理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

理研による論文投稿料返還請求に関する小保方氏の苦悶のこと

 
 今回の小保方氏の日記の「17」を読むと、例の論文投稿料60万円の返還をするか否かで、精神状態が大きく揺れ動いている様子が描かれています。
 弁護士からの、「訴訟になって辛い思いをするのは小保方さんだけ。得るものはなにもなく、時間も労力も奪われれて疲弊するだけ」と言われ、弁護士も味方になってくれない、信じてくれないというショックと孤独に体が固まってしまう・・・。「理研は、小保方氏が支払わなければ告訴する(注:返還請求の民事の話だと思います)と言っている」、という話に、怒りと恐怖とが交差し、遂に支払ってしまい、悔しさと後悔に悶々とする・・・という状況だったとあります。
 あげくに、小保方氏をずっとフォローしてきてくれたきまぐれ先生にまで、「なぜ払った?裁判になるからというくだらない理由で、こんな支払いに応じるようなお前にもう二度と付き合う気はない」とのメールに、更に打ちのめされて、後悔と自己嫌悪の思いを一層深くした・・・というものです。
 
■ 読むのも辛い感はありますが、ただ、小保方氏も少々思いつめ過ぎのような気がします。
 
自分では全く納得できなくても、自らがこれ以上不利になるのを回避するために、とりあえず支払う、という例はざらにあります。
 税金の納付がその典型で、税務署の認定に全く同意できないけれど、抵抗していても平行線で、このまま払わなければ、延滞税、重加算税まで課せられることになってしまうという場合、とりあえず支払って、その後裁判で争って勝訴判決を得て、返還を受けるということは、よくある話です。
 支払ったからといって、税務署の判断を認めた、ということにはなりません。

 そういう争いがしばしば新聞の見出しになっていますし、かつてと比べれば、税務署敗訴のケースがだいぶ増えてきています。税務署は利子をつけて返してくれますから、裁判は大変だったにしても、格好の資産運用になった形です。たしかしばらく前までは、利子は以前のままの5%でしたから、何十億、何百億の課税額の利子相当額は、今時の超低金利の時代には考えられない金額だったはずです。


 もっとも世間の注目を集めたのが、石原都知事が行った銀行に対する外形標準課税=いわゆる「銀行税」でした。国に喧嘩を売る一環で、赤字であっても行政の恩恵は受けているのだから一定の負担はすべき、ということで、銀行だけをターゲットにして、実に年間1000億円もの新規税収を得たというものです。しかし、銀行業界は猛反発して訴訟となり、一審、二審とも都が敗訴し、最終的に最高裁で和解となって、2300億円強の返還を余儀なくされたというものです。東京都は完敗でした。
 
 小保方氏もそれと同じように、
 
「全く理不尽で到底納得はできないが、これ以上の自らへの圧迫を回避するための緊急避難として、とりあえず支払う。ただし、この返還要求は、実際の研究実態と全く異なる認定に立った桂調査委員会の調査結果に基づく不当なものであり、その虚構性がいずれ明らかになった暁には、本件返還請求がいかに理不尽なものだったかも同時に明らかなるであろう。その節には、理研に対して返還を求める前提で支払うものである。」
 
 というように考え方を整理し、それを対外的に明らかにすれば、「支払ったから、不正を認めたのだ。筋を曲げたのだ」ということには決してならない、ということが理解されれば、気持ちははるかに楽になったのではないかという気がします。
 
 弁護士(理研と交渉していたのは片山弁護士ですが、この場面では口調からみて三木弁護士のようです)の言っていることも、実質的にはおそらくそういうことなのですが、精神的修羅場の中では、そういう考え方の整理をする余裕はなかったのでしょう。
 
 理研の一連の報告書(自己点検委、石井調査委、改革委、桂調査委)がいずれも、小保方氏が幹細胞、キメラまで含めて主導して研究を行った(若山氏は側面支援に留まる)という「事実認定」をし、その中で、論文も撤回され、小保方氏に不正が認定された、という構図が公式に確定した中では、論文投稿料返還請求を自分だけに行うのは理不尽だと争っても、それを争うためには、その事実認定を全部覆さなければならないでしょうから、この時点では、それは実質的に困難というのは、弁護士としては、客観的には妥当な判断だったと思います。
 ただ、小保方氏に対して、
 
「課税の争いと同じで、支払ったから、不正を認めたのだということにはならないから、緊急避難として支払うこととする一方で(その旨も表明して)、研究実態についての桂調査委等の事実認定が誤っていることを、明らかにすることによって、この返還請求が不当であることを訴えていけばいいんじゃないだろうか」
 
 というような説得ができればよかったのだが・・・と、(当事者でないので気楽に言って申し訳ありませんが)感じます。
 
 実際、その後の小保方氏の『あの日』は、研究実態の真相や、論文撤回の経緯を明らかにしましたから、論文投稿料返還請求の理不尽さも、明らかにされたと言えます。


 そのダメ押しで、小保方氏の手元にある、一連のメール類、桂調査委に研究実態を証明するために提出しようとして握りつぶされた一連の資料を、手記の資料編として、是非とも出版してほしいところです。生のメールは、絶大なインパクトがあり、真相解明と小保方氏の名誉回復に直結することは確実です。
 講談社の『あの日』の編集者のベロニカさんには、小保方氏説得に努めていただきたいものです。
 
■ なお、以下は、日記を読んでのその他の雑感です。

(1)気まぐれ先生の怒り 
 気まぐれ先生が小保方氏が支払ったことを責めたについては、理研の中で、どういうポジションの方なのかよくわかりませんが、そういう確信を持っているなら、理研の内部で理研の請求の理不尽さを説いてくれればいいのにという気がしますが、それは諸状況からして難しかったということなのでしょう。
 訴訟で心身を消耗するのは、小保方氏なのですから、「くだらない理由」といって更に追い詰めるのは、いかがなものかと思います。
 ただ、気まぐれ先生は、その後の2017年の日記でも登場したと思いますから、別に実際に見捨てたわけではなく、引き続き、小保方氏の理解者としてあり続けたのだろうと思います。この時は、瞬間的に頭に血がのぼったということなのでしょう。
 
(2)7月2日掲載予定だった大手紙の記事
 なお、今回の日記の中では、例の72日付で出るはずだった大手新聞社の小保方氏擁護の記事がどうなったのか?(どうしてつぶれたのか?)という点に触れられていません。
 全くの想像ですが、630日に理研から中間監査、訴える云々の連絡が入ったタイミング的に見て、理研側が、中間監査をその時期に持ってきて告訴云々といって小保方氏を追い込み、同時に「小保方氏が返還請求に応じて、不正を認めることになっている。それでも小保方氏が正しいといって書くのか?」といった迫り方で、記事潰しにかかったのではないか?という気もしないでもありません。
 7月2日に一面トップぶち抜きの理研側を指弾する記事にする以上は、理研のコメントを取りに、6月末にはアプローチをしていたでしょうから、その時点で、記事掲載予定を察知したものと思われます。

 ここでいう監査というのは、監事による業務監査でしょうが、監査計画というのはもちろんあってそれに従って本部や各部署の運営等の適正さをチェックするということでしょう。

 しかしそれが、72日の記事の予定に重なるタイミングで、「中間監査」なるものがたまたま行われるというのは、偶然にしては出来過ぎていないか?という気もします。
 穿ち過ぎた見方なのかもしれませんが・・・・。