理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

STAP細胞問題が、科学界の判断があってもいつまでも収束しない複合的理由


 前回記事の後半で、STAP細胞問題に関して「陪審員的」な機能や異分野の視点からのチェックが必要と書きました。
「■ 科学界における陪審員的機能、異分野からの視点の必要性」
 
 「科学の話は科学者が専門的知見に立って決める話だ」として、一般人、非専門家の疑問を排斥するのは危ういのではないか?という趣旨です。「陪審員的機能」という話を、他の言葉で置き換えれば、「パブリックコメントによるチェック」ということとほぼ同じです。


 科学の話であっても、一般からのチェックを受ける事例としては、原子力発電の安全問題があります。原発の安全性をどう担保するかということは、一義的には、科学の世界で判断されるわけであり、地質学、地震学、原子力工学等々の諸分野の科学を総合して判断されるものです。しかし、専門的な検討と説明だけでは、実際にそれで本当に安全性が担保されるのか、地元・近隣住民にとっては不安ですし、国民にとってもそれが妥当なのかどうかよくわかりません。科学者から見れば馬鹿馬鹿しいと思えるような素朴な疑問も含めて、どう対処がなされ、懸念が解消されるのか? ということを、公開の説明会とともにパブリックコメントを募集し、それに答えることを通して、国民や地元住民の納得を得て前に進む、というのが、定着した手法です。
 それでも納得できない人々は訴訟を起して、差止請求をすることも少なくありません。その際に、安全性についての一義的な挙証責任は、原則は訴えた側である原告側にありますが、原発に関してはこの原則に拠らず、被告である電力会社等に転換されるという判断が判例として定着しています。
 こういった形で、科学の判断が、行政、司法ともに、非専門家である一般の住民、国民からの審査を受け、それに対して科学の側が説明責任を負うということになっているわけです。
 実際、原発の安全性については、東日本大震災において神話が破れたわけであり、一般の人々の懸念が当たったという事例でした。
 
 原発問題とSTAP細胞問題とは違う、という人も多いでしょうが、STAP細胞は、画期的研究として捉えられ、いずれ難病の治療にもつながるという期待を持たせました。科学界も一度はそれを追認したはずです。そういう意味で、原発が公益的位置づけであるのと同様に、STAP細胞についても公益的位置付けができるわけであり、だからこそ理研も、小保方氏による再現実験だけでなく、別途の研究チームによる検証実験まで行って、STAP細胞・現象の確認をしようと試みたわけでしょう。
 
そういう国民的関心事となったSTAP細胞問題は、科学界の判断で決着しているはずなのに、なぜこれだけ、依然として疑問が多々出され続け、議論が続いているのか?と言えば、科学界の判断に納得していないからであり、さらには、科学界の「素人は黙っていろ」と言っているように見える姿勢に納得していないからです。
また、科学の非専門家でなくても、法律という異分野での常識からみて、科学界の対応は不公正な点が少なくないと感じられますが、そういう問題提起に科学界は無関心と思われるからです。


 本来であれば、そういう一般人や法律家の視点からのパブリックコメントに対して、科学界は正面から答え、明確にわかりやすく説明することが求められているはずですが、そういう努力や問題意識は皆無だと感じます。
 パブリックコメントの形で提起された疑問については、文章の形で答える必要がありますから、無視したい論点であっても答えなければならなくなります。STAP細胞問題においてはそれはなく、短時間の記者会見での単発的な質問に対する口頭での中途半端な回答に留まっており、様々な疑問、論点の全体を体系立てて整理し、それに逐一答えるという機会、試みは一切ありません。
 
 笹井氏の記者会見での配布資料とそれに基づく説明は、非専門家にとってもわかりやすく、なぜ「STAP細胞・現象が依然として有力な仮説」という判断になるのか、ということがよく理解できるものでした。では、桂調査委や理研、あるいは科学界が、これに相当する分かりやすい説明努力をしているか?というと、していないわけです。分かりやすくという以前に、笹井氏、丹羽氏らの公式の記者会見で提起されている材料・現象との関係でどう理解されるべきなのか? 若山氏が以前主張していた話を矛盾しているように見えるがそれはどう捉えたらいいのか? といった、専門的論点についてさえ無視しているように見えます。


科学者が書く記事の中に「STAP細胞は完膚なきまでに否定された」という言い方をする人がいます。しかし、「完膚なきまでに」というのは、あらゆる科学的論点について整合性のある説明ができ、かつ、ES細胞で実際に現象を再現して見せて、初めて言える言葉のはずです。ところが、「ES細胞」が、浮遊状態のものかそれとも通常のものか、という基本的な点でさえ、曖昧なままになっています(桂調査委の報告書は、浮遊状態のものではないという前提に立っているように思えます。でなければ、遠藤氏の批判は出てこないでしょう)。それよりもっと以前に、

○なぜ、キメラマウスや胎盤の切片等の残存試料を解析せずに判断できるのか?
○ES細胞だと判断した遺伝子分析の前提がそもそも間違っているのではないのか?
マウスの交配・手交ミスの可能性はないのか? なぜ若山氏の手交マウスの系統を、矛盾材料もあるのに、所与の前提とするのか?
○ES細胞から作られたマウスからSTAP細胞が作ったとすればどうなるのか? 
更には、小保方研の冷凍庫のボックスにあった「ESと書かれた細胞」は、本当にES細胞だったのか? 
○検証実験で現れたESでもTSでもない多能性マーカー陽性の細胞は何なのか?

といったように、ES細胞だとほぼ断定した根拠となった遺伝子解析の前提自体に、脆弱性があるのではないか? という問題意識は、多くの非専門家の人々に共有されていると思います。 
 
こういった一連の科学的論点であるはずの論点にも一切触れようとしないままに、科学界が「完膚なきまでに否定された」あるいは、「科学界では決着した話」と繰り返すから、ますます一般の不信を買うという悪循環の構図になっています。

科学なら、もっと多様な視点からの議論や発言があるはずだと思いますが、それが、ことSTAP細胞問題となると、全くないということ自体、異様に見えます。
 
 
■ STAP細胞問題をめぐる議論を複雑なものにしているのは、科学的論点や法律的視点からの問題だけによるものではありません。ES細胞だと断定するに至る経過に、あまりにも不自然な点が多々あるからです。
 すでに繰り返し指摘しましたが、
 
○不正調査が始まる以前から、STAP細胞自体が捏造だとの暗黙の前提に立ったシナリオで提言した自己点検委員会
○レター論文も含めて不正調査を行うとともに、STAP細胞の有無の検証をせよと提言するそばから、前代未聞の不正、世界三大不正だと断定するという支離滅裂な改革委員会
○「遠藤氏の解析で、STAP細胞はES細胞だと断定するには無理がある」との外部識者の正式な報告を隠したまま自己点検委や改革委に提言をさせた理研事務局
○3月という早い段階から、ES細胞による捏造を印象付ける情報をマスコミにリークし続けた理研幹部(GD)や事務局
明らかに理研内部の者によるものと思われるオホホポエムにおける、小保方氏に対する強烈な悪意と陰謀的工作の存在の示唆
○論文上の「不正」認定を、小保方氏によるSTAP細胞自体の捏造につなげて喧伝する科学者たち(桂調査委では、ES細胞の混入は過失か故意かはわからないというスタンス)
○若山氏の「豹変」―自己点検委員会―分子生物学会―マスコミの連動の不自然さ(タイミングの不自然すぎる一致)
○不正調査において、被調査者であるはずの若山氏を調査側においてしまい、山梨大の試料の保全もしないままに、若山氏側の発信を鵜呑みにする理研
○小保方氏が開設したHPへのサイバー攻撃
 
 等のそれぞれの疑念ある行為、材料は、「科学とは別物の何か」があると外部の一般人に感じさせるに十分なものでした。その背景にあるものを、陰謀とするのか、嫉妬によるものと見るのか、人それぞれでしょうが、背後に「科学ではない何か」があるようだ、と考えることに不合理な点はありません。
 
 仮にSTAP細胞が、故意によるES細胞による捏造事件だったということであれば、それは通常の研究不正事件です。それはスキャンダルではありますが、古今東西、しばしばあるパターンの話でしょう。
 しかし、もし、理研の研究員の誰かが、ES細胞を混入する、マウスを別の系統のものを手交する、STAP幹細胞をES細胞だとして貯蔵庫に置いておく等により、小保方氏を意図を持って捏造犯に仕立てた・・・ということであれば、通常の研究不正事件とは全く次元を異にする大スキャンダルです。そんな事例が、過去にあったでしょうか?
 そういうことが本当にあるのかどうかは分かりませんが、あるかもしれないと考えられる合理的な材料はありますから、決して荒唐無稽な疑念ではないと思います。
 
■ 小保方氏が、『あの日』で提起したのは、「科学とは別物の何か」についての諸材料でした。科学者や小保方批判派の人々はそれには一切答えず、「そんな本を出す暇があるなら、まずは科学的データを出して立証せよ」という定型的セリフしか出てきません。実験ノートその他のデータは、ハーバード大の帰属であり、小保方氏の判断で出せるものではないし、実際、閲覧、複写が難しいということが分かっているにも拘らずそういう定型的セリフでたたくばかりというところが、また意図を感じさせるおかしいな点です。
 
■ 以上のような諸々の要素に加えて、ハーバード大の特許出願の継続、審査請求という、STAP細胞・現象の存在を前提にしなければ説明できないような事実があり、部分的なSTAP現象の再現と解釈できないことはない実験結果の報告があるということもあって、このSTAP細胞問題の科学界以外での議論がいつまでも収束しない要因となっているわけです。
 
 いずれ、BPOで勧告が出されることになるでしょうが、そこでは、直接は、NHKスペシャルの取材、編集、放映自体における人権侵害と放送倫理の有無の判断になります。しかし、その取材、編集過程において、当然なされるべき取材の不足、特定の結論に沿った恣意的な編集の有無、バッシングとなった批判・非難の根拠の是非などの判断を通じて、科学界やマスコミの判断過程・内容の是非や、法律的な面での公正性などの論点に関するBPOとしての判断も滲みだしてくることは十分あり得ることだと思います。
その時、科学界はこれにどう答えるのか、対応を迫られる日は遠からず来ることでしょう。