理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

STAP細胞問題の議論が噛み合わない科学的とは思えない現状

話は飛びますが、どうもSTAP細胞問題に関する議論で理解できないのは、次のような主張の仕方です。
 
○「桂調査委の結論がおかしいというなら、STAP細胞があると証明してみろ」
○「STAP論文は撤回されたのだから、科学的にはゼロに戻った。だから、議論しても仕方がない。」
 
 前者はSTAP細胞の存在は証明できていないことは確かですが、桂調査委の調査の内容や結論について疑義を提起することは、それとはまた別の話です。桂調査委は、科学的検証を行ったとして、あれはES細胞だったと「ほぼ断定」してわけですから、その断定根拠、過程や、反証材料との整合等について疑問な点があれば、それはSTAP細胞の存否の証明とは独立した課題として、議論の対象になりえるわけです。
 (注)以前のブログ記事
 「桂調査委の「ES細胞混入仮説」は、「その真実性を疑いの念無く述べることができない。」

 STAP細胞の存在を証明しない限り、桂報告書への批判は一切罷りならん、なんて話になるはずがないというのは、冷静に考えればわかる話です。そして、桂調査委は、現在、世界に対して説明できるように論文のような形にまとめて公表すると、たしか会見の時に述べていたはずです。それに対する批判は(STAP細胞の証明をしない限り)一切してはいけないということなのでしょうか?
 STAP細胞の証明もできていないが、かといってES細胞だとの証明もできていない=反証材料に対する整合的説明がなされていない、したがって、現時点では科学的真相は不明である、というのが現状だと思います。
 
 後者は、論文が撤回されたから科学的にゼロに戻るのだというのであれば、撤回された論文に対して検証することも科学的に意味がないということになってしまいます。桂調査委は、論文の不正調査だけでなく、科学的見地から検証したと言っているのですから、それもおかしいということになってしまいます。桂委員長の会見の冒頭の説明は次の通りで、不正調査のほうがむしろ従だと言っているのです。
 
「最初の調査委員会の後、主に理研内部でいろいろな科学的調査が行われて、データが溜まってきました。・・・報告としては、主に科学的調査が主体だが、論文についても調査した、論文の製作過程についても調査した。科学的調査としては、理研の各所の人が、自浄作用だと思うが、いろいろデータを出してきたので、それを第三者の目でどうかということをやった。」
 
 遠藤論文は、撤回されたSTAP論文を元に新解析手法の有効性を説明しているのではないのでしょうか(詳しいことは理解できないので、こういう言い方は不正確かもしれませんが)。
 それに、STAP論文の撤回時の理由は、「STAP 幹細胞に関する現象の真実性を疑いの念無く述べることができず、これまでに見いだされた過誤が多岐にわたる」ことか書かれていますが、その過誤のうちでは、「ドナーマウスと報告された STAP 幹細胞では遺伝背景と遺伝子挿入部位に説明のつかない齟齬がある。」との「過誤」が最大のものだったわけです。しかしこれは、例の若山氏の誤った解析結果によるものだったわけで、そうすると、あの時点で、ネイチャー誌や欧米の科学者が相場として考えるような撤回理由(笹井氏や西川氏が言う「根幹の部分で結論が間違っているのが見つかった場合」)が本当にあったかといえば、なかったということではないのか、と思います。ですから、結果として間違っていた若山氏の解析を主たる理由に撤回されたものを、「撤回されたから科学的にゼロに戻った」と言うのも妙な議論に聞こえます。
 
それに、特許出願はまだ生きています。自主点検委報告書にも書かれている通り、論文に掲載された図表等が多数、特許出願の明細書に盛り込まれています。科学は何も、論文の世界だけではありません。産業上有益な新知見であれば、世に問う手段として特許もあります。科学的発見、新知見を、自由利用が可なものとして論文の形で公表するか、独占利用の対象として特許の形で出願するかの差であり、科学的新知見の公表行為という点では変わりはありません。特許出願が生きている以上、STAP細胞の問題が科学的にゼロに戻っているわけでないことは、この点からも明らかです。
 
STAP細胞説への疑問、ES細胞説への疑問、それぞれ当然あり得るわけで、それらについて様々な仮説を立ててみて、諸材料の整合がとれるかどうかの検証をしながら、煮詰めていくというのが科学の進め方ではないのか、と思っているのですが、疑問をさしはさむこと自体、議論をすること自体、科学的に無意味といって封殺しようとする今回のSTAP否定派の論者の主張の仕方には、頭をひねるばかりです。「然るべき公的な委員会の調査結果に対して、軽々に批判することは名誉棄損だ」とかいう話まで飛び交っているのを聞いて、たまげました。
科学者たちからそこまで冷静さを失わせる「何か」が、STAP問題にはあるようです。
 
イモリやプラナリアの、あの驚異の再生能力は何なのか? 切断するような強烈な物理的刺激を与えたら、そこが万能性を発揮して元に戻る、プラナリアなぞは切った数だけ独立したプラナリアになるなど、物理的刺激と細胞の万能性の発揮との間には、何かがあることは確かなわけで、その解明に向けての何かヒントがあるのかもしれないと、STAP細胞に期待した人々の頭の中には連想が働いていると思うのですが、そういった科学的ミステリーの解明に向けた議論、発想は皆無に見えます。あのSTAPの実験や論文の中に、何か手掛かりになるようなことはないのだろうか?と素人としては思いますし、そういう問題意識が、STAP細胞問題をフォローする心理的インセンティブにもなっています。


科学の歴史は、「非常識だ!」「あり得ない!」との「その当時の常識」からの非難、攻撃の歴史でもあったわけですので、今後の科学的解明を期待して待ちたいと思っています。