理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

iMuSCs細胞論文へのSTAP否定論者の反応の不可解さ―不自然な過小評価


 iMuSCs細胞の論文が、小保方氏やSTAP細胞に否定的な皆さんにどう受け止められるのかは大きな関心のあるところですが、既に各ブログ等で言及されている榎木英介氏の記事は、ある程度まとまったものかと思います。


「繰り返し言う~研究不正と「STAP現象」ありなしは別次元の問題」


その後のネットでの議論について取り上げた、次のような記事も出ています(読者の方に教えていただきました。有り難うございます)。榎木氏の記事も、専門家の否定的意見として紹介されています。


 榎木氏の記事内容の当否についてはいろいろ意見が分かれるようですが、それはとりあえず置くとして、この記事から辿っていくと、いろいろと多くのことを知ることができました。

 幹細胞学者の八代嘉美氏のツイッターでの発言がありますが、


そのコメント欄を辿ると、iMuSCs細胞の論文が掲載されたネイチャー誌のサイエンス・リポートのFAQの日本語版にリンクされたものがありました。


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ScientificReports の出版基準は?
Scientific Reports は、「技術的妥当性がある」という基準を満たした原著論文を掲載します。論文の査読は、この基準のみで行われます。個別論文の重要性については、出版後、読者の判断にゆだねます。


編集体制はどうなっているの?
Scientific Reports には、編集諮問委員会と編集委員会の両方が設けられています。
 編集諮問委員会は、必要に応じてScientific Reports に対して助言を与え、編集委員会の新メンバーの選任を手助けします。
  編集委員会は、すべての関連分野の現役の科学者によって構成されており、査読過程を管理し、論文の受理の可否に関する最終決定を行います。NPG 社内の出版チームは、パブリッシングマネージャーとパブリッシングアシスタントからなり、投稿された論文が審査を行うのに適任の編集委員のもとに確実にまわるようにします。


ScientificReports は、査読ジャーナルですか?
はい。1人以上の査読者が論文原稿の査読を行ってから、掲載の可否を決定します。定型的な方法をとることで、公正さと迅速性が確保されます。


ScientificReports で論文を出版するメリットは?
Scientific Reports での論文出版は、短期間での論文掲載が必須の場合、研究分野における理論的展開に欠けるものの技術的妥当性を有する論文の場合、否定的な結果を記述した論文の場合などに対応しています。
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 一人以上の査読を経て、関連分野の現役の科学者で構成される編集委員会に、査読過程を管理し、論文受理の可否の最終決定を行うとのことです。
 もう少し詳しくは、「投稿案内」というサイト部分に書かれています。


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新規投稿
(中略)
投稿された論文原稿は、編集委員会1人の委員に割り振られます。この委員が、論文原稿を読み、本誌の対象としての適性を評価します。本誌の対象範囲にあり、初回の評価で技術的に妥当だと考えられる論文原稿については、査読が行われます。(以下略)


査読(ピアレビュー)
編集委員会の委員が論文の査読を行うかどうかを決定すると、そのことが Corresponding author(編集のための連絡先となる著者)に電子メールで通知されます。この時点で、編集委員は、以下のいずれかを選択します。
 ・Scientific Reports のメンバーではない1人以上の査読者(レフェリー)に連絡して、査読の実施を依頼すること
 ・編集委員会の委員自身が、その経験と専門知識をもとに査読を行うこと
編集委員会の委員は、検討の後、以下のいずれかの決定を下します。
 ・受理(編集上の修正が加わる場合があります)
 ・最終決定の保留(著者に対し、論文原稿を修正して具体的な問題点を解消するように促します)
 ・不採用(ただし追加的研究を行うことで再提出が認められる可能性があることを通知します)
 ・無条件不採用
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iMuSCs細胞の論文が、どちらの査読方式を経たのか分かりませんが、
①まず、編集委員の学者によって、査読に回すかどうかの適正評価が行われ、
②次に、一人以上又は編集委員自らによって査読が行われ、
最後に、編集委員会で受理の可否を決定する。


 というプロセスを経て掲載が可であることが決定されたということですから、それなりのスクリーニングを経ているということでしょう。冒頭の記事のように、「査定が一人で行われる」と問題視するのは、ためにする議論でしょう。


 査読の唯一の基準だとされる「技術的妥当性がある」という趣旨が、「理論的展開」の可否との関係を含めて、素人にはよくわかりませんが、FAQで同欄掲載のメリットとして、「グローバル — nature.comで管理され、全世界のメディアで報道されるチャンス」とあるように、Natureブランドであることを謳っていますから、一定のレベル以上の論文内容ということは言えるのでしょう。また、インパクト・ファクターのグラフが右欄に載っていますが、急速に伸ばしている様子が窺えます。


 ということで、まず、サイエンス・リポート欄の趣旨、基準、プロセスが概ねわかりました。こういったことを知る前に同欄をくさすようなことは、適当とは思われません。「STAP憎けりゃ、袈裟まで憎い」の類いでしょう。


●それで、榎木氏が言及した八代嘉美氏のツイッターのコメントについてです。既に他で取り上げられているように、榎木氏は、次のように書いて、この八代氏のコメントに言及しています。


「このほか、論文の査読者が一人しかいない等、この論文に様々な問題点があるとの指摘がある。詳しくは幹細胞の専門家のご意見(たとえば八代嘉美さんのツイッターの発言)等で確認いただきたい。」


 何かまとまった意見が載っているのかと思ったのですが、そういうものではなく、単なる文字通りの呟きに過ぎませんでした。


「誰だよこんなデータで査読通したやつは。というかあんな事件のあとでよくこんなの通す気になったなあ。出せば載っちゃうんじゃないのここ…」


 いささか乱暴ないい振りですが、別途、昨年のSTAP細胞発表後の1~2月に書いたブログ記事を読むと比較的冷静な内容なので、このツイッターの内容のトーンとだいぶギャップがあるな、と感じました(どうも、ツイッターというのは、まとまったことを述べるには適しませんし、往々にして、捨て台詞的なものや一刀両断的なものになりがちで、人が変わったような乱暴な印象のいい振りになる場合があるので、自戒を込めて注意が必要だと感じます)。八代氏の昨年初めのブログ記事については、後ほど触れたいと思います。


  それで、上記のツイッターでの八代氏の発言を読んで感じたのは、八代氏は、iMuSCs細胞とSTAP細胞とは同一コンセプトだ」との前提に立っているということです。STAP細胞の件であれだけ捏造データで問題となったばかりなのに、そんな事件のあとで、よくこんな同じようなコンセプトの論文通したな」という意味だと普通は受け止めます。


「あんな事件のあとでよくこんなの通す気になったなあ。」というのは、全く科学的ではありませんが(笑)、「STAP細胞とコンセプトは同じ」ということを反射的に吐露した呟きとして貴重だと感じます。いずれ、論文に対する専門家としてのまとまったコメントが出されることを期待したいところです。


 八代氏のコメント(及びそのツイッターへのコメント)がこういう類いのものですから、榎木氏が、「論文の査読者が一人しかいない等、この論文に様々な問題点があるとの指摘がある。」とするのは適当ではなく、このVojnits論文には多々問題点があるとの印象操作をしているかのように受け止められかねません。実際、Infoseekの記事はそれを意図していることは明らかです。。


 榎木氏の記事は、これに限らず、
  ・「刺激で脱分化」は知られた現象
  ・iMuSCsの方が先
   ・研究不正は消えない


 といった小見出しにみられるように、iMuSCs細胞とSTAP細胞とが共通のコンセプトである可能性もを暗々裡に認めつつ、全体として、STAP細胞のインパクトを極力薄めようとしているように思われます。ここで研究不正の問題を強調することによって、STAP細胞の有無という重要論点を相対化しようとしているように見えるのは、大きな違和感を感じます。


「「刺激で脱分化」は知られた現象」「iMuSCsの方が先」とし、 


「けれど、iMuSCsは2011年の著者らの論文ですでに述べられている。STAP細胞の論文より3年前だ。だから、「STAP現象」をあとから来た人に証明されちゃった、という話ではない。確かにハーバード大学のバカンティ氏らは2000年代初頭から、細い管に細胞を通すことで脱分化が起こるという仮説を言っていたが、たとえ仮説を考えた時期が先だとしても、証明できていないのならなんの説得力もない。」


 としていますが、それを今になって言うなら、STAP細胞の論文発表のときに指摘すべきでないのでしょうか? STAP細胞は、「「細胞生物学の歴史を愚弄している」と一時は思われたほどのインパクトを以て迎えられたわけですから、「iMuSCsは2011年の著者らの論文ですでに述べられている。」というのであれば、「哺乳類における「刺激惹起性多能性獲得」自体は既に部分的に可能であることが指摘されているが、STAP細胞はより完全な形で証明したことに大きな意義がある」というようなコメントを当時しなければならなかったと思います。
 ※ DORAさんによれば、「iMuSCsの方が先」という言説は正しくない由。


 本質的な論点である、STAP細胞やiMuSCs細胞の意義は、次の点にあるのではないのでしょうか?

①既に存在する休眠している幹細胞が刺激によって活性化するのではなく、いったん分化した細胞が刺激によって初期化して、多能性、万能性を獲得したこと。
初期化による多能性、万能性獲得は、植物やイモリ等の両生類では見られたが、哺乳類において初めて実現したこと。


 これらの点に本質的意義があると捉えるのであれば、iMuSCs細胞論文に対するSTAP細胞否定論者のコメントは、焦点がずれている(ずらしている)ように感じられます。
 例えば、次のような趣旨のコメントが、ここしばらくの間になされていたと思いますし、今もなされています。


iMuSCs細胞論文では、既存の幹細胞が活性化したのか、分化した細胞が初期化したのか定かではない。
・幹細胞もどきは、他にも少なからずある。
・「刺激で脱分化」はよく知られた現象で、珍しいものではない。
・小保方氏のSTAP細胞論文は酸による刺激であり、iMuSCs細胞のように物理的刺激ではないから、証明にはならない。
・小保方論文は証明されておらず、撤回されているのだから、iMuSCs細胞で部分的な初期化、多能性が見られたからといって、STAP細胞の上では何の意味もない。
iMuSCs細胞は、不完全な初期化で万能性ではなく部分的多能性なので、完全初期化、万能性があるSTAP細胞が証明されたと騒ぐのはおかしい。生殖細胞にならないから、万能細胞ではない。
・サイエンスリポート欄の論文は、「技術的妥当性」を有するだけで、研究分野における理論的展開に欠けるもの」だ(したがって、価値が低い)。査読も一人だけだ。
・百歩譲っても、研究不正と「STAP現象」ありなしは別次元の問題。
STAP細胞が刺激で初期化し万能性を示すとしても、既に確立しているiPS細胞にとって代わることはない。


 最初は、「刺激による初期化」を否定しようとし、次に「部分的初期化、不完全な多能性」で相対化し、やがて、サイエンスリポート欄の価値を貶めて、更に研究不正やiPS細胞を持ちだして、STAP細胞に改めて注目が行くのを抑止する、という順番で来ているようです。


 冒頭紹介した次の記事では、ともかく、水をかけて注目されないようにしたい一心であることが容易に見て取れます。「一人しか査読者がいない」とか、ちょっとチェックすればすぐわかるような間違いをあえて独り歩きさせて、iMuSCs細胞の意義を過小評価しようとするのは、フェアではないでしょう(逆に、通常の論文は、何人で査読されるのでしょうか?)。


 科学ならもう少し冷静にコメントすればいいと思うのですが、こういった、STAP細胞への波及をどうしても食い止めたがっているように受け取れる不自然な言動が、逆に、今回のiMuSCs細胞のインパクトの大きさを物語っているように感じられます。


●榎木氏の記事は、非常にいいことも述べています。昨年8月に書いたブログ記事の再掲です。

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よいたとえか分からないが、新しい説を提唱し、それをほかの科学者に認めてもらうことは、犯罪の容疑者を逮捕、起訴し有罪にすることに似ている。研究論文は、科学の歴史という法廷に提出する起訴状のようなものだ。
 ある人を有罪にするには、証拠がなければならない。犯行に使った凶器や指紋、DNA鑑定など……どんなに状況証拠がそろっていたとしても、証拠が不十分なら容疑者を起訴することはできないし、起訴できて裁判に持ち込んだとしても、有罪を勝ち取ることはできない。有罪になるまでは、容疑者はあくまで容疑者、つまり無罪だ。
 科学の新しい説も、まずは証拠をそろえて論文という形にして、科学の歴史という法廷に提出する。起訴状である論文に不備があれば、不起訴処分になるし、形式的に問題がなかったとしても、論理に不備があったり、再現性がなかったりすれば、新説が認められない。不十分な証拠では裁判で有罪判決を勝ち取ることができないのと同じだ。(以下略)
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 その通りであり、STAP細胞の存在仮説が、現時点で、小保方氏の論文によって証明されたとは言えないのかもしれません(それでも、検証実験で、丹羽氏がプロトコルエクスチェンジを書く際に見た細胞と同じ有意な発光をする細胞が現れたことは報告されており、ただ、それを注入してキメラにならなかったことを以て万能性が確認できなかったということですが、それは、若山氏があれだけ難しいと述べた注入技術の不十分さによるものだった可能性も多分にあるのではないかとも感じます)。


 しかし、そのように主張するのであれば、STAP細胞が「ES細胞混入」によるものだったと断定する理研の桂調査委報告書とそれをもとにしたネイチャー誌投稿論文についても、同様に扱わなければならないはずです。STAP細胞はES細胞だと主張する「論文」なのですから、反証に耐えなければなりません。


これまで繰り返し述べてきたように、ES細胞では説明できない反証材料が、丹羽氏、笹井氏、かつての若山氏によって指摘されていますから、それに対して、整合的な説明や再反証材料を提示し、立証を矛盾なきものにしなければなりません。榎木氏が述べる次の言葉は、ブーメランとなって、ES細胞混入説、STAP細胞捏造派に返ってきます。 


「ある人を有罪にするには、証拠がなければならない。犯行に使った凶器や指紋、DNA鑑定など……どんなに状況証拠がそろっていたとしても、証拠が不十分なら容疑者を起訴することはできないし、起訴できて裁判に持ち込んだとしても、有罪を勝ち取ることはできない。」(注:ここで有罪と言っているのは、仮説の証明のことです)


そのことに何ら触れないままに(反証材料をことごとく無視したままに)、STAP論文に対してのみ、立証されていないと言い募るのはダブルスタンダードであり、フェアではありません。「現時点では、STAP細胞の仮説も証明されていないが、さりとてES細胞混入との仮説も反証材料を説明できず、証明できていない。現時点では謎を言わざるを得ない」とするのが、科学的公正さではないのでしょうか。


 榎木氏の次の結語は賛成できますが、では、科学界やマスコミが「冷静に問題点を議論」しているかと言えば、そうではなく、榎木氏の記事自体も冷静ではないように感じられます。 


「筆頭著者の小保方晴子さんや、故笹井芳樹さんへの常軌を逸したバッシングは、強く批判されるべきだ。スケープゴートを叩くだけで終わっては、問題が発生するに至った構造が何ら変わらない(拙稿「叩いて忘れる社会」参照)。
 この問題は擁護派、否定派に分かれるような問題ではないはずだ。感情的にならず、冷静に問題点を議論し、今後に生かす、こういう地に足が付いた議論をしていくことが必要なのだ。」