理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

【番外編】現在の政治における混乱について


今回は、政治の季節なので、ちょっと番外です。

 STAP細胞事件においては、マスコミの役割放棄と、情報リーク者の拡声器と堕したことが、大きな問題の一つでした。
 マスコミは、「国民の知る権利に貢献する/代行する」ことを標榜しているわけですから、問題となるテーマについて、
 
①どういう論点があるのか?
   ②各論点ごとに、どういう材料があるのか?
   ③ダブルスタンダードではなく、シングルスタンダードで分析するとどうなるか?
 
ということを、まずは国民に提供することが、基本的役割のはずです。その上で、自らの社論を述べることは許されるとしても、これらの①②③の基本的役割をそもそも果たさないというのでは、マスコミとしての役割は放棄されてしまっています。
 ましてや、最近のマスコミは、自らが一種の政治勢力となり、その政治的考えを通すために、ダブルスタンダード、ブーメランを厭わず、意図的に情報操作をしていますから、もはや政治的集団と化してしまっています。
 政治報道において、論点の抽出と材料の提示をきちんとせず、情報操作を行うという点では、STAP報道と同根でしょう。
 
 今年に入ってからの一連の政治のドタバタをみても、それは際立ってきていますし、衆院解散前後からの、小池都知事希望の党をめぐる動きとその報じ方は、ほとんど理解不能です。
 以下、思いつくままに、疑問点を並べてみますが、それらの点について、マスコミはろくに追及するわけでもありません。新聞、テレビによって差はあり、ある程度報じているところもありますが、「希望の党は、政権選択のための最大の選択肢」となっているというわけですから、もっと各論点の抽出とそれぞれの材料が、ダブルスタンダードに陥ることなく追及されるべきではないのか、と強く感じます。
 
● なぜ、解散批判なのか?
 ―解散について、「この国際情勢が大変なときに、解散で国政に空白を作るな!」と批判するということは、今後も、安倍自民党政権で、激動下で国政を担えと主張しているに等しい。これまで、さんざんモリカケ問題その他で安倍政権に不信任を突き付けるに等しい糾弾をしてきたのだから、解散は大歓迎ではないのか? 実際、解散せよ!と要求していた議員もいる。自公政権絶対多数で推移する中で、政権奪取の絶好の機会をわざわざ与えてもらったようなものなのだから、感謝しこそすれ、批判する筋にはないはず。モリカケが依然として問題だというなら、政権奪取して、「徹底究明」すればいい。
 解散権濫用という議論など、今までの解散の際にしたことがあったか? 最高裁で判断が出て以降、そんな議論がなされたことはなかったはず。敗北必至と考えるからこその、今更のような解散権濫用批判に聞こえる。希望の党ができて、敗北とならない可能性が出てきた途端に、そういう議論はしなくなった。
 
      なぜ、都知事と国政党首の兼務が、利益相反に問われないのか?
 ―国と自治体とは、局面次第で、利益相反関係にある。東京等の大都市圏での税収を地方に再分配する構造はその典型。一極集中か地方分散か、議員定数と区割り問題もまた同様。東京都と国との利益相反性はもっとも高いはず。
 企業・法人にしろ、学術界にしろ、家族関係(親権者、後見人等)にしろ、利益相反問題は、コンプライアンスの主要要素のひとつ。
 「東京都知事の仕事は、片手間でできるほど容易なものではない」という次元の話とは別次元の重大な問題である。 
 
● 党首選出その他の意思決定に関する手続きはないのか?
  小池氏は永久党首で絶対的存在なのか? 一連の規約その他の党内運営に関するルールは、どういう形で意思決定されるのか? 勝利して政権を取れば、直ちに次々と意思決定していく必要があるのだから、既に整備されていなくては与党として責任がとれない。
都民ファーストと同じく、小池党首の意向が直ちに党の意思として決定され、実現される規約になっているのか? 参加者は、それで良しとしているのか?
 
● ブラックボックス批判、情報公開主張の小池氏が、なぜ、「私はAIだから」と言って、意思決定過程、前言との齟齬を説明しないことが問題視されないのか?
  ―ダブルスタンダードの典型。ほとんどブラックユーモアの感がある。豊洲移転後の築地再移転?方針について、「専門家が議論した末に意思決定したので、文書はない」というが、「専門家の議論」で、それらの根拠が示されていない中でそう言っても、説明にならない。自分が意思決定したのであれば、各種の論点ごとに判断根拠、対処方針をきちんと説明し、利害関係者に対して、その疑問点も含めて説明する必要と責任とがある。
 財源問題をどうするのか?築地の売却収入が宙に浮き、万葉倶楽部が撤退すれば、更に数十億円の借地料が宙に浮く。迷走の末の移転遅延に伴う補償金を、市場会計から出すことが認められるのか?(実際、裁判になった)
 
● 「政権」選択の選挙といいながら、なぜ総理候補を示さないのか?
  ―「安倍」政権を倒すと主張するのだから、選択肢としての首班候補を示して戦わなければ筋が通らない。時に「非自民」と言い、時に「非安倍」と言い、公明の山口代表がいいと言ったと思えば撤回し、自民との連立もあるような示唆もし、自民の野田、石破両氏には対抗馬を立てない。今度は無所属候補の擁立可能性にまで言及する。メッセージが全く一貫しない。
 
● なぜ、民進党の前原氏が、希望の党の小池氏と総理候補を協議するのか?
  ―総理候補を協議するのは、希望の党メンバーであって、民進党の前原氏ではない。希望の党内部で、小池氏が出ないというのなら、誰を首班にするのか、議論されている様子も見えないし、誰がどういうプロセスで決定するのかも見えない。小池氏が、「みんなと相談する」という「みんな」とは誰なのか? それは、どういう意思決定ルールに基づくものなのか?
 
● なぜ、安部総理を替えてはいけないと主張している中山成彬氏が公認されるのか?
  小池氏が出馬しないという以上、安部首班を積極的に支持することは党の方針と相容れるのか? しかも、中山氏は九州ブロックの比例上位である。これは、どういうメッセージであり、どう整合性がとれるのか?
 
● なぜ、民進党に交付された政治資金を、「分党」でもないのに、他党である希望の党から立つ「離党」者に寄付することが許されるのか? 民進党から一切資金は受けないとの希望の党の対外的コミットとどう両立し得るのか?
  法律に書かれていないことは、「法律上認められている」のではなく、「一般常識外のことは法律では一々書かない」ということ。民進党は存続するのに、「離党」していく議員に配るのは、背任的行為ではないのか?
 民進党から一切資金は受けないとの希望の党のコミットに明らかに反することに、同党はなぜ沈黙しているのか?
 
● なぜ、都政に専念するとして都民ファースト代表を辞めた小池氏が、国政政党を立ち上げ、しかも、2月時点で商標登録までしていた事実が明らかになりながら、その言行の矛盾が追及されないのか?
 ―都民ファーストの代表辞任の際の「都政に専念する」との表明が、事後的な情勢変化によって変更されたということではなく、既に2月時点から企図していたことが明らかになったということは、その表明がそもそも虚偽だったのではないかとの疑念がおのずと生まれる。
 
● なぜ、しがらみのない政治を強調しながら、連合に支援要請をするのか?できるのか?
 ―連合は、「しがらみ」の典型ではないのか? 「企業・団体献金の禁止」公約とどう両立するのか? 資金は受け容れないが、ポスター張りだ、選挙運動員だ、選挙事務所だといった無償支援の数々は求めるのか? 
 
● なぜ、核武装容認論者の小池氏を、民進党出身者が党首として戴けるのか? 
―党首だった蓮舫氏が主張した2030年と年限を区切った「脱原発」方針が見送りとなったのは、現実的な工程表の作成が難しいことや、電力労連等との関係に加えて、原発で処理ができないプルトニウムの存在によって、核武装の国際的疑念を招くとの論点をクリアできなかったことが大きな要因の一つだったはず。核武装を選択肢として容認する小池氏の下で、2030年と年限を区切るに当たっては、当時の民進党内の論議はどうクリアされたのか?もし自民党核武装容認論を述べたら認めないはずの民進党出身者は、なぜ小池氏であれば容認できるのか? 

●石破氏は、民進党等が批判する自衛隊国防軍化の主張、モリカケ問題での働きかけを受けたとの材料がある中で、なぜ民進党希望の党等は追及しないのか? 石破氏との連携を示唆する小池氏と相容れるのか?
小池氏と陰に陽にエールを送り合う石破氏は、自衛隊国防軍にして正面から交戦権を認めるとの憲法改正論者であるが、民進党出身者から見れば、安倍氏以上の危険な存在だとの評価にならないのか?
石破氏は、モリカケ問題においても、地方創成相時代に、獣医師会側から働きかけを受け、石破○原則を定め、これで新規参入ができなくなる旨が、当の獣医師会側の陳情メモに残り、HPで公表もされていた。新規参入に向けた働きかけを受けた、したとの確証が出てこない安倍総理を延々と指弾する一方で、当の獣医師会が反対の働きかけをした、受けたと材料がある点について、なぜ何も追及をしないのか?結局、安倍批判自体が目的のダブルスタンダードではないのか?
 
● 前原代表の「謀略」的行動が、なぜもっと批判されないのか?
 ―前原氏は、民進党出身の皆で安部政権を倒すために、希望の党に全員が行くことを前提として、同党への参加について議員総会で全会一致での了承を得たにも拘わらず、希望の党側から「選別」「リベラル排除」されたことに抗議するわけでもなく、「想定通りの展開」との見解を示した。ということであれば、議員総会での説得は、リベラル派排除のための「謀略」だったことになる(しかも、離党して公認申請するように、と言った)。しかも、希望の党から、立憲民主党の候補に刺客を立てられても抗議するわけでもない。
 リベラル派、共産党共闘派の存在のために、民進党の運営が立ち行かないという判断だったのであれば、「この際、別れよう。分党して、それぞれが活路を見出そう」と正面から表明し説得するのが、政治家としての矜持ではなかったのか? それが現実には難しいから、この際、騙してでも目的を成就させようという「苦渋の決断」だったということであれば、それが成就した暁には、責任をとって辞職するのが筋である。小池氏との交渉の詰めの極端な甘さと失敗からしても、責任問題のはずである。
 
● なぜ、公約、政策の各論の整合性が追及されないのか?
 ―アウフヘーベン、リアル、パラダイムシフト等々、横文字ばかりが抽象的文脈で多用される中で、政策、公約の具体的実現可能性、全体的整合性、これまでの主張との齟齬等々が、ろくに説明されることも、深く追及されることもないのはなぜなのか?
 突っ込まれても、横文字多用によって、話を逸らしてしまうすれ違い答弁を小池氏が繰り返しても、それ以上追及されないのは不可解。
 
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 小池氏が衆院選に立たなければ、選挙後の国政対応において、細野氏、若狭氏と、その後の結党メンバー、更には、多数を占めるであろう民進党からの合流組との間で確執が激化するのは見えている。政権がとれなかった場合、小池氏への期待とその効用とは間違いなく低下する。都民ファーストのように、絶対的存在としての小池氏の下での一切の党内議論封印など不可能。その後の展開は読めないが、混乱は必至。
それでも、民進党出身者にとっては、民進党で戦えば壊滅したかもしれない中で、政党ロンダリングによって延命できたとなれば、万々歳なのかも・・・。もしかすると、前原氏の民進党は、すでにリベラル派は立憲民主党に移っているし、選挙後に豊富な資金とともに、希望の党と合併して、民進党右派の生き残りを変則的な形ではあるが、果たす・・・ということなのかもしれない。
 
  公約で、原発ゼロ、待機児童ゼロ、花粉症ゼロ・・・等々を挙げているため、パロディーが作られているという話もあるが、そういう誘惑に駆られるのは事実。
 上記疑問をもとに列挙すると、透明性・予見可能性ゼロ、抵抗者ゼロ(対小池氏)、議論ゼロ、一貫性ゼロ、具体性ゼロ、政権の顔ゼロ、慮りゼロ、デリカシーゼロ・・・信義ゼロ・・・(「希望NO!党」?)