理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

精神科医がマスコミ情報を元に「症状」診断を勝手に行い、広言することは医学倫理上許されるのか?


 ふと思ったのですが、精神科医による、精神医学的分析の名目で行われる評価というのは、どう扱われるべきなのでしょうか・・・。

 そう思ったきっかけは、BPO(番組・放送倫理向上機構)の放送倫理委員会の委員名簿を見たときに、精神科医香山リカ氏の名前があったことです。

 そう思ってこのブログ記事で書いてみよう、と思っていたら、すでに数日前に、
 「小保方氏の不正報道を追及する有志の会」のサイトで、香山リカ氏の発言が取り上げられていました。

 内容は重複する点もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

 香山氏は、小保方氏について、2014年12月のスポーツニッポン 2014年12月20日付け)に、次のようなコメントを載せています。

■ 香山リカ氏 小保方氏の心理状況分析「“できた”と現実がすり替わった」


10カ月以上にわたり、日本中を騒がせた「STAP騒動」はいったい何だったのか。精神科医香山リカさんは「小保方さんという一人の凄く個性的な方の“夢”と、iPS細胞に負けまいとする理研をとりまく“現実”の思惑が不幸な形で出合い、出来上がってしまった茶番だったのではないか」と指摘した。

 また、小保方さん自身については「メディアを通じての彼女しか知りませんが、意図的にうそをついて世の中をだましたとは言い切れない」と分析。「人類を救いたい、人のためになることをしたいという理想を持っていて、夢を追い求めているうちに、近道として万能細胞と出合い、“やるしかない、やらねば”が、“できるはず”と確信となり、“できた”と現実とすり替わった」との心理的状況を指摘した。

 さらに、会見などで使った「夢の若返り」「プリンセス細胞」「魂の限界」という一連の小保方さんの表現に注目。「表現力が豊かで、そこにある種の才能は感じる。吸引力もある方。もう少し傷が浅ければ、科学の面白さを伝えるとかエッセーを書くとか別の道もあったのでは。ただ、笹井さんの自殺など、一連の騒動をめぐる傷が大きすぎて(今後、メディアなどへの)露出は難しいのでは」とした。

● また、最近では、
 「五輪エンブレム問題に見る「佐野氏と小保方氏の違い」」

 という記事を週刊誌のSPAに載せています。
  そこでは、小保方氏も佐野氏も、「自己愛性パーソナリティ障害」だと「診断」しています。これは、

 「臨床的に言えば、ほとんど妄想に近いファンタジーを確信している人々を指す。」
 「誇大性(空想又は行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広汎な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。」

 のだそうで、具体的所見として、9つの症状のうち5つ以上該当する場合には、この障害があると説明しています。

 その所見として、9点が挙げられています(コピ&ペーストができないので、上記の記事を直接ご覧ください)。

 何か、「精神科」の医者としての「臨床的」診断といえば、もっともらしく聞こえますが、そういう「精神科」的所見という体裁をはずしてみれば、

   単なる人格的中傷ではないのか・・・?!

 というのが、正直な感想です。
  仮に、自己愛性パーソナリティ障害」というものが、精神科における障害として学問的に定着している病状の一種だとしても、医学である以上、その臨床的診断は、患者(及びその家族等)との一対一での診療の場においてなされ、患者に告げられ、加療がなされるということなのでないのでしょうか?
 あるいは、せいぜい、人々に精神科的症状の自覚を促すために、チェックリスト的に該当項目を公衆向けに示すというのはあるでしょう。

 ところが、精神科医たるものが、診療を求めてきたわけでもない相手を、勝手に患者扱いして、マスコミ情報という皮相な情報だけを元に(!)、自己愛性パーソナリティ障害」だと決めつけ、しかもそれをマスコミで広言するという行為は、医学上の倫理として許されるのでしょうか?

 こういった、いわば「押し付け診断」を行い、「診断結果」をマスコミで広言するという行為は、単に香山氏だけではありません。
 次のブログ記事をみると、ほとんど罵詈雑言と見分けがつかないような「診断」をマスコミ相手にしている精神科医が少なからずいるということがわかります。小保方氏を「空想虚言症」だと「診断」している精神科医もいます。

 「診断」内容がセンセーショナルだけに、マスコミも飛びつきやすいのでしょうが、こんな行為が罷り通っているのは、医学の世界では、精神科くらいではないでしょうか? 他の医学分野であれば、「診断」内容は、癌とか肺炎とか胃潰瘍とかの中立的病状表現になりますが、精神科の分野では、自己愛性パーソナリティ障害」という「病状」に見られるように、人格の欠陥の有無に亘るような診断内容になりますから、より機微度が上がります。したがって、よりその診断の扱いについては、プライバシー、名誉の観点からも慎重の上にも慎重を期する必要があると思われます。

 香山氏は、冒頭の記事で、「小保方さん自身については「メディアを通じての彼女しか知りませんが」と述べていますが、それだけの皮相的な材料をもとに、こういう人格的中傷ではないかと思えるような「診断」を、マスコミ相手に広言する方が、よほど無神経で、病気ではないかと思いたくなります(「強迫的診断広言欲求肥大症」?)。

 精神科的所見の「衣装」をまとっていても、客観的には、名誉棄損になってしまいかねず、当の相手が深く傷つくということにもっと思いを致してもいいのではないでしょうか? 

 そういう社会倫理に反するようなことを何らの疑問もなくやってしまうような人が有識者扱いされ、放送倫理委員会の委員として、放送倫理的問題の有無を判断するというのは、ブラックユーモアのようなもので、果たして適切といえるのか、はなはだ疑問です。

 また、こういったマスコミにしばしば登場する精神科医の人々によってレッテルを貼られるような人々が当事者になって、BTOに放送倫理違反で訴えてくるようなケースは、可能性としてあり得ます。実際、佐村河内氏などはそうでした。
 小保方氏の場合も、場合によっては、今回の人権委員会ではなく、放送倫理委員会に申立てを行う可能性もあり得ます(今年3月の、桂調査委による小保方氏のヒアリング内容に関するNHKニュースの件)。

 そういう場合、香山氏は委員として審議に加わるのか?という問題があり得るでしょう。STAP問題に関して、一定の事実認識に立って小保方氏に「診断」を下して広言しているわけですから、その前提となる事実認識に関する点が争点となるような事案であれば、その審査からは外れるというのが、一般的進め方ではないかと思うのですが、そういった一般ルールがあるのかどうか、知りたいところです。

 いずれにしても、精神科医の行状については、医学倫理の観点からレビューされ、一定の行動規範が検討されるべきではないかという問題意識は、もっと共有されていいのでないかと強く感じます。