理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

相澤氏の検証実験論文とその扱い、意義について

 
 理研は、桂調査委の調査報告をもとにして、研究員がネイチャー誌に投稿・掲載されたものを、HPで紹介しているほか(昨年924日付)、丹羽氏によるその検証実験結果についての論文も同様にHPで紹介しています(本年613日付)。
 
 丹羽氏の論文は、最初に投稿されたものは、以下で掲載され、
 それがScientificReports誌で査読の上でアクセプトされたものが、同誌のwebで掲載しています。
 
 これと同様に、相澤氏の論文は、最初に投稿されたものは、丹羽氏のそれと同じく、以下で掲載されました(昨年107日付)。
 それが後に、F 1000research.というサイトで、掲載されました(本年61日付)。
 
 最初に投稿された論文については、本ブログでも触れました。
 
◎「大きな制約」に言及している相澤氏の小保方氏再現実験報告論文―その存在は広く知られるべき
 
 そこでも触れましたが、丹羽氏の検証実験についての論文は、アクセプト後に理研のサイトで紹介する一方で、相澤氏の小保方氏参加パートの検証実験についての論文は、アクセプト後も理研HPで紹介しないというのは、妙ではないでしょうか。
このF 1000researchというサイトの性格がよくわからないのですが、商業科学誌のサイトとは異なるオープンサイトのような印象です。その位置づけは、Scientific Reportsとは異なるということなのでしょうか? 
しかし、ケンブリッジ大のAustin Smith教授ともう一人のopen pier review という形で公表もされていますし、丹羽氏論文と同様に扱うのが、筋ではないのか、という気がします。
 
■しかし、理研HPで紹介しないのは、その点ではなくて、やはり、小保方氏参加の検証実験について、「科学としてのやり方ではない」と批判し、それに類したことを論文で書いていることに原因があるのだろうと、想像しています。
 相澤論文では、監視を付けない予備実験の結果まで含めて言及している点で、理研のスタンスと異なるような印象がもともとありましたし、それが情報公開を巡る混乱の要因にもなっていると思いますが、この論文発表に際して、内部的には何か一悶着も二悶着もあったのではないか・・・?という気がします。
 官僚組織である理研当局からすれば、「科学としてのやり方ではない」との批判を含んでいるような論文は、容認できないだろうと想像しています。
 
 犯罪者であるかのように監視を付けたり、小保方氏自身が解析できなかったりといったことについて「科学としてあってはならない」という会見時の指摘は、理研当局としては、検証実験そのものの正当性に関わるものですから、受け容れられるものではないでしょう。
 しかし、それは措くとしても、理研の検証実験報告書では、小保方氏参加部分の報告において、以下のような留保が付いていました。要するに、小保方氏の実験環境、実験過程をそのまま再現して行ったものではない、という注意喚起でしょう。Oct4が発現した、しない、多能性を示す、示さないという点の議論は賛否双方の立場から取り上げられたかと思いますが、この留保部分は、あまり取り上げられなかったような気がします。
 
「④ その他の検討
定量 PCR 解析においては、生細胞を判定する Gapdhglyceraldehyde 3-phosphate dehydrogenase)の発現が不安定で、サンプル調製に要する時間の影響も想定された。
FACS 解析による STAP 様細胞塊の出現数は、細胞採取後の染色条件、処理時間によって変動する可能性も示唆された。
○また、FACS 解析の結果では生存している細胞の大半は CD45 陽性細胞であり、実験条件が論文レベルの条件と適合していない可能性も考えられたが、本検証では検討を行わなかった。
○また、研究論文において、より頻度が低いとされた他のストレス条件についても、本検証では検討しなかった。」
 
 これは、小保方氏が手記で述べていることも含んでいます。
 
「私が許されていた検証実験は、マウスから細胞を取り出し、STAP細胞塊を作製するところまでだった。作製されたSTAP細胞塊が多能性遺伝子を発現しているかなどの解析は第三者によって行われ、自分で解析することが許されていなかった。STAP細胞は変化しやすい細胞で、解析を迅速に行う必要があったが、解析のために細胞は別の場所に運ばれ、第三者によって行われ、即時に結果を見ることができなかった。実際にどのように解析されているのかさえ、知ることができなかった。
マウスから採取される細胞は、生き物であるため、状態には若干のバラつきがあり、少しの処理の違いによってもストレスへの応答が異なる場合がある。毎回の実験結果を自分で解析し、即時に結果を見ることができていたら、たとえばストレスが少し弱かったと考えられたら次の実験ではストレスを与える時間を少しだけ延ばすなどの、毎回採取される細胞の状態や数に応じた細かな工夫をすることができただろう。しかし、実際には、ただただ檬朧とした意識の中で、毎日同じ作業の繰り返ししかできなかった。毎回の実験を次の実験に生かすことができなかった。私が犯人なのかを検証するのではなく、本当に科学の検証を目的としていたのなら、STAP細胞塊の扱いに一番慣れている私に解析もさせて、科学的な結果を見極めるべきだったと思う。」(『あの日』p225)
 
それらの実験の制約について、相澤氏が敷衍して論文で述べていると思われます。会見の際も、実験の結論として、「STAP現象を確認することはできなかった」とするのみで、「STAP細胞はなかった」とは決して断じることはありませんでした。この結果を以てどう評価し、今後自ら研究するかどうかはそれぞれの研究者が判断する話という趣旨のことを述べて、断定的なことは避けたことは、相澤氏とすれば、「非科学的」実験環境についての指摘とも相俟って、理研に対する精一杯のプロテストであり、小保方氏への擁護だったように感じられます。
 
■そういう相澤氏の制約と結果とをありのままに淡々と紹介するという論文の記述が、同論文に対するAustin Smith教授らのコメントなどにもつながっているような気がします。
同教授のコメントの趣旨については、いろいろ指摘があるようですが、下記の「ryobu-0123のブログ」で紹介されているコメントを読むと、相澤氏が伝えようとした趣旨は伝わり、撤回理由の意味にも触れつつ、検証実験の意義を評価しているようです。
 
 Austin Smith教授は、当初から注目していたのでしょうか?
 ネイチャー誌の撤回論文の掲載サイトを見ると、
 「Retraction(July, 2014)」とある2つ目をクリックすると、同教授のSTAP論文についての評論記事の撤回が記されていました。
 
 それだけに、検証実験結果については、当初から注目していたということでしょう。
 
 また、査読コメントとして、コメント欄でも「hat*****」さんから指摘されていますが、もう一人、マンチェスター大のIrene de Lazaro氏のものが掲載されています。これは、どういう趣旨、評価とみればいいのかよくわかりません。あまり、他ブログでも見かけないように思いますが、どなたかご教示いただけると幸いです。

  【補足】中村公政さんが、ブログで訳されていました。
  【補足2】その後、「ryobu-0123のブログ」でも訳されています(9月20日

 なお、Austin Smith教授は、論文の撤回理由の意味について言及していますが、論文撤回過程の前代未聞振りと、その撤回の扱いについて、改めて書いてみたいと思っています。