり、もっともベースとなる、刺激によるOct4発現の安定的再現には、小保方氏が必要となります。

そういった状況の進展を踏まえて、研究者としてどういう道筋で歩んでいくかをじっくり考える中で、早稲田の学位問題も判断すればいいのではないかという気がします。
小保方氏とすれば、9年間に亘る早稲田大での研究生活の集大成が、博士論文だったわけですから、願わくば、名誉回復とともに、早稲田大の学位も復活を果たせれば・・・という気持ちが大きいのではないかと想像します。
小保方氏の応援団の立場からも(+昔からの早稲田ファンの一人としても)、できればそうあってほしいと思います。