理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

東大の研究不正の調査決定と、マスコミ、学会の役割について

「研究不正」とマスコミ、科学コミュニティの関わりについて書いてみたいと思います。
 
 「研究不正」については、告発等に基づき、予備調査において調査する必要があると認めれば、本調査に移行して不正調査委員会を発足させ、慎重に調査の上、一定期間内に結論を得る、ということになりますが、その際、文科省ガイドラインと組織の内部規程に基づき、定められた判断基準と調査プロセスに即して実施するということになります(なるはずです)。
 その調査手続きを、公正かつ速やかに、予断を持たずに遂行し、研究不正があるとの結論が下れば、その不正の度合い、悪質性等を踏まえて、然るべき懲戒処分を行うとともに、再発防止のための環境整備、啓発指導を徹底する、というのが、その組織に課せられた責任です。
 東大はその本調査を、被調査者が誰であろうと関係なく、予断と思惑とを排して粛々と行うことが、当面の責任だと思われます。保秘はもちろんしっかりする必要があります。
 そして、研究不正は、一義的にはその研究者の責任であって、属する組織や他の研究者に連帯責任が及ぶようなものではなく、組織解体が論じられるような性格のものでは、本来ありません。
 
 STAP細胞問題については、「研究不正」告発への対応としての不正調査のプロセスが、上記のほぼすべての点で、問題があった(ありすぎた)という認識を抱く者が少なからずあり、そのため今もって様々な意見、情報の発信がなされているということかと思います。
 理研や科学コミュニティの側、そして調査委員会自体が上記を踏まえておらず、マスコミをフルに利用して、重大不正(ES細胞による捏造)との印象の刷り込みを強力に行い、マスコミもまた、売れる材料として、あることないこと、リーク情報を吟味することなく、リーク者の拡声器となって、不正の印象形成に大きく寄与したという構図です。
当事者の理研自治の担い手であり公正な調査手続きの実現を図る上で一定の責任がある学会、学術会議などの科学コミュニティ、マスコミのいずれもが酷すぎたということであり、「人権侵害の限りを尽くした」との弁護団の批判は、マスコミだけに当てはまるというものではありませんでした。
 
 今回、東大の不正告発があり、調査に入ったことに関して、科学界もマスコミも、STAP事件に比べれば沈黙を守っているように見えることについて、当ブログも含めて、ダブルスタンダードではないか? 権威ある東大であれば黙るのか? もっとしっかり取り上げて報じるべきではないのか? といった意見が、いろいろな書き方で書かれています。
しかしそれは、STAP細胞事件のときのような異常な狂奔を、東大の被調査者の教授達に向けよ、ということを主張しているのではもちろんなく、科学研究で日本を代表するリーディング組織であり、国民の医療等に大きな影響を及ぼしてきたであろう東大についての研究不正の告発・本調査決定であれば、マスコミであれば、国民に対する情報提供、解説を、科学コミュニティであれば、科学界の自治の担い手としての関わり方があるのではないのか? 沈黙を保つということはその役割、責務を放棄しているのではないのか?という問題意識に立っているということを述べているものと理解しています。「権威」をたたけという趣旨ではもちろんありません。
 
マスコミが、現在、東大広報の発表以上のことには触れないということが、STAP細胞事件での自らの無軌道振りを深く反省して・・・ということであるはずはありません。「東大」+「その分野の大家」+「医療へのインパクト大」+「研究不正告発・本調査」+「不正の連続の過去」といった材料が揃っているわけですから、マスコミ的関心からすれば、色めきたってもおかしくありませんが、しかし沈黙しています。そのかえって不自然な沈黙は、「記者クラブで配布される官製資料を報じるだけで良しとするマスコミ体質がここでも現れているのではないのか?」「ここまでSTAP細胞事件の時と対照的な沈黙は、東大の権威を恐れてと取られても仕方がないのではないのか?」「報じるべきことはいろいろあるだろうに、なぜそれをしないのか?」といった含みの指摘につながることはごく自然な流れです。
繰り返しますが、(STAPの時のような)それはヒステリックで予断を持った(人権侵害に等しいような)「追及」をせよ、ということではありませんし、そういうことを主張している論者はいないと思います。「報じるべきことをきちんと報じ、役割を果たせ」ということに尽きます。

■では、この告発受理・本調査開始という局面で、マスコミの役割として期待したいことはなんでしょうか?
DORAさんのブログで、告発状の内容と、当事者の各教授の経歴とが紹介されています。これを見ると、告発状の中身は門外漢にはもちろん理解できませんが、「何かすごく偉い先生達で、いわゆる重鎮という人々なんだろうな」「糖尿病、リューマチ、高血圧といった身近な病気の大家らしいけれど、論文不正があるとするとどういうことになるのだろう」ということが、自然な疑問として湧いてきます。
一般マスコミに期待したいのは、東大広報が「現時点で不正があるという前提に立っているのではない」との注意喚起しているように、予備調査、本調査の位置づけについて、読者が十分理解できるように説明して上で、
 
○告発対象となった論文はどういう分野で、どういうインパクトのあったもの なのか? 身近な薬、治療等に影響を与えるものなのか?
○論文が不正だということになると、教授達の功績といわれていることが大きく毀損される可能性があるのか? それとも賞や勲章をもらったほどの功績は揺るぎないのか?
○告発の内容は、大要どういうものなのか? 何を以て不正の可能性ありとしているのか?降圧剤バルサルタンの不正のようなデータを操作していた類いの不正が含まれるのか? 再現不能ということは、それによって効果のない医薬品等があるということか?
○過去の東大の研究不正としてどういうものがあり、その教訓に立って、東大ではどのような取組がなされてきたのか?
 
 といった素朴な疑問についての解説くらいは、マスコミとして最低限報じてもいいのではないかと思います。調査を見守るのはそれはそれでいいですが、その前に、最低限の情報は伝えてほしいといことです。

 その際、上昌弘氏のような取り上げ方はもちろん適当ではありません。上昌弘氏が問題なのは、検証しようがない上氏が考えるところの「信用できる誰か」「専門家の誰か」の言葉を根拠にして、「マックロ」の印象形成をはかっているところにあります。今回も、「専門家に聞いたら、100%アウトと言っていた」といい、小保方氏のときも、「信用できるハーバードの日本人女性研究者が、小保方氏が実験しているのを見たことがないと言っていた」という趣旨のことを冒頭に書いて、クロのような印象を強く刷り込んでいたかと思います。
 こういう手法は、マスコミがよく使う手で、毎日新聞須田記者の『捏造の科学者』でも、多用された問題手法であることは、既に過去の記事で縷々述べた通りです。
 
 いずれにしても、上記のような素朴な疑問に応える取材や情報提供も一切せずに、東大広報の談話を紹介するだけで、おしまい・・・というのでは、マスコミとしての役割を果たしていないではないか、記者クラブ体質そのままではないか、という批判が出てくるのは自然な流れだとおもいます。
 告発状や論文の専門的内容を理解できる人は自分で判断できると思いますが、大多数の一般人は理解できませんから、その点の解説はほしいところです。
 
■以上がマスコミ(科学評論家を含む)に期待することですが、科学コミュニティ、具体的には関係学会にはどういうことが期待されるでしょうか?
 文科省ガイドラインにあるように、研究不正の解明や防止は、基本的には科学界の自治に委ねられているわけですが、その自治の重要な担い手の一角は学会ではないのでしょうか?
 担い手であれば、不正調査の適正な実施に対する関心の表明、必要な協力の用意がある旨の表明はなされてもいいのではないか、というより、なされるべきではないかと感じます。

 一般人は、科学界の頂点に君臨する?東大の教授達の研究不正の告発に対して、他の大学・研究機関の研究者たちは、遠慮があるというか及び腰なのではないか?という印象を持つことはやむをないところです。だからこそ、そういう視線でみられていることを自覚し、

「現時点で予断を持つべきではないことはもちろんであるが、厳正な不正調査が行われることを期待するとともに、学会としても、必要な協力をするにやぶさかではない」

 というような内容で、「きちんと見ているぞ」ということ関心の表明と、「必要な協力はする」という支援表明は、対社会との関係でもしておくことが適当であり、それが自らの組織への一般からの信頼向上につながると考えることによります(動機は「アリバイ作り」であったとしても、やらないよりましです)。
 そう感じているため、分子生物学会での声明、談話の類いが一切ないことについて、前記事で、「感度が鈍いのではないか?」と書いたものです。
 
 もっと言うと、一般人の疑問として、「なぜ生命科学の分野ばかり、こうも不正騒ぎが続くのか?」ということがあり、東大分生研の加藤氏が、分子生物学会の研究不正防止のリーダーだったにも拘わらず、不正と認定されたというのは、学会としても衝撃的だったはずですし、今回の対象となっている分生研の教授や著者たちも、学会員である可能性は十分ありますから、そういう意味では「当事者」でもあるわけです。そういう視線もあるのだということは、念頭におく必要があるでしょう。その視線を意識すれば、

「今回の本調査の結果の如何に関わらず、当該分野に密接に関係する学会としても、今回のことに気を引き締め、研究不正の防止に向け、最大限努力していく」

というようなメッセージを発して然るべきではないかと感じます
 
 STAP事件の際の分子生物学会及びその幹部の対応はひどすぎました。「不正」の指摘がある一方で、相反する笹井氏の指摘があったわけですから、科学的究明に学会としても努めよう、というメッセージが「科学」の発想ではないのかと思いますが、理事長は個人ブログも使って、「ES細胞でも、撮影の角度によって小さく見せることができる」という台詞に象徴されるごとく、予断を持ってあたまからのSTAP否定、検証実験の阻止、文科省ガイドラインについての認識欠如等、不見識ぶりを露呈しました。
 文科省ガイドラインで、本人による再現実験は権利とされていることを知らずに、理事長による反対声明を出し、20数名の学会員が賛同の意を表したのち、ガイドラインの権利規定の存在を指摘され、「それなら仕方がない」と個人ブログで実質訂正したのみで、理事長声明としては訂正もなされませんでした。
副理事長は、文科省ガイドラインも大学の内部規程の存在も知らなかったことを広言する一方で、「シェーン事件に匹敵する捏造」と、これから検証という早期の時点で、マスコミで断じました。笹井氏の指摘に科学的に答えるわけでもなく、予断に満ちた非科学的対応でした。

 ことほど左様に、STAP事件の際の対応と今回のそれとはあまりにも対照的で、最低限のアリバイ作り的関心表明さえも行わず、サイレント状態というのは、理解に苦しむ話です。