理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

勧善懲悪を科学に持ち込む愚

 
 今月10日発売の文藝春秋に「日本を変えた平成51大事件」という特集があり、その最後の方で、毎日新聞の須田記者が「【平成26年】STAP細胞捏造―科学を貶めた理研と早稲田の大罪」という記事を書いています。
 タイトルは、往々にして編集部が扇情的に付ける例が少なくないので、これもその一つなのかもしれませんが、中身はもちろん須田記者が書いたものです。
 
 内容的に特に目新しい話はなく、須田記者が著書で書いたような話をあらすじ的にまとめたものです。著書の『捏造の科学者』は、理研の検証・再現実験の結果や桂調査委員会報告書公表前の、昨年10月時点でまとめたものですので、出版後のそれらの諸材料を踏まえて、改めて何か追加的に見解をまとめているものがあるかというと、そういうものはなかったと思います。もっとも、大宅壮一ノンフィクション賞受賞の際の挨拶なり、今年春頃の文藝春秋誌での対談等を見ても、特に新しい要素はありませんでしたし、今回の記事で、様々な反証的材料があっても、STAP細胞は捏造だと信じていることが改めて確認されたということかと思います。
 
 須田記者の著書内容については、以前詳細にコメントしましたが、やはり、NHKと同様の問題を抱えていることは否めません。今回の文春記事でもそうです。
 マスコミの大きな病弊のひとつは、自分の取材源に無批判的、盲目的になってしまうことです。NHKも須田記者もそうですが、彼らの取材源である若山氏には、全く批判的というか客観的にみようとする姿勢が見られません。今回の文春記事でも、若山氏の「自分が何をやっていたのかわからなくなった」と述べたことや、若山氏の会見での発表、遠藤氏のトリソミーの指摘に言及し、ES細胞混入を強く示唆するものとし、桂調査委員会報告を以て、「(報告書では断定していないが)故意に混ぜられたのは確実だ」と断定しています。
 理研の調査の組織防衛的な消極的ぶりについての批判は当たっているとは思いますが、早稲田大の姿勢を、理研のデジャブだとして批判しています。小保方氏の「初期段階の草稿を誤って製本・提出してしまった」との主張を「ありえない主張」とし、博士論文について「ずさんな虚構論文が世に出てしまった」と断じています。
 
 典型的な勧善懲悪的記事であり、春秋の筆法による記事とも言えるでしょう。
 言うまでもなく、「悪」は、小保方氏であり、理研であり、早大当局です。「善」は、若山氏であり、遠藤氏であり、「解析作業に献身的努力」をした理研の研究員らです。それらのメッセージを伝えたマスコミも善玉に入っているのかもしれません。
 若山氏は、須田記者にとっては、論文撤回呼び掛け直後に最初に連絡をくれて取材に何回も応じてくれた貴重な情報源でした。NHKにとっては、理研の研究者らは、貴重な生資料を独占的にリークしてくれるやはり貴重な情報源でした。特ダネを提供してくれる情報源は、どうして客観的に見られなくなりますし、自分だけ好意的に扱ってくれれば、感情移入してしまいがちです。感情移入は、本来、報道に携わる記者にとっては大敵のはずです。
 
 しかし、ちょっと突き放して客観的に考えれば、その情報源の人間が言うことに矛盾があることにすぐ気が付くはずです。若山氏でいえば、2月時点でES細胞の混入はあり得ないと縷々インタビューで述べていたこととの矛盾や、自ら一からSTAP細胞作成に成功していることとの関係、ライブイメージング画像との関係、キメラマウスの胎盤の発光との関係、STAP細胞からSTAP幹細胞を作ったという話との関係(ES細胞からES細胞を作ったということになる)等々、科学的に詰めるべき論点はすぐに浮かんでくるはずでしょう。取材をしている点もありますが、「こうかもしれない」という裏付けのない学者たちの推測を並べるだけで、突き詰めて整合をとろうという取材姿勢がみられなかったと思います。
 また、遠藤氏の主張にしても、TS細胞の混合の件は丹羽氏のES細胞とは結合しないとの指摘との関係を突き詰めていませんし、トリソミーにしても、「トリソミーがあるなら生まれて来るはずがない」というところばかりに関心がいきましたが、「ESでは30%の発現なのにSTAP100%発現しているのはどうしてか。STAPの正体がESだったらこの乖離は何なのか?」という疑問は無視します。
 ことほど左様に、科学の問題なのですから、科学的論点の抽出とその解明に向けた取材を進めるのが科学記者のはずなのに、そういう取り組みはほとんどなされず、単純な勧善懲悪論に終始してしまっています。
 
 自分が独占入手した材料については、ことのほか記事化に力が入るその気持ちはわかりますが、それは拡声器として利用されているということに気がつかなければなりません。自己点検委の事務局なのか委員なのかに、「見にきますか?」と誘われて、「願ってもない申し出」として、全頁を写真にとって帰ってきて、紙面でスクープ記事として、大々的に流す…というのを見て、ほくそ笑んでいるのは、リークした人間です。リークする側からすれば、毎日新聞が書かなければ他のマスコミに流せばいいだけですから、リークされた側とすれば、ただちに記事化しなければという焦りが生じます。その結果、その材料を十分に吟味しないままに大きく流すということになってしまいがちです。小さい扱いにすれば、次回からは情報をもらえなくなることは必定です。「独占入手!」とマスコミはよく誇りますが、何のことはない、往々にしてリーク者側に利用され、操作されているだけということを悟らなければなりません(他方で、地道な取材の積み重ねで特ダネに至るケースもあることはもちろんです)。


査読資料の入手も独占的でしたが、著書では、「細胞生物学の歴史を愚弄している」という査読コメントはなかったとして、小保方氏の捏造ではないかと疑っています。しかし、この言葉は、若山氏も、昨年4月の文藝春秋のインタビューの中で言及しています。小保方氏に疑いを向けるなら、若山氏にも取材すれば状況がわかるでしょうに、その取材もしていません。こういうことでは、ともかくすべての材料を小保方氏をたたくための材料にしようとしているような印象を受けてしまいます。
 
NHKにしても然りです。こちらは、須田記者が入手したような点検委報告書、査読資料という基礎資料とは違って、理研の研究員たちのリーク情報です。諸状況からみれば、アンチ小保方的なバイアスがかかっていることに留意しなければならないはずですが、特ダネというだけで、盲目的に流してしまったのが、例の「ESと書いた容器」の件でしょう。時系列的に考えればあり得ない話なのに、あたかも小保方氏がそれを盗んでSTAP細胞を捏造したかのような単純素朴なストーリーの流布に多大な「貢献」をしました。してやったりとほくそ笑んでいるのは、リークした理研の研究者たちです。科学記者的発想で取材せず、(情報の精粗を問わず)特ダネ大事!的行動に終始し、科学的論点の抽出を放棄して、勧善懲悪報道に陥ったがために、放送倫理・番組向上委員会の場で、審判を受けることになってしまいました。いずれ、「マスコミ報道の縮図」として、その問題性を指弾されることになるでしょう。
 
今回のネイチャー誌のiMuSCs細胞の研究発表により、まだまだ曲折を経て展開するであろうSTAP細胞事件の「起承転結」のうちの、「転」のきっかけになりつつあるような印象です。
いつになるかわかりませんが、いずれフィナーレを迎えるときに、振り返って浮き彫りになるのは、様々な人間模様や社会病理のことでしょう。妬み、嫉み、嫉妬、権力欲、名誉欲、自己顕示欲等々・・・これらの人間感情はプラスに働くことももちろんありますが、マイナスに働いて他人を巻き込むことになると悲惨です。それが更に、社会を揺るがし、陰謀にまで発展するとなれば、悲劇です。
人によっては、自分が正義感に駆られて動いているつもりの場合もあるかもしれませんが、そうなると強烈なバイアスがかかりますから、よほど慎重に状況を見極めて判断するようにしないと、かえって有害です。

個人的に強烈な嫌悪の情を催すのは、改革委の委員長はじめとしたメンバー達です。これまで世間に知られていなかった人物連が、何かの巡り合わせで権力的地位に就き、注目を浴びた途端に尊大に振る舞い(こういうパターンは世の中にごまんとあります)、見識も公正手続き的センスもなく、支離滅裂な、しかし破壊的な提言によって、理研CDBという世界的財産に打撃を与え、笹井氏というやはり幹細胞研究の世界的至宝を亡きものにした・・・こんな悲喜劇があるでしょうか?


ノーベル賞学者の野依理事長であれば、ああいう状況であっても、啖呵を切って改革委提言の不当性を訴え、世界の科学界にも呼び掛けて、CDBという至宝を守ることはできたと思います。啖呵を切る材料はいくらでもありました。世界に声を大にして訴えれば、世界中の科学者から支持の声が集まったことでしょう。ノーベル賞学者の理事長であれば、文科省の圧力も跳ね返すことができたでしょう。しかし、野依理事長自らにとって悲願だった特定国立研究開発法人法の成立と指定がかかっているという思いがあったのでしょう、また自らが言い出して作った改革委ということもあったのでしょう、何もアクションを起こすことなく、なされるがままとなってしまいました。退任会見のときに、ぼそぼそと、「研究不正で責任を問われるのは研究者であり、組織の責任が問われることはない」という正論を述べても、何の意味も効果もありません。結局、特定国立研究開発法人法の提出もうやむやとなってしまい、CDBは大幅縮小されてしまった、ということで、不本意すぎる結末となってしまいました。学者としては極めて優秀であっても、組織運営を担う者としては無力だったということです(そういう役回りとなってしまったことは、お気の毒ではありましたが・・・)。
改革委を諌める上では、日本学術会議もその立場にありました。しかし、遠藤、若山両氏に対する讃辞までコピペして、その追認をしてしまいました。日本の科学界の恥をさらしたようなものです。
 
STAP細胞事件」は、社会病理としての「空気の支配」の典型的事例として、後世に記憶されることになるでしょう。世界的に優秀と評価されているはずの日本の科学界が、科学的冷静さをにわかに失い、その科学的価値を客観的に評価することができないままに、科学も法律も放擲して集団ヒステリーに陥り、若き一研究者を人格的非難も含めて指弾し続け、その研究者生命を失わせようとした、そしてその指導をした世界的に名声のある研究者を死に至らしめた・・・これは日本の科学界の汚点となる大スキャンダルでしょう。世界三大不正どころの話ではありません。
 
今後の展開を、更に一層の関心を以て注視していきたいと思います。