【再論】精神科医による一方的「診断」による人格否定の問題性について
数日前に、以下の記事を書き、精神科医による「診断」の衣をまとっている人格批判の問題点について、批判的に述べました。
◎精神科医がマスコミ情報を元に「症状」診断を勝手に行い、広言することは医学倫理上許されるのか?
この記事内容に関連して、次の記事がネットに出ていました。橋下市長に名誉棄損で訴えられて、賠償命令を受けたのは男性精神科医ですが、記事の中では、香山リカ氏による評価についても、香山氏の言葉を引用しながら述べています。
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「判決は「客観的な証拠なく真実と認められない」
この記事に対して、橋下氏は発行元の新潮社などに1100万円の損害賠償を求めて提訴。その判決が15年9月29日に大阪地裁(増森珠美裁判長)であった。判決では、客観的な証拠がなく真実と認められない上、真実と信じた相当の理由もないとして「橋下氏の社会的評価を低下させ、名誉を毀損する内容」だと評価。新潮社側に110万円の支払いを命じた。
「新潮45」の記事から約10か月後の12年8月、野田氏は橋下氏のツイートに1回だけ登場している。維新の会の政治塾に公務員が参加していることを問題視する論調に橋下氏が反論する中で、
「頼んでもいないのに俺の精神鑑定を8流雑誌で勝手にしやがった8流大学教授が勉強不足を露呈していた」
(中略)
と罵倒していた。この時点で、かなり腹に据えかねていたようだ。
香山氏は当時の連載で「病気だとは言っていない」
などと非難。これに対して香山氏は直後にダイヤモンド・オンラインの連載で、
「私は、橋下さん個人が病気だとは言っていません。確かに、大阪市長選挙の際は反対陣営の平松さんを応援する中で、これまでマスコミで報じられている橋下さんの特徴を分析し、そこに見られる心理的傾向を類推する発言はしました。それでも、橋下さんご自身を病気だと『診断』したわけではありません」
と反論している。
橋下氏は、香山氏のどの発言が「診断」にあたるかは明示していない。ただ、香山氏は11年9月17日に開かれた橋下氏を批判するシンポジウムで「病理」という言葉を使っている。香山氏の発言は薬師院仁志氏、山口二郎氏との鼎談(ていだん)の中で出た。この鼎談を収録している2011年11月発行の「橋下主義(ハシズム)を許すな!」(ビジネス社)によると、香山氏は「丁か半か」といった二項対立の構図に持ち込む橋下氏の手法を指摘しながら、
「そういうやり方に対して、迷ったすえにやっぱりそっちが正しいんじゃないか、みたいなためらいを含んだ曖昧さではなく、バトルの構図の中でどっちを取るのかと迫ってくる方が、魅力的に見える。そういうふるまい方というのは、私たち精神科医からすると、ある種の危機や不安を抱いている病理のひとつの証拠だと思えてしまいます」
「つまり黒か白かという判断しかできない人たちを見ると、私たちは、ああこの人自身が今かなり不安に心を占拠されてるんだなと。精神医学的な病理を感じてしまいます」
と述べている。「病理」という言葉は、橋下氏の人格そのものではなく、橋下氏をめぐる社会的状況のことを指しているようにも読める。この点が野田氏との大きな違いだと言えそうだ。」
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●大阪地裁の判決文の詳細がわからないので、この記事で見る範囲ですが、問題だと思われる
「精神科医による診断に名を借りた人格批判(=名誉棄損)」
については、争点となっているわけではなく、橋下氏に対する精神分析の根拠となる事実について、「判決では、客観的な証拠がなく真実と認められない上、真実と信じた相当の理由もない」として、名誉毀損だと判断しているに留まっています。
「増森裁判長は判決で、精神分析の前提となった橋下氏の高校時代のエピソードを検討。当時を知る教諭とされる人物の「嘘を平気で言う」などの発言について「客観的証拠がなく真実と認められない」と述べた。」
そうすると、教諭の発言が事実であると認められれば、この精神科医による精神分析は、人格否定的なものであっても、許されるのか? とも思いますが、その点は曖昧になっています。市長という公人に対する評価ですから、その評価に対する名誉棄損の認定については抑制的に判断されるべきだということは言えるとは思いますが、精神科医による人格否定(罵倒)に等しいような「精神分析の広言」が、医者の倫理として許されるのか?という点は、別途の次元の問題として、検討される必要があると感じます。
香山氏は、この点に関連するところでの次の発言は、「私は『診断』したわけではなく、心理的傾向を述べただけだ」としていますが、逃げているように思います。
「これまでマスコミで報じられている橋下さんの特徴を分析し、そこに見られる心理的傾向を類推する発言はしました。それでも、橋下さんご自身を病気だと『診断』したわけではありません」
●しかし、小保方氏に関する評価は、明らかに「病気」だと「診断」しているように見えます。「診断基準」に基づいて「障害」(=「病気」)だとしているのですから、それはどう見ても「診断」でしょう。
「私は昨年、小保方氏に関して、ご本人には大変失礼な話だが、『自己愛性パーソナリティ障害』なのではないかと説明した。もう一度、その診断基準を、世界で使われているガイドライン『DSM-5』から挙げておこう。」
それでは、
①ここに記載されているガイドラインの各項目のどれに小保方氏が該当すると考えているのか?
②該当すると信じるに足る具体的・客観的根拠が示せるのか?
という疑問をすぐに抱きますが、香山氏は説明することができるのでしょうか?
相当主観的な要素が強いガイドライン内容のように思いますので、橋下市長への名誉棄
損が認定されたように、ガイドライン該当判断を支える「客観的証拠」など、示すことはできないように感じます。
●まとめると、香山氏の言動は、次の点で問題といえるでしょう。
①橋下市長が批判した通り、「一度も面会もせずに診断できるのか?」
②精神科医として、「診断」にしろ、「心理的傾向の類推」にしろ、面会して臨床診断もせずに、「患者」から依頼されたわけでもないのに、マスコミ報道だけを鵜呑みにして、病状、病理的所見を一般向けに広言することが、医学倫理として許されるのか?
③小保方氏に対する「自己愛性パーソナリティ障害」との「診断」の根拠となる客観的証拠を示せるのか?
④橋下市長からの批判に対しては、「私は診断していない。心理的傾向を類推しただけだ」として、名誉棄損の指摘から逃げる一方で、小保方氏に対しては、明確に「障害」だと「診断」していることについて、どう整合的説明ができるのか?
他の精神科医は、小保方氏を「空想的虚言症」と評価していますし、どうもマスコミに頻出する精神科医たちは、自分が批判したい相手に対して、適当な「病理」「障害」を作って、それに該当するのだとして、実質的に人格罵倒に等しいことをしている印象が強くします(サイレント・マジョリティは、まっとうな精神科医の皆さんたちだと思いますが・・・)。
マスコミは、それが自ら誘導したい報告に合致する内容ですし、ともかくキャッチコピー的に使える「障害診断」をしてくれますから、特に問題視することなく、嬉々として?そのまま載せています。
しかし、実質的には、これも一種のヘイト・スピーチだと思います。自分の都合の良し悪しで、ヘイト・スピーチのレッテルを貼ったり貼らなかったりするのがマスコミであり、ここにも、いつもの「ダブル・スタンダード」という「病理」が表れています。
政治家などの公人は、かなりの辛辣な批判・非難にも耐えなければならず、それを安易に名誉棄損で訴えたりはするべきではないとも思いますが、かといって、精神科医が政治家以外の者に対して、安易に人格否定・罵倒に近いようなことを、精神分析、診断の名を借りて行うこともまた、慎重に行われる必要があると思われます。