理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

小保方晴子日記を改めて通読して感じる「復活」の予感


 遅ればせながら、婦人公論の「小保方晴子日記10」を読みました。 

■ 論文投稿費返還請求後の心身の状態の悪化と、病院の精神科医の主治医の対応のまずさがメインではありますが、改めてではありますが、インパクトがあると思うのは、最後に書かれた次の一文だと思いました。 
 
「調査委員会の調査期間も開けなかったメールボックス。未読メールだけで1000件を超えている。心も頭も停止させ自分を機械にしてひたすら転送を繰り返した。証拠となる重要なメールがざくざく出てきて驚いている。これらを調査委員会に提出できていたら、今の状況は大きく変わっていただろう、と思った。」 (2015年5月18日付)
 
 読む人の立場によりますが、ぞくっ・・・とした人も多いのではないでしょうか。 
 前回記事でも書きましたが、小保方氏の保有するメール類を含む一連の証拠類は、理研の不正調査を含むSTAP細胞問題の基本的構図を覆すものです。だからこそ、「信頼していた方」も含めて、それを何としても封印しなければならなかったわけです。 

 『あの日』によって、小保方氏は記述の裏付けとなるメール類を保有しているだろう、ということが感じられたわけですが(だからこそ、若山氏や理研を含む関係者は沈黙を守らざるを得なかったということでしょう)、それが改めて、小保方氏の口から、「私の手元にはすべてのメールがある」ということが明言されたわけですから、小保方氏は、これまでのSTAP細胞問題に関する公式、非公式の構図を根底から崩壊させる強力な「爆弾」を持っていることがはっきりしたということです。 
 刑事裁判で言えば、「再審請求に値する新証拠」ということになるでしょう。 
 
■これまでの「小保方晴子日記」を、改めて最初から読みなおして見て感じたのですが、これは小保方氏の研究者としての「復活」の助走過程を述べようとしているのではないでしょうか・・・。 
  
 もともと、『あの日』が広く読まれたことが、この日記連載につながったわけではありますが、『あの日』発刊から間もない時点で、HPが開設され、博士論文の公開の延期に関して、他大学への編入可能性にも言及されていました。これによって、小保方氏が研究生活再開の意思があるのではないか?と感じさせるものがありました。 
 
 そして、先日の「yuri_anne003 」さんのお話もあり、そういう目で、日記を読み返してみると、不調の波がかなりある中ではあるものの、読書や料理に多大な興味を持つくらいにまで復調しつつある様子もここかしこに書かれつつ、次のような記述もありました。 
 
「英語の勉強だけではちょっと物足りないな、仕事がしたいな、と思った。」(2015年2月9日付。「日記」7) 
「仕事がしたい、仕事がしたい、と繰り返し強く思った。」(同2月14日付) 
「2か月間も何もせずに過ごしてわかったことは、ただ休むより勉強したり働いたりするほうが好きだということ。」(同2月24日付) 

「何か書いたり、勉強したり、とにかく机に向かいたいという意欲も湧いている。…英語の問題集を解き続けた。集中できたことにとても驚いている。」(2月27日付。「日記」8) 
「諦めようとするたびに、負けてはいけないのだ、まだ私にはすることが残っているのだ、と何かから言われ続けていて、私はまだ諦めることができないでいる。」(3月23日付。「日記」9) 
 
 もともと、連載の初回で、次の記載には、あれ? と感じるところがありました。時点としては、上記の日記の記述のずっと後になります。 
 
「金目鯛に包丁を入れた時の感触で突然沸き立つように頭が冴えた。何かを呼び覚まされたような感覚。魚を捌く以外の何かの感覚に似ていてのだと思うけれど、何に似ていたのか思い出せない。」(2016年11月10日付) 
 
■小保方氏の日記は、次のことを読者に伝えるつもりがあって、今の時点では、①の点まで、伝えつつあるということではないでしょうか。 

 ①STAP細胞研究の実態に関する事実を明らかにしたいこと。 
 ②研究再開に向けた意思があること。 
 
 2015年1月19日付の日記(「日記」4)では、気まぐれ先生との食事の中で、「私に来ている研究の仕事のオファーの話」という一文があります。 
 この時点では、渦中からまだまったく抜け切れていない時点ですから、考えることはできなかったとしても、その後、波はあるにしても、いろいろな意欲が湧くところまで回復はしてきていますから、それらのオファーを受ける検討も、どこかの時点で始めていたのではないか、という気がします。それが、今後、どこかで明らかにされるのかもしれません。次号は、最近の日記だそうですから、その点を感じさせるものがあればいいのですが・・・。 
 
■ 日記連載では、過去の日記と併せて、「最近の私」というものも載っていますが、そういう目でみると、意味深の内容のように感じます。深読みでしょうか?(笑) 
 
立春。紅葉の枝の先が膨らんでいた。寒い冬の間、あなたはただ休んでいたわけじゃなかったのね。」(2017年2月4日付。「日記」4) 
「数か月ぶりに訪れた大好きな場所は花が咲き乱れる別世界に変わっていた。私は冬の景色しか知らなかったけれど、同じ場所でも季節によってこんなに変わるのか、と驚き、人生もそうなのかもしれないと思った。」(2017年4月23日付。「日記」10) 

■言葉は悪いですが、こういうメッセージになっているのではないかと感じます。 

「私は、研究生活に戻りたいと思っている。でも、またこれまでのように邪魔されるのは困る。私はこれまでの若山研での研究実態を明らかにする証拠類を持っていて、そのつもりになればすべて公開できる。公開したら、若山先生も理研も皆がとても窮地に立つことになると思う。公開するかどうかは、皆さんの出方次第。だから、もう私の研究再開がきまっても決して邪魔しないでくださいね。」