理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

2 Muse細胞関係―(2)大失敗により過酷な条件に晒したことで認知されたというSTAP細胞との共通性

さて、そのMuse細胞の研究の中心となってきた出澤真理教授のインタビュー記事がありますが、これがまた興味深いものがあります。
 
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がん化の可能性が低い多能性幹細胞「Muse細胞」を発見
 
飲みに出かけて大失敗。それが「Muse細胞」の発見に。
 
───その研究の突破口が開けたのは、どんなことからだったのですか?
 
2003年のことです。いつものように骨髄間葉系細胞を培養していると、汚い細胞塊ができていることに気が付きました。テクニシャンの方から、「この細胞は汚いので捨てましょう」と言われたのですが、よく見ると、ES細胞の胚葉体に似ていて、毛とか色素細胞などが混じった細胞塊でした。そこで捨てないでちょっと調べてみますと、中には3胚葉性の細胞が混在していたので、これはもしかしたらES細胞に似たような性質の細胞が、天然でヒトの骨髄などにもあるのではないかと考えるようになったのです。ただし、ES細胞は腫瘍性の増殖を示しますから、培養していれば無限に増殖をしますが、この細胞塊は数日増えて一定の大きさになると増殖が止まってしまう傾向がありました。ですから、似て非なるものかなとも思っていました。
 
───その後の研究にどうつながったのでしょう。
 
そこでもしもヒトの骨髄間葉系細胞にこのような多能性幹細胞があるとして、どうやってその細胞を同定できるのか、実験をしましたが、一向に結果が出ませんでした。試行錯誤の日々が続きましたが、2007年ごろ、あることがきっかけで多能性細胞の同定に結び付く足掛かりを得ました。
の日私は、骨髄の細胞を株分けするために、トリプシンという消化酵素をかけて処理していました。その最中に、共同研究者の京都大学大学院理学研究科の藤吉好則教授から、飲みに行こうと電話がかかってきました。そこで、急いで出かけなくてはと思って、大変な間違いをしてしまいました。株分けした細胞を血清の入った培地に入れたつもりだったのが、再びトリプシン消化酵素を入れてしまい、飲みに出かけてしまったんです!
 
───その結果は……?
 
翌日、培養室に戻ってきたら、普通は培地がピンクなのに黄色なんです。細胞は消化酵素の中に12時間以上漬けられていたためほとんど死んでしまっていました。ショックでしたねえ。ただ捨てる前にもう一度チェックする癖があって、のぞいてみたら、わずかに生きている細胞がいたんです。なぜこの細胞は生きているんだろう、なにか発見できるかもしれないと、ダメでもともとと遠心分離器にかけて集めた細胞をゼラチン上で培養したところ、多能性幹細胞だったんです。
 共同研究者の藤吉教授とこの細胞を「Muse(ミューズ)細胞」と名付け、20104月に発表したところ、「第3の多能性幹細胞」などとマスコミでも取り上げられました。」
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 科学は失敗から知見が生まれるというパターンを地で行くような話ですが、このエピソードは、小保方氏の手記『あの日』で紹介されている若山研での初期の頃の研究室でのATPに晒す初期の実験時のことを想起させます。
 
「ストレス条件を検討していく過程でOct4陽性の細胞塊が観察される頻度はだんだん上がり、oct4陰性の細胞が陽性に変化するという確証は得られつつあったものの、それ以上の成果を見出すことは難しかった。私は相変わらず細胞がストレスを受けた後の、細胞の変化過程に興味があり、ストレスがかかると間葉系の細胞が上皮様の細胞(接着因子によって細胞塊を形成できる細胞)に変化する現象にこそ、いま観察している現象の生物学的な意義が込められているのではないかと考えていた。
私の実験系では、ストレス処理後の細胞に待ち受けるのは、細胞死か細胞塊形成、だった。この分岐点を左右しているのは、ストレス処理後の、細胞膜の修復の速さにあると考えていた。「細胞膜修復」というキーワードで文献を見ていると、いくつかの因子にたどり着いた。その中の一つにATPがあった。もともとミトコンドリアに着目していたこともあり、受精後に受精卵の中のATP濃度が急上昇するという報告も、高濃度のATPに細胞を晒すと何か変化が起きるのではないかという予感を持たせてくれた。
まずは、ストレプトリジンOという薬剤で体細胞の細胞膜に穴をあけた。そして、緩衝液が入ったチューブに細胞を戻し、細胞膜を修復するためにATPを添加した。その瞬間、しまった、と失敗を確信した。赤い緩衝液が一瞬にしてまっ黄色になってしまった。細胞を入れた緩衝液にはフェノールレッドという指示薬が添加されていて、フェノールレッドはpH6680程度の範囲で黄色から明るいピンクへと色を変える。細胞培養に適切なpH74付近であると言われていて、その時は赤色を示す。失敗を確信したが捨てるにも惜しく、そのまま37℃で20ATPに晒した後、チューブを遠心機に入れ、遠心分離によって細胞をチューブの底に沈殿させてATPの入った緩衝液を取り除いたあと、培養液に細胞を移し培養庫に入れた。それから1週間後、どうなっているだろうか、と観察してみると、そこにはこれまで見たことがないほど明るく綠に光る細胞塊が浮かんでいた。
細胞内のpH制御は生命維持に重要な役割を果たしていると考えられていて、細胞に含まれるさまざまな細胞小器官の内部はそれぞれが固有のpHを有している。その生理機能を保つため、細胞を扱う実験には、一定のpHの範囲内では、酸や塩基を加えた時に、pHの変化が小さくなる作用である緩衝能を持った緩衝液が汎用的に用いられている。ATPを入れた直後の緩衝液の黄色さは、細胞小器官のそれぞれが適正なpHを保ちながら生存している体細胞にとって酸処理という十分なストレスを与えてくれているように思われた。そのため、ストレプトリジンO処理をした後にATPに晒した細胞と、ストレプトリジンOによる処理を行わずにATPに晒すだけの処理をした細胞を同時に培養して結果を比較することにした。1週間後、結果を見るとストレプトリジンO処理をしなかった細胞も綠に光る細胞塊を形成していた。こうしてATPに晒すだけで緑に光る細胞塊の創出が可能になった。
確認のために何度も同じ実験を繰り返し行い、強く緑に光る細胞塊が最も多くできた回のATPを添加した緩衝液のpHpH57だった。用いていた緩衝液の緩衝能の範囲がpH57付近に適していなかったこともあり、どんなに条件を揃えても、緩衝液の量の数マイクロ以下の差や、添加する微量のATPの小数点以下の量の差、ストレスによって溶解する細胞の数の徴妙な差によって、緩衝液のpHは変化した。ピタッとpH57で定めることは難しかったが、毎回pH55pH58の聞には収まり、この間にあれば緑に光る細胞塊が観察された。」(p8284
 
 いずれも、大失敗をしたつもりが、結果として、過酷ストレスという環境下での多能性幹細胞の発見という、大成果の契機になったということですから、興味深い話です。
 
 
■さて、それで、Muse細胞とSTAP細胞の差異は、前者は、既に組織の中に微量存在するものを抽出したものであり、後者は、一度分化した細胞が初期化したもの、という整理かと思います。手記では、小保方氏やバカンティ教授が、最初は、スフェア細胞を、組織に「もともとあったもの」と考えていたのを、「できてくるもの」と考えるようになったことが紹介されています。
 それで、Muse細胞の採集方法は?と、ウィキペディアを見ると、次のように書かれていました。
 
採集方法
ミューズ細胞はいくつかの異なる方法で得ることができる。
 
セルソーティング
SSEA-3陽性、ないしSSEA-3/CD105重陽性を指標とすることにより、ミューズ細胞は組織ないし市販の培養細胞から単離することができる。組織から直接単離される場合はSSEA-3およびCD105を指標とするが、培養間葉系細胞ではほぼすべての細胞がCD105を発現しているため、SSEA-3単独を指標とする。
 
長時間トリプシン処理
移植実験のように大規模にミューズ細胞を使用する場合、細胞に極度のストレスを与えることによりミューズ細胞を富化することができる。この手法により得られた細胞群はミューズ富化細胞集団と呼ばれる。ミューズ細胞の富化に最適な条件は、皮膚細胞には16時間、骨髄間葉系細胞には8時間のトリプシン処理である。
 
過酷細胞ストレス処理
ミューズ細胞は脂肪吸引により得られる組織を強いストレスにさらすことによって、ストレス耐性の高いミューズ細胞以外の細胞を死滅させることによっても得られる。得られる細胞群は高い比率でミューズ細胞を含んでおり、さらなるセルソーティングの必要がない。ストレス条件としては、コラゲナーゼでの長時間処理、低温、血清除去、および低酸素状態などがある。その後、分解組織を遠心分離し、沈降物をPBSに再分散後、赤血球溶血培地で培養する。この方法で得られたミューズ細胞は脂肪由来幹細胞と区別することができる。」
 
 Muse細胞もSTAP細胞も、過酷ストレスを与えるという点では共通しています。STAP細胞への懐疑が生まれた時に、ES細胞だろうとする者が圧倒的に多かった印象ですが、Muse細胞と誤認したのだろうと述べる向きはあったものの少なかったのではないでしょうか。国際サーチレポートで、先行特許としてMuse細胞特許が挙げられていたので注目されはしましたが、その限りだったのではないかという印象です。
 過酷なストレスに晒すことによって多能性細胞が採取されるということが認知されているのであれば、もしかして、過酷なストレスで分化細胞が初期化されて多能性細胞が生成されている可能性はないのだろうか? といった、バカンティ教授、小保方氏的発想が出てくるのは自然なような気がしますが、そうはなりませんでした。
 
※ なお、ウィキペディアの解説の中に、iPS細胞との関係についての一説が紹介されているのを見て、ちょっとびっくりしました。


2009年、ヒト線維芽細胞のうちSSEA-3陽性細胞のみがiPS細胞を形成することが示された[11]2011年には、iPS細胞作成時にミューズ細胞以外の細胞では山中4因子導入後もSox2およびNanog発現量の上昇が見られず、iPS細胞はミューズ細胞のみから作成できることが示唆されたとする研究データに基づいて、iPS細胞の多能性はミューズ細胞が元来持つ性質であり、山中因子は腫瘍形成性を付与しただけであるとの説も提起された[5]。」
 
 
■ Muse細胞にしても、STAP細胞にしても、ともに日本の研究者の研究成果によるものであるわけですが(しかも、女性研究者という共通項も)、片や特許化し、我が国の産業界が積極的に参画して実用化が急進展しているのに対し、片や論文上の研究の本質には影響しないミスから一大捏造スキャンダル扱いされて、大バッシングの末に、論文撤回に続いて、特許出願の権利を米国側に無償譲渡し、日本側は何らの受益もできなくなってしまいました。更にその過程では、小保方氏が心身の不調に陥り、世界の至宝である笹井氏を失い、理研CDBまでがその組織・運営面で大きく傷つくことになり、何ら本件と関係のない若く優秀な人材も去ることを余儀なくされました。若山氏にしても、この一件がなければ、素直に誰からも賞賛されるであろう世界的研究者であり続けたことは間違いのないところです。
 
 それがこういう事態になってしまって、本当に、日本の「空気の支配」の異様さには愕然とするばかりです。これは、間違いなく、日本社会の病理であり、宿痾です。ひとたび「空気」が出来上がれば、誰もそれに異を唱えることができなくなり、明らかにおかしいこと、不合理なことでも、言い出せない、言い出しても無視される、空気に反するような言動をする人間は徹底的にたたかれ、侮蔑される・・・。「空気」の支配の熱気から醒めてみれば、なぜそのような不合理なことに囚われていたかも理解できなくなる。そして、自分はそんな空気とは無縁だったかのように振る舞い、空気に乗じた加害者であったことも忘却してしまう・・・・。


 夏目漱石の言の如く、「日本人に生まれて、まあ、よかった」と思い、日本及び日本人の文明、文化、歴史、科学、産業の素晴らしさには、全体としては誇らしい気持ちがありますが、事この「空気の支配」による思考停止、嵩にかかった居丈高な攻撃性、不合理な拘束性などを目の当たりにすると、心底嫌気がさしてきます。今回のSTAP細胞事件も全く同様の状況が現出しています。笹井氏を自死に追い込み、小保方氏の人格非難まで繰り返して心身に深刻なダメージを与えたのですから、常軌を逸しています。
 
 後になって振り返った時、なぜES細胞では説明がつかない諸材料の指摘があったのに無視し続けたのか? なぜ多能性が発現する未知の現象を更に探究しようとしなかったのか? なぜ死細胞の自家蛍光ではないとのチェックもしているのにそんな見方に囚われてしまったのか? なぜTCR再構成がないことを以て思考停止してしまったのか? なぜ不正調査の際に遺伝子解析の結果を説明する上でのさまざまな可能性や仮説を検討しなかったのか? なぜ前提と認定内容に合理性・公正性を欠く不正調査に疑問を持たなかったのか? なぜ過酷な環境に晒すことによって多能性細胞が得られるというMuse細胞の事例があるのに、過酷な環境下で初期化されている可能性を突き詰めて追求しなかったのか? なぜハーバード側の陸軍関連の研究や産学連携の動きを探らなかったのか? なぜこれらの基本的検討をしないままに安易に基本特許の出願を放棄して日本の国益を損ねてしまったのか?
 
 現在の異様な「空気」が四散してしまったときに、このような問いかけがなされることになるでしょう。その時に誰が責任をとるかといえば、誰も取るものがいないというのが「空気の支配」の結末の常です。

 いずれにしても、そう遠くないうちに、この「空気」は破られていくと思います。
NHKスペシャルを断じるBPOの人権侵害・放送倫理違反認定が、まずおそらくあり、次にハーバードの特許出願の審査の進展、そして陸軍関係の研究の進展などが続くのではないかと想像しています。