理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

理研の野依理事長の記者会見録を読んで


 野依理事長の会見の記事がいくつか報じられています。
 以下のような野依理事長の回答については、筋としても正しいと思います。それに不服そうなマスコミのセンスが逆におかしいと感じます。
 
「(科学界が求めたのは検証実験ではなく、不正の有無を解明することではなかったか、との問いに対して)両方あったと思う」
「一般的に大学でも公的研究機関でも、自律的な研究をやるところでは組織の長が引責辞任というのは皆無だ」
「私に対しても理事に対しても、新たな処分は検討していない」
「多額の研究費が投入されるようになり、社会から費用対効果について明らかにするように求められており、一定の成果主義は避けられない。」
 
 事は科学の話であり、理研として成果をPRし、特許出願もしている中で、その科学的真相解明を行おうとして、再現実験とは別途、検証実験を行うことを批判される言われはありません(当初、再現実験をさせずに、論文だけの「不正調査」にとどめようとしたことは問題がありましたが・・・)。


 東大で不正事件が立て続けに生じトルコ人研究者が盗用論文で学位を取得し、しかも准教授にまでなっているというスキャンダルもありましたが、それで東大総長が辞任したり、不正が起こった学部なり研究所なりが解体されるべき、などの議論は出ませんでした。研究倫理教育をしっかりやり、不正が発生すれば、すみやかに調査委を立ち上げ、論文と資料とを精査し、再現実験もさせつつ結論を出すという既定の対処をしっかりやることで責任を果たすというのが筋です。理研の場合、初動対応に大きな混乱があったことは確かですが、しかしそれは、文科省側の指示が混乱したことにそもそもの原因があります。そういうことは口が裂けても理研としてはいえないでしょうが・・・。


 処分は二重処分の禁止が、人事の基本中の基本です。実質的に引責の面はあるとは思いますが、原則としては処分は既に終わっている以上、野依理事長が引責を認めるはずがありません。むしろ、モニタリング委評価委で、お墨付きを得たことにより、野依理事長が悲願としていた特定研究開発法人法案の提出と指定もほぼ確実となりましたから、ご自身の役割は果たしたとして、区切りを付けるという考え方は、ごくごく自然な説明です。


 成果主義だけでなくじっくりと腰を据えた基礎研究が重要ということは正しいと思いますが、だからといって、成果主義を諸悪の根源のように言うのも正しくありません。企業にしても、多額の研究開発費を投じていますが、一定期間内での成果=商業化のための成果を求めています。大学や公的研究機関においても、ある程度はそういう仕組みは仕方ないでしょう。提案公募による研究であれば、期限は決まっていますから、時間との勝負です。
 
 ただ、一点だけ、これは今、理研が置かれた立場、状況からすれば仕方ないのでしょうが、STAP細胞の研究は「虚構だった」ということを述べ、共著者の若山氏や笹井氏がその「虚構を拡大」したという言い方をしていることが残念です。
 桂調査委では、「ES細胞であることが、ほぼ確実」ということでしたが、モニタリング委評価書では、「虚構」と断定され、野依理事長の発言もその言葉を使っています。
 笹井氏のことも「虚構の拡大」を防げなかったとして批判している形ですが、しかし、それを言う前に、4月の理研としての公式記者会見で、笹井氏が配布し詳しく説明した「ES細胞では説明できない材料」との整合が、桂調査委報告書のES細胞混入説」ではとれないことは、誰でもすぐに気がつくはずですし、改革委提言が、笹井氏がそれらの材料を示して「STAP仮説が依然として最有力な仮説」と述べたことを批判していることに対して、科学の世界での話としておかしい、ということにも、すぐに気がついたはずです。・・・・しっかり読み込んでいればですが・・・。


 せっかく、STAP細胞問題の科学的真実に迫る材料を提示してくれた笹井氏を、鞭打つような発言をし、科学の世界なのに、善玉悪玉論で論じるような社会の風潮に結果として乗っているような構図になっていることは、残念としかいいようがありません。
 しかし、理事長ともなるとおそらく、研究者の感覚からすれば雑務の塊でお気の毒だったとおもいますが、それでも特定研究開発法人法制定の必要性について旗を振ってその実現に多大な貢献をしたことは、特筆されるべきだと思います。今後、研究者として、日本の科学技術水準の引き上げに、リーダーシップを発揮していただきたいと思います。
 
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【会見録抜粋】
 
理研・野依理事長「STAP不正は現場の責任」
日刊スポーツ[2015324914分 ]
 
 STAP細胞論文の研究不正問題に関連し、理化学研究所野依良治理事長は23日、埼玉県和光市の同所で会見し、STAP問題の最大の責任は「現場の研究者にある」と述べた。
 「小保方(晴子)さん(元研究員)はもちろん責任重大だが、それを防げなかったチームに大きな責任がある」と指摘。論文共著者の若山照彦・山梨大教授に対し「(小保方氏の発案を)手伝うはずが、むしろ虚構を拡大したところがある」と、厳しく指摘。「腕の立つライターで、論文を世に出した」と、昨年自殺した笹井芳樹氏にも触れた。
  チームを束ねる理研の責任を「組織としての責任もある」と認めたが、「チームとして何回か議論すれば防げたと思う」。あくまで現場の責任だと強調した。
  不正発覚後、後手に回った理研の対応については「結論を出すことに最善の努力をしたが、慎重を期した。(小保方氏という)一般の関心事と(調査の)スピード感に乖離(かいり)があった」と、認めた。STAP問題を追及した毎日新聞の女性記者から、理研の対応は自己採点で何点かと質問されると、「あなたは何点と評価するのか。20点か」と記者に逆質問。「5点くらいです」と返されると、言葉を継げなかった。
  会見に先立ち、下村博文文科相は、野依氏の後任人事を今日24日の閣議に提案すると表明。退任が決まった野依氏は、「人事の話はできない」と最後まで答えを拒んだが、引責辞任だと指摘されると「一般的に、大学でも研究機関でも(研究不正で)組織の長が引責辞任するのは皆無だ」と、強い調子で否定した。(以下略)」
 
 
●野依理研理事長会見の一問一答「STAP問題、最大の責任は研究者」「研究自体が虚構だ」
産経新聞 2015年3月24日付け
 
 STAP(スタップ)細胞の論文不正問題をめぐり、理化学研究所が進めた再発防止のためのアクションプラン(改革計画)に対する外部委員会の評価などを受けて会見した野依良治理事長(76)の主な一問一答は次の通り。
 
 --この1年余りの対応についての評価を
 「STAP論文の疑義について、当初は図版の取り違え問題に過ぎないとして、研究成果は揺るがないとの対応をしたことは反省している。一般社会のスピード感と私たちが善しとするスピード、価値観に乖離があった」
 
 --研究に使った試料の調査や論文の二次調査に踏み切るまで、何度も「再調査しない」と言っていた
 「当初は単純な画像の取り違えだと思ったが、昨年3月に(筆頭著者の小保方晴子氏の)学位論文の画像が転用されていたことが判明し、大変なことが起こっていると考え始めた。どこまで真相を解明するか、研究者社会にもいろんな考えがある。論文が撤回されれば、その記述はなかったことになるので打ち切る、ピリオド(終止符)という考えは主流だ」
 
 --再調査しないと言ったのに、STAP細胞の有無に関する検証実験は進めたことに批判もある
 「当時はいろんな考えが錯綜していた」
 
 --給与を自主返納したが、トップとしての責任は
 「昨年8月にアクションプランを提出した際、大臣から年度内に取り組みの全てを実施するよう言われ、今日に至るまで責任を全うすべく続けてきた。一般的に大学でも公的研究機関でも、自律的な研究をやるところでは組織の長が引責辞任というのは私は皆無だと思っている」
 
 --自身の意向は
 「組織的に責任が十分果たせなかったため、理事に厳重注意し、私も給与を自主返納した。私に対しても理事に対しても、新たな処分は検討していないとしか話せない」
 
 --理事への厳重注意は何に対するものか
 「組織としてSTAP問題を防ぐことができなかったこと。事後対応にも若干の瑕疵(かし)があった」
 
 --科学界が求めたのは検証実験ではなく、不正の有無を解明することではなかったか
 「両方あったと思う」
 
 --誰がどんな動機で、胚性幹細胞(ES細胞)を混入させたか分かっていないが
 「何をもって真相とするかだ。STAP細胞はES細胞の混入であり、研究全体が虚構だったということが最も大事な結論。行為者を特定すべきとの声があるのは承知しているが、詳細な検討の結果、法的な措置を行わないとの結論に至ったと認識している」
 
 --STAP問題はなぜこれほど、社会問題化したと思うか
 「良いか悪いかは別だが、一般社会の関心事がある。米国から来た若い女性(小保方氏)の華々しい成果を広報した。これは理研に若干責任があるが、大きな期待を持たせた。いろんな意味で社会から大きな期待を最初に持たれたということではないか」
 
 --STAP細胞の研究は虚構だった。最大の責任者は誰か
 「自律的な発想に基づく研究なので、研究者に大きな責任がある」
 
 --小保方氏か
 「チームとして大きな問題がある」
 
 --STAP問題だけが飛び抜けた不正というわけではないという受け止めもできるのか
 「私は不正問題に比較級はないと思う。正しいか正しくないかだ。社会にもたらす影響はまた別。社会的影響、科学界への影響は不正論文によるし、判断も人により違うだろう」
 
 --社会への説明についてどう考えているか
 「今後、理研だけでなく科学社会全体として、皆さん方と何をどう対話していくか考えていかねばならない」
 
 --問題が起きたときの対応は
 「普段からの対話がまず大事ではないか。改革への道筋がついたということだが、大事なのはビルド・バック・ベター、つまり以前よりも良いものにしていかねばならない。不正防止をして今後、科学技術の振興に貢献できれば、この事案があったかいがある。理研だけのためではなく、他山の石として、広く社会で活用していただきたい」
 
 --一般社会の関心事とスピード感について
 「世間は早くしろと言うが、検証は高水準の確度がなければ発表できない。一般社会の関心事は、若い女性研究者が華やかにデビューしたことと関連があるだろう」
 
 --行き過ぎた成果主義への対策が改革計画にないように思うが
 「多額の研究費が投入されるようになり、社会から費用対効果について明らかにするように求められており、一定の成果主義は避けられない。ただ論文至上主義は避けなければいけない。将来の波及効果も見据えた判断が必要だが、難しい。研究不正の蔓延の背景には、成果主義があることは承知している。若い研究者の精神的負担を取り除く、さまざまな方策はとらねばならないと思う」