理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

小保方晴子日記の第12~14回を読んでーハーバードのメールボックス/某大手新聞社の幻の一面記事 等

  
 昨日発売の『婦人公論』8月22日号までの3号分の「小保方晴子日記」第12~14回を、改めてまとめて読んで見ました。 
 入院中の話なので、小保方氏にとって辛い場面がずっと続いていますが、しかしこれは、第11回の2017年5月2日付で書かれている通り、「一番つらい」という時期であり、当時の苦しみがそのまま体に蘇るものの、書くことによって、「絡みついた紐が一本一本解けていくような気がする」とありますし、書かなければ「がんじがらめのままにされたままだっただろう」とのことですから、回復のための過程ということかと思います。 
 
 それでいくつか気づきの点書いてみます。 

 第一ハーバード時代メールの件です。第13回の2015年5月27日付けの日記に、ハーバード大所属時期(=理研の若山研に客員研究員として勤務し、STAP細胞論文の実験を行っていた時期)の小保方氏のメールへのアクセスについての記述です。 
 この時期は、書かれている通り、「その頃のやり取りはハーバード大のメールアドレスで行っていた。重要な指示を受けたメールを証拠として提出することができなかった」わけですが、ハーバードの所属でなくなれば、そもそもアクセスできなくなっていると思っていたのですが、「本人がハーバード大まで出向かなければ許可できないと言われ続けたので諦めた」とあります。大学当局との交渉を手伝ってくれたのはハーバード大の日本人研究者とのことで、何度も掛け合ってもらったとあります。 
 小保方氏が言うには、理研のメールでさえここまで重要なメールが出てくるのだから、今からでもハーバード大のメールボックスを開きたい」とのことですから、心身が回復してきたのであれば、ハーバード大でのメールへのアクセスを改めて交渉するのではないかと、おのずと想像されます。ハーバードの拒否回答を裏返せば、本人が直接出向けば、アクセスできるということなのですから。 
 しばらく前に小保方氏が渡米していたらしいという情報がありましたが、もしかしてそのことと関係あるのでは?と連想した次第です。どこかで研究者生活を再開するにしても、小保方氏にとっては、まずはあのSTAP細胞実験・論文についての濡れ衣を晴らしたいという思いや、当時の実験経過をメールをもとに再度想起したいという気持ちがあるでしょうから、渡米してハーバードと交渉するのは自然の流れです。 
 
 これらのハーバード時代のメールが閲覧・入手できれば、『あの日』の第2弾で、それらを物的証拠として、更に詳しく実験の経過、若山氏や若山研の研究員らの関わりが明らかになることでしょう。 
 そう考えると日記の第11回の2017年5月2日付と5月10日付で、『あの日』の出版元である講談社の編集者の「ベロニカさん」が、会いに来てくれて、久しぶりの長話をしたとある記述が、やはり気になります。 
 
 第二点は某大手新聞社の幻の?「衝撃的な全国版の一面の」報道予定記事の件です。第14回の2015年6月4日付、6月5日付の日記には、次のようにあります。 
 
「某大手新聞社から、これまでの私に関する報道を覆すような内容の記事を7月2日に出す予定だという連絡があった。その記事が出れば、理研が請求している60万の支払いも、私だけに求められている博士論文の再審査もいかに不当であるか、社会は理解するだろうと伝えられた。 
 記事の内容は衝撃的で、全国版の一面を大幅に割いて掲載される予定。確実に嘘をついている関係者がいることと、その人の責任について記事にしたい。取材は独自に進めてきたもの。記事を事前に見せることはできないが、小保方さんにとっては必ず救いとなるものである。小保方さんを陰から攻撃していたその関係者からは、新聞社にも小保方さんを追い詰めるための情報提供がたくさんあった。その人は社会から責任を追及されるはず。後追いの対策なども、小保方さんに負担がかからないようによく考えます、とのこと。」 
「新聞社から、系列の出版社から手記を出版する提案とその章立ての仮案が来た。記事が出た後に本を出すことで、より説得力が増すと説明された。 」
 
 こういう記事は実際には出ませんでしたから、何らかの事情で没になったのでしょう。まだ日記が(2015年)7月1日まで至っておらず、次回(8月22日発行予定)に没になった事情が明らかにされるのかもしれません。 
 「某大手新聞社」がどこなのか?、一面をぶち抜くような「衝撃的な記事」とはどういう内容なのか?、大いに気になりますが、没になったのは、理研や学会を敵に回してしまうと、今後の様々な科学関係の取材に支障が出るという新聞社の思惑があったのだろうと想像されます。実際、『あの日』を出した講談社に対して、今後の取材拒否を呼び掛けていた研究者がいたと記憶しています。 
 「確実に嘘をついている関係者「小保方さんを陰から攻撃していたその関係者」は、誰なのか? 一人なのか複数なのか・・・? 「嘘」の具体的内容は? 
 新聞社はどこでしょう・・・?? 毎日、日経で当然ないでしょう。若山氏の「僕のマウスじゃない」会見の間違いを最初に報じた朝日新聞かな?とも思いましたが、「WEB論座」などでSTAP細胞は小保方氏に批判的な編集委員高橋真理子氏がいますから、ちょっと違うのかもしれません。そうすると、読売か産経ですが・・・。中央公論社など、それぞれ系列の出版社もありますし(それがどういう流れで講談社からの手記出版になったのかは興味あるところです)。 
 いずれにしても、その2015年7月のタイミングでは没になったものの、その取材結果と記事原稿とは残っているのでしょうから、何かきっかけがあれば、表に出る可能性もあるのではないかと思います。『あの日』の発刊で風向きが変わり、その後も世間の関心は維持されていますから、その続刊その他によって更に新たな真相が明らかになったりすれば、新聞社も後追いをするでしょう。その時に、この幻の記事と取材内容が活かされることでしょう。 
 
 第三は人間関係についての「割り切りに関してです。 
 小保方氏の日記を読むに付けあれだけのどん底から抜けだして、回復に向かうことができたのは、多くの人々支えられてこそ、ということをつくづく感じます。 
 逃避行や日常生活をなにくれとなく世話してくれる親友さんや、小保方氏の気分転換や今後のことを気にかけてくれる「きまぐれ先生」、退院と遠隔地への転居に際して賑やかな飲み会を開いて元気づけてくれた理研の有志たち、失業手当の心配をしてくれた事務方の職員、そして「お姉ちゃん」など、まったくの孤立無援ではなかったことが、小保方氏を彼岸に追いやらなった支えだったと思われます。もちろん、法律面から、BPO対応や諸々の対外対応を担った三木、片山両弁護士の存在も大きなものがあったであろうことは当然です。ハーバード大時代の連絡をくれる同僚やメールへのアクセスについて交渉してくれた日本人研究者、大学院で実験を教えてくれた先輩など、日記にはいろいろな人々が描かれています。その大学院の先輩は、「一番多く(氷から生身の人間に)解凍してくれた人の一人」と書かれています。 
 一連の事件後に付き合いが始まったであろう講談社の編集者の「ベロニカさん」や、婦人公論の横山編集長とのやりとりも、回復には貢献したものと思います。ベロニカさんは、寝食を忘れてのめり込むほどの5冊の書籍を提供くれたり、長時間話し込んだりという仲ですし、横山編集長は瀬戸内寂聴さんとの対談に導いた人でもあります。 
 
 他方、かなり辛辣とも思える描写をしているのが、主治医かと思います。小保方氏がどん底の不安定な精神状態にあったとしても、かなりの被害意識を隠していません。また、少々驚いたのが、2015年5月28日付けの日記で、「人生の最後にやり残したことの一つを終わらせたい。この人の役に立つなら少し頑張れるかな、と思った知り合いの人の仕事を長時間手伝った」際のやりとりで、「いろいろ聞かれて、誰かに真実を話しておくのも悪くないかもしれないと思って一生懸命話をした」ところ、「大変でしたね」と言われたので、「私も反省するところがあるので」と答えたのに対して、すかさず、「僕は、小保方さんがまったく悪くないと思っているわけではないので」と言い返されたことについての記述でした。 

「なぜ何も事情を知らないこの人に善悪の判定を下されているのか。・・・この人もその他大勢の人と同じように、私にはどんな酷いことを言ってもいいし、言われても当然だと思っている。・・・(先方からの御礼メールに対して)あなたは私が弱った姿を見せるほどの相手ではない、と心の中で返信。・・・」 

 『あの日』や日記でのこういった記述等からみて(というか、これらの記述を公開することからみて)、小保方氏は、相当精神的に強くなってきているように感じます。上記のような記述を明らかにすれば、その人との円満な人間関係の維持は難しいでしょうが、そうなっても別に構わないという割り切りが感じられます。