理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

【感想】小保方氏と瀬戸内寂聴氏の対談を読んで


 あちこちで取り上げられていますが、小保方氏と瀬戸内寂聴氏との対談が載っている『婦人公論』を買って読みました。この雑誌を買うのは、生まれて初めてです(笑)。

 それで、読後感想を幾つか綴ってみたいと思います。

 第一は、小保方氏は、かなり危ないところだったのではないか、ということと、寂聴氏のおかげで、対談のためにはるばる京都に出かけることができるくらいに元気も出てきたようで、まあともかく良かった・・・ということですね。

 読むと、
  「『あの日』もほとんどベッドの中で書いた」 
  「病院以外の外出は本当に久しぶりで足が震えた」
  「苦しんでいるのを見せるのは親不孝なので、身内には会っていない」
  「寂聴氏から手紙をもらうまでは、固形物が喉を通らない日も多く、体は弱っていく一方だった」

 とありましたので、もし『あの日』が寂聴氏の目に留まらず、手紙も来なかったとすれば、どうなっていたのだろう・・・と思います。これでは、心身ともに閉塞状況が更に深刻になりかねませんし、ご本人が、「もうひとつでもずれていたら、私はもうこの世にいなかっただろう」と述べているのは、決して誇張ではないと感じられます。
 幸い、寂聴氏からの手紙と対談の呼び掛けがきっかけとなって、快方に向かっているのであれば、それは本当に何よりです。

 二は、「面識のない研究所の方々からも応援の手紙がくる」「米独など、不思議と海外の研究機関からのお誘いの手紙がくる」などは、冷静に見ている研究者が少なからずいるということですから、心強いことです。
 家族の者から聞いたところでは、テレビでアンチSTAP・小保方で知られる科学評論家が、さっそく、「そんなのは嘘だろう」と決めつけていたそうですが、いったん出来上がった自分の認識と相容れない情報は、なんとしても否定しないと心の安寧を得られない=認知的不協和、という典型事例でしょう。科学評論家として生計を立てているがために、自分が言ってきたことと相反する情報はあってもらっては何としても困るのでしょう。
 しかし、科学評論家であれば、ハーバードのB&W病院に照会ひとつしてみてほしいものです。簡単な話です。

 ・特許出願を、多額のコストをかけてまで維持している理由如何? 
 ・審査請求もしているが、実施例として審査に耐えうる再現性ある実験がなされているのか? 
 ・ES細胞混入だとの桂調査委と理研論文に対するコメント如何?

 こういうことは、STAP問題を論評する上では、基本的情報だと思いますが、そういう基本的取材もせずに論評するなど、科学評論家と言えるのか?と感じます。科学者にしても状況を尋ねたりはしないのでしょうか・・・??
 海外は、意外と冷静に見ているということでしょう。

 第三は、小保方氏の異色の才能についてです。『あの日』を読んで、その構成、文章の緻密さ、専門的な話をわかりやすく伝える才能、文学的・詩的な表現ぶり、ユーモアの才などには驚嘆しましたが、とてもとても、普通の人間では、あれだけの本は書けません。ディテールをふんだんに盛り込み、時系列もしっかりしていますし、メールや書類などで裏付けがとれるものを中心に主張していますから、説得力があります。理系的才能と文学的才能とを兼ね備えた稀有の存在でしょう。
 これを、「3か月と10日」という短い期間で、「ほとんどベッドの中で書いた」「睡眠薬が処方されていたのに、3日徹夜で書き続けたこともある」といいますから、その集中力も相当のものでしょう。「これを書かなかったら、死んでも死にきれない」という思いもあったので、不調の中でも、集中ができたのでしょう。
 小保方氏は、記者会見のときにも、記者の面倒な質問に対して、「ちょっと頭を整理してからでいいですか?」と断って、短時間考えたのち、実際、整理された内容の発言をしていたのに、少し驚いた記憶がありますが、記憶力や、物事を整理して表現する力には格別のものがあるのでしょう。

 そこはかとないというか、巧まざるというか、ユーモア的発言は、寂聴氏との対談でも見られます。「(寂聴氏が「話を聞いて信じてもらえる人がいないと、頭が変になってしまいます」と言うのに対して)十分、変になりました」「あの日って女の子の日のこと?なんて聞かれました」「心の中でヴェロニカさんと呼んでいました」「”男の嫉妬”なんて言ったら、またバッシングを受けそうですが~~」などなど。
 もともと、そういうセンスがある中で、多少なりとも気持ちに余裕が出たきたので、こういう言葉も出てきたのでしょう。

 第四は、やはり「書き残す」ことの重要性です。冒頭に、寂聴氏が、「『あの日』を読むまでは、報道を信じて、すべてあなたが企てたことだと思っていたのです。」と述べています。あの手記を読んで、寂聴氏の受け止め方を一変させたのですから、その筆力、説得性には、優れたものがあります。寂聴氏と同様の反応を示した人々は極めて多いようだということは、あれがベストセラーになったことでもわかります。

 活字として残れば、それを目にした人々によって、新たな展開がもたらされることは時にありうることです。以前、ご紹介した、山本七平の『私の中の日本軍』で書かれたものですが、百人斬りという荒唐無稽な戦意高揚記事作りに協力したがために、戦犯として処刑された向井、野田両少尉が書き遺した遺書をもとに、山本七平が、戦地での経験・常識を踏まえて、その無実を具体的に証明する、という事例があります。


 その絶望と失意の中で、そのまま死んでいくのではなく、諦めずに言葉として、記録として残す努力をすることによって、後世、自分の無実を晴らしてくれる人間が出てくるかもしれない。だから、死ぬことはわかっていても、無駄だとは思わず、自分の考えを言葉で残しておけ。現に、自分(山本)が二人の言葉によって、無実を明らかにした。・・・というのが山本七平が語っていることです。
 小保方氏も、「これを書かないと、死んでも死にきれない」という思いで書いた手記が、結果として、小保方氏を甦らせることとなる寂聴氏の眼にとまったわけですから、やはり、書いて活字に残すことの重要性を改めて認識させられます。

 第五に、小保方氏も寂聴氏の愛読者であり、笹井氏も寂聴氏の「源氏物語」の愛読者であったことに、親近感を覚えます。
 寂聴氏は、「源氏物語」全10巻を出しているわけですが、それを素材に、「女人源氏物語」全5巻のほか、「藤壷」などの創作も行って、読者を楽しませています。源氏物語には、与謝野晶子谷崎潤一郎をはじめ多くの文士が現代語にしていますが、寂聴氏のそれはひときわ親しみやすいものになっており、世界的な文学作品を一層身近なものにしたその功績には大なるものがあります。
 小保方氏の文才には、そのような文学経験によって育まれた精神土壌がベースにあるような気がします。

 第六に、寂聴氏の生命力と若々しさ! あれだけ何度も大病して、ほとんど瀕死の様子のときもあったのが、前よりもいっそう元気になっているのにはびっくりです。
あれで94歳ですから、驚異的です。小保方氏も、寂聴氏の生命力を分けてもらって、再起を期してほしいとつくづく感じた座談会でした。

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 以上、感じたままに感想を綴ってみました。
 別に、小保方氏を一方的、無条件に擁護するとかいうことではありませんが、しかし、小保方氏が受けている仕打ちは、理不尽に過ぎますし、非難・批判が科学的、合理的ではなく、公正さを著しく欠いていることは間違いのないことですから、これは是正されるべきだと考えています。

 いずれ、『あの日』の続編として、名誉が回復されるまでの過程を書いた『この日』を上梓してほしいと思います。