理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

「論文撤回」の相場観の違い-ネイチャー誌の意外なスタンス

STAP細胞問題が大きな問題となった背景のひとつとして、「論文撤回の相場観」の認識違いがあるような気がします。

 今日の読売新聞に、ノーベル物理学賞受賞の益川教授のコメントが載っていました。

 

◎益川教授「理研のSTAP宣伝が間違い」と批判

読売新聞 20150411 0709

ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英京都産業大教授が10日、同大学で5年ぶりに授業を行った。益川教授は、STAPスタップ細胞の論文不正問題に触れ、「理化学研究所は、論文が予算獲得に使えると思い、宣伝した。それが間違い。だから、変なことが起こった」と理研を厳しく批判した。

授業の最後に、学生から「科学者の倫理観」の質問を受け、回答する中で語った。益川教授は、研究不正はなくならないが、必ず見破られるとの見方を示した。その上で「(STAP問題も)放っておけば自然淘汰されたのに理研は元研究員がやったことを使えると考えた。政治的に利用しようとした」と述べた。」

 

 「放っておけば自然淘汰された」という指摘については、西川元CDB副センター長も全く同じことを述べています。

 
(「捏造が問題となるのは2つのパターン。1つは生命にかかわる提造です。かつて12人の自閉症患者を調べて、皆、3種混合ワクチンを打っていたために、3種混合ワクチンが自閉症を誘発するという論文。3種混合ワクチンは危険だとして、接種を受けさせなかったがために、子どもが死ぬ可能性かある。もう1つは、国中が夢を見る狸造です。1930年代に英国のピルトダウンで化石人骨の「発見」。」・・・との趣旨の説明の後)

「韓国の「黄教授の場合、山中伸弥さんがiPS細胞を発表するまで生命科学分野の研究の停滞を招いたと言われています。それに比べれば、小保方さんのSTAP 細胞の影響はずっと小さい。 誰も考えもしないことを言っただけですから。

私はいつも言っているのですが、追試できなければ科学の世界では消えていきます。STAP細胞も追試で再現できなければ、自然に消えていく。だから、人の生き死ににかかわるようなものでなけれは放っておけばいい。これまで出された論文にも、そういうものは掃いて捨てるほどあるのですから、捏造ということについてはもう少し冷静に捉えてもいいのではないかという気はします。」Think!誌(東洋経済刊)2014No.51

 

「再現できない実験は放っておけばいい。そんな論文は掃いて捨てるほどある」という指摘は、外部の人間には意外に感じます。ネイチャー誌論文の医学関係?の論文の2~3割は実は再現できないものだという指摘は、早い時期になされていたかと思いますが、医学関係に限らず、そういう相場だということが、お二人の話から感じられます。

 

 小保方論文への疑問がネットで出回り、若山氏が310日に論文撤回を呼び掛け、「自分の研究室のマウスからはあり得ない」との「第三者機関」の解析結果を元にした記者発表により、マスコミと世間は、論文撤回は時間の問題であるかのような雰囲気でした。

 「少しでも間違いがあったらそれは放置しておくべきではないし、再現できないのであれば、間違いの可能性が高いのだから撤回すべきだ」という考えは、潔癖な日本人の心情に合います。ですから、疑問が出された今回の論文にしても、ネイチャー誌も当然に、小保方氏やバカンティ教授が撤回に同意しなくても、職権による撤回を視野に検討がなされているのだろうという受け止め方が一般的だったような気がします。遠藤氏のトリソミーの指摘や、若山氏の6月の記者発表があって、世間やマスコミは、小保方氏が撤回に反対し続けても、職権による撤回がなされるのではないか・・・という「期待」というか「確信」というか、そういった処断をするのではないかという受け止め方が多かったような気がします。


 しかし、72日のネイチャー誌での論文撤回の公表内容は、意外な感がありました。単純に、著者側から撤回理由をつけた申し出があったので撤回した、というだけに留まるものでした。ネイチャー誌としての判断は実質的にしていません。

 

 その辺の違和感が、ずっとあったのですが、須田記者の本の中に、笹井氏がネイチャー誌から言われた話が書いてあったので、大変驚きました。これは、昨年314日早朝時点で、笹井氏からのメールでの説明です。

 

「一方、論文撤回についての笹井氏の見解や説明は、一週間の間にも微妙に変遷していった。理研の会見があった三月十四日早朝のメールでは、「今回のような場合の最終合意形成は、時間がかかると思います」としたうえで、「正直、事態の展開についてゆけないほど、めまぐるしさに困惑しています」と明かし、同日朝刊で笹井氏と小保方氏が撤回に同意したと報じた他紙の記事については、「正確ではない」として、次のように説明した。

-――撤回の是非についてハーバード大学を含めて議論しているのは確かだが、「すべてはまだ相対的」であり、どんな場合に撤回すべきかは立場によって違う。ネイチャー側からは十三日、「撤回は今後の立証をほとんど不可能にするので、くれぐれも慎重に」という忠告を受けた。笹井氏はSTAP論文には支援する立場で参加したため、複数の共著者が撤回を主張するなら反対しないが、バカンティ氏のような主要著者の思いがもっと深いのは理解できる。小保方氏は両者の「板挟み」だが、いま現在、決断したかどうかは把握していない。

欧米の研究者にとって、根幹の部分で結論が間違っているのが見つかったか、世の中で一定の期間が過ぎても全く再現されないか、どちらかのケースに該当する場合以外、考えられないということだP93

 

「ネイチャー側からは十三日、「撤回は今後の立証をほとんど不可能にするので、くれぐれも慎重に」という忠告を受けた。」??!

 
 さらっと、たった1行書いてあるだけですが、仰天でした

「疑惑」がネットで盛んに取り上げられ始めた、314日というまだ早期の時点とはいえ、ネイチャー側は、撤回には慎重だったというのは大変意外です。素人からすると、「間違いがそんなに指摘されているのであれば、さっさと撤回して出直してこい」というスタンスなのでは?と思いますが、そうではなく、

 

 「撤回は今後の立証をほとんど不可能にするので、くれぐれも慎重に」

 

 というように、「問題があるとしてもその立証のためにも、撤回すべきでない」という意味だとすれば、それはまるで、思考のベクトルが異なります。

 しかし、そういうネイチャー側のスタンスを紹介するメディアはありませんでした(私の見落としでなければ、ですが)。須田記者にしても、こういう重要な話を笹井氏から聞いておきながら、記事にもしないというのはおかしなことです。あの頃は、マスコミは、ネイチャー側には、「当然撤回の方向で検討しているんだよな? いつ職権撤回するんだ?」という相場観の下に取材をかけていたような印象です。

 

 ネイチャー側がこういうスタンスであるならば、西川氏や益川氏が、「再現されない論文は自然淘汰されて忘れられるだけだ」と述べることとも整合します。

そして、「欧米の研究者にとって、根幹の部分で結論が間違っているのが見つかったか、世の中で一定の期間が過ぎても全く再現されないか、どちらかのケースに該当する場合以外、考えられないということだ-―。」という相場観とも合致します。

 

 論文撤回をめぐるマスコミ報道には、思い込みによるかなりのバイアスがかかっていたということではないのでしょうか?