理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

比較的冷静な論評をしていた昨年の八代氏―今回のツイッターコメントとの乖離

 
 さて、今回、ツイッター投稿のあった八代氏ですが、昨年のSTAP細胞関連の寄稿を読むと、もっともなことも述べています。以下は、227日時点のものですから、若山氏によるSTAP論文の撤回呼びかけ前のものです。
 
○続・STAP細胞が映し出すもの――「科学」と「社会」の関係(20140227日)
 
 4月下旬の時点では、STAP論文は科学的信頼性を失ったとしていますので、立場は当然変わっています。
 
●上記の2月下旬時点での記事は、論文に疑義が出されている中でのものですが、冷静なトーンで、STAP細胞のコンセプトは受け入れやすいものだった点、証明の補強となるはずの論点指摘など、建設的な印象を受けます(素人が言うのはおこがましいですが・・・)。
 
「その論文は、「弱酸性というストレスによって」細胞を初期化ができる、という点はとんでもなく見える話ではあったが、示されている実験のデータや論旨の展開に問題はなかった。なにより、これまでに報告されてきた細胞たちが見出された状況に「ストレス」という理由を与えてくれたこと、そしてこれまでのES細胞やiPS細胞研究で明らかにされていた、いくつかの分子メカニズムと矛盾しない現象が記述されており、コンセプトとして受け入れやすいものであった。」
 
「また、この図の45のレーンの通り、STAP細胞が再構成された階段状の配列を保持しているというのであれば、STAP細胞から構成される個体の細胞はすべてこの配列を持つはずである。つまり、胎児の解析において、蛍光顕微鏡下でのGFPによる緑色の蛍光以外にも、この図同様のゲノムの情報を示せば、STAP細胞成立のより強固な証明になりえると感じていたし、査読者もそれは指摘できたことだろう。」
 
●また、次の指摘は、かつて若山氏が述べていたこととほぼ同じです。
 
「つまるところ、画像の操作の疑義があろうがなかろうが、同一細胞での追試を待つ/行う、他の細胞での再現を待つ/行う、そして私が前稿でも記したようにヒトの細胞での再現を待つ/行う。それが生命科学の態度である。追試実験は、必ずしも簡単にいくものではない。現在、インターネット上では短期間、少数例の追試が報告されているようだが、言語化されていない手技上の要因(流派、などということもある)のみならず、用いる試薬のメーカーやロットによっても結果は変わる。限られた情報を根拠に毀誉褒貶を行うことは、少なくとも「科学」の側が取るべき態度ではない。」
 
STAP細胞論文の共著者の一人、山梨大学若山照彦教授は、nature誌のインタビューで、自身が理研に在籍時には再現がとれていたのに山梨大に異動後はまだ再現できていない、ということも述べている。
だがこのことをもって、論文の内容に問題があるということにはならない。こうしたことはよくあることで、研究室を異動した経験のある研究者であれば、誰しも経験することである。
前述の通り、本当に信頼性のある追試は時間のかかるものであるし、すべての研究者が高頻度で再現ができるようになるためには、かなり時間をかけて実験方法を最適化していかなければならないことも、また事実である。そうであるならば、有力な他の幹細胞研究、発生学研究を行う研究者を招き実験を供覧することは、もっとも手っ取り早く疑念を晴らすことにつながる。
 
若山氏は、昨年の文藝春秋4月号で、STAP細胞の作製が、如何に微妙で難しいかを具体的に指摘していました。「レシピは単純でも、匙加減が難しい。マイクロマニュピュレーターの手足を使う操作は難しい。細胞の濃度を揃えたり、洗浄を何回やらなければならないというコツがある。実験室が変われば成功率も変わってくる。水でさえどの会社の水かで違ってくる。試薬も最適なものを使わないと再現できない。自分が成功し、自分が世界で一番テクニックを持っているはずでも、半年間うまくいかなかった。」等等です。
 
そういう微妙さ、困難さが一顧だにされずに、かつ、STAP幹細胞作製や受精卵への注入、キメラマウスの作製は若山氏の分担であることさえも無視されて、「小保方氏は簡単だといったくせに、再現できないではないか。捏造だからだろう」という単純な非難ばかりがなされて、それが異常なバッシングにつながっているのが現状です。
 
●また、次の指摘は、理研の竹市氏(だったと思います。あるいは西川氏だったか・・・)が、述べていたことと同じです。「再現できなければ忘れられていく。そういう事例は山ほどある」という趣旨のことを述べて、過剰な非難を戒めていたかと思います。
 
「結局のところ、論文の発表というのはゴールではなく、出発点にすぎない。その論文の成果が、いくらやっても再現不可能であれば、その成果は棄却され、過去にあった様々な学説、論文と同じように無縁仏として忘れられていく。いくら論文内部のロジックが正しくとも、それは科学的な「事実」にはならないのである。そのようにして、「科学」の知識は積み重ねられてきた。」
 
 このように、八代氏は、STAP論文に疑義が呈されていた中でも、冷静な論評をしています。その後の推移を踏まえた論評が、4月下旬のもの以外どういうものかわかりませんが、検索では冒頭のもの以外ヒットしませんので、自ら述べた通り、単に「忘れていく」ということで、静観したのかもしれません。もしそうだとすれば、分子生物学会メンバーのような激烈さ、不合理さとは対照的です。
 ただそれだけに、今回のツイッターでの次の呟きは、上記の冷静さとは落差が大きく、非科学的な反応には大きな違和感を感じます。
 
「誰だよこんなデータで査読通したやつは。というかあんな事件のあとでよくこんなの通す気になったなあ。出せば載っちゃうんじゃないのここ…」
 
 今回のiMuSCs細胞論文については、今後、追試が各地でなされるでしょうから、その再現がなされれば、また反応も変わってくることでしょう。
 
●しかし、大方の日本の研究者やマスコミは、もはや「利害関係者」になっており、冷静に考えを変えることはできないのかもしれません。あれだけ小保方氏とSTAP細胞に対するバッシングに狂奔したわけですから、今になってそれが一部であれ、全部であれ再現されてしまっては、立場がなくなってしまいます。ですから、再現されないほうに利益を有する「利害関係者」というわけです。もうそれは、残念ながら科学の世界ではありません。
 そういう場合に、状況を変えるのは、海外の研究者による追試、再現や評価でしょう。
 日本の科学界やマスコミは権威に弱い(=思考停止してしまう)ということが、今回の騒動でも改めて露呈しましたから、それを変えるには、海外の「権威」によるほかないのでしょう。本来、「科学」と「権威」とは対極にあるはずなのですが・・・。
今回のiMuSCs細胞論文は、海外の研究者であれば冷静に評価し、再現実験等に取り組むことでしょう。八代氏が述べる通り、その再現実験結果を待って、それが科学的な「事実」となるのかどうかが見極められて、次の研究ステップに進んでいくという流れになることを期待したいものです。
 
 
●なお、蛇足ですが、iMuSCs細胞論文に関するコメントの中に、「仮に、STAP細胞類似の現象を証明した研究者が出たとしても、小保方氏の論文は撤回されている以上、STAP細胞が証明されたと言うべきではなく、その証明した研究者の功績に帰するべきである」という趣旨のものがあったと思います。理研改革委の記者会見で、東大の塩見教授も同趣旨のことを述べていました。
 しかし、そう言う皆さんは、論文のことばかりが念頭にあるようなのですが、特許出願の方の扱いはどうなるのでしょうか? STAP細胞は、論文では酸刺激に絞って出していますが、様々な物理的、化学的等の刺激を包含して、別途、特許出願をしているわけです。それらのどこまでが特許として認められるかはわかりませんが、もし認められた場合には(=当然、明細書の内容が再現可能と認められる前提)、それらは当然「STAP細胞」として呼称されて然るべきでしょう。
 産業界においては、研究開発の成果は、むしろ特許の形で自らのものにするというのが通常ですので、学界において論文だけで成果を云々する向きがあるのには、やや違和感を感じる、というのが正直なところです。