理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

デュープロセスの重要性を知らない日本の科学界-STAP細胞問題への反応で学術会議の権威は失墜

 
 今回のSTAP細胞問題では、日本の科学界の病理のようなものが顕在化したことのほうが、よほど深刻だと感じます。それは、繰り返しになりますが、改めて整理すると、
 
①遠藤氏はじめネット世論で指摘されたことをきっかけに、「捏造・改竄だ」の空気が一気に醸成され、マスコミのみならず、科学界までもそれに無批判的に同調してしまったこと。

②ネットでの指摘にもっともな点はあるとしても、それを踏まえてもなおSTAP現象は有力仮説であるとして笹井氏らから提示されている材料について、何も科学者側から科学的反証がなされていないこと(反証をしようとする試みさえなされていないこと)。

③遠藤氏、若山氏らが指摘する問題点、捏造だと主張される際の根拠が、科学的整合性がとれていないことや、笹井氏らが提示しているSTAP仮説の根拠に対する反駁材料になっていないこと、若山氏自身が2月のインタビューで述べたことと整合しないこと等について、科学界は検討も説明もしようとしないこと。

理研調査委員会が、「捏造・改竄」の定義を歪め、本来の意味と全く乖離した捉え方により不正認定していることに対して、誰も疑問と思わずに、それを既定の結論として扱っていること
 ※個人パソコンに複数の実験データを入れて十分整理していないことを以て、「間  違って配置してしまっても構わない」という「未必の故意」論で「捏造」認定すると   いう超弩級の飛躍的論理展開をしていること。これでは、脇見運転して死亡事故  を起こしたら、業務上過失致死罪ではなく殺人罪に問われることになってしまい   ます!。
 ※また、「改竄」についても、本来は実験データを架空のものに意図的に入れ替え  て、自らの望む方向に結論を誘導することのはずですが、実験データは存在し、  合成した複数画像を元の画像に戻しても、実験結果に変わりはないにも拘らず、  また、わかりやすくすためだったとの説明に顧慮を与えず、画像を複数合成した  ことは意図的に行ったから「故意で実験データを操作したのだ」として不正認定し  たという代物です。「意図的」の実質を、「見やすくするためにという意図」である
  ものを、あたかも「実験データの意味を有利にする意図」であるかのようにすり替
  えてしまっています。
   マスコミで取り上げられたサイエンス誌から「複数画像を合成したのなら、間に  線を引け」という指摘をされていたということにしても、実験が架空だったり、実験
  結果の意味するところを歪めていたわけではありませんから、本来の「改竄」とは  関係のない話です。

理研改革委の提言が、「不正の有無を調査せよ」「不正があったとして誰が主体かを明らかにせよ」「論文通りにSTAP細胞ができるか確認のため、小保方氏自身に再現実験をさせよ」と提言する一方で、第三者の検証もされておらず他の事象との科学的整合性も説明されていない遠藤氏の主張、結果的に誤りだった若山氏の主張を鵜呑みにして、「前代未聞の不正」「世界三大不正」とまだ断じているという支離滅裂ぶりに対して、科学者、識者の誰からも指摘がなされないこと。あげくに、日本学術会議がこの改革委提言を丸呑みして、追認的な提言を行っていること。

 これにより、日本学術会議の権威は失墜しました。日本では、不祥事を解明する第三者委員会というと、その判断や結論を全く無批判的に受け入れてしまう雰囲気がありますが、実際には相当いい加減なものが少なくありません。しかし、おそらく、第三者委員会史上、最低レベルのものとして評価されるのが、この理研調査委報告(+異議申立て却下決定の審査書)であり改革委提言書でしょう。立て続けに2つが揃いも揃って酷いというのもめったにない稀有の出来事です。試しに、弁護士有志でやっている第三者委員会に対する評価を行っている組織に検証を依頼してみるといいでしょう。
 そして、日本学術会議は、そのダッチロール的な支離滅裂な内容である改革委提言を丸呑みして、ご丁寧にも、遠藤、若山両氏への賛辞まで同じようにしながら、アリバイ作り的に改革提言を行ってしまいました。
 
ノーベル賞の相次ぐ受賞など、本来の自然科学的研究の実力、底力には世界に誇るべきものが多々あるともちろん思いますが、研究不正についての理解、その調査の進め方、公正手続き(デュープロセス)の具体的適用のあり方等については、ほとんど素人同然だということがはっきりしました。
 これでは、小保方氏に倫理教育が必要だ、という前に、日本の科学界に対して、公正手続きの重要性、研究不正の調査の進め方等について、啓発普及、教育をすることのほうが、よほど必要だと思います。
 大変失礼な言い方ではありますが、だから、「学者バカ」という言葉がいつまで経っても死語にならないのでしょう。
                             
●多少なりとも法学系の学習をし、組織で働く者であれは、程度の差はあってもそういう感覚はおのずと身についていきます。不祥事を働いた社員がいるとして、それを懲戒処分にするためにはどういう手続きをとればいいのか、どういう材料をそろえればいいのか、相手からの弁明をどういう形で機会を与えるか、その弁明に対してどういうスタンスで臨むか、あるいは労働条件を変更する場合に、労働組合との折衝を含めてどういうステップを踏む必要があるのかをよく考えます。
 あるいは、官庁であれば、不利益処分をする場合にはどういう手続きを踏むのか、どういう根拠を揃えるのか、聴聞をどうするか、処分を受ける側はどういう抗弁の方法がありうるのか、等について考えるでしょう。
 主体、客体の双方にそういった点のおおよその常識が何となく身についています。
 
 理系と文系の発想方法の差というのは、身近なところでもしばしば見られます。
たとえば、マンションのエレベーターで、何か傷がついていたとします。防犯カメラに、その時間帯に、小さい子供が乗っている姿が映っていたとします。その場合、自治会で、「その子供が「犯人」に違いないから、その特定をするために、せっかく防犯カメラという有効な技術機器があり、その画像という有力材料があるのだから、それを使わない手はない。ただちに全世帯に公開し、その子供を突き止めて問い詰めよう。」と短絡的に考える人と、「いやいや、防犯カメラというのは、殺人、傷害その他の刑事犯を防止することが一義的目的だから、必要性が十分でないのに、みだりにその画像を閲覧することは、自治会役員であっても控えるべきであり、仮に閲覧する場合であっても、プライバシーの尊重の観点から必要最小限のものにとどめるべきであるし、ましてそのマンション住民全体に公開するのであれば、その公開の目的とする事案の深刻さの大小、被疑者が未成年者がどうか、代替策がないのかどうか、等の点も慎重に検討したうえで、その是非を決めるべきである。」と考える人に分かれます。この後者の発想をする人が考える内容が、デュープロセスの内容になります。前者の発想しかできない人には、理解できないことでしょう。しかし、世の中のルールは、こういう様々な要素を勘案しながら、慎重に処理・対応がなされるべきということなのです。
 
理研調査委や改革委は、こういうデュープロセスというものが理解できない人々でした。理研調査委を設置するに当たり、理研当局がやはりこの点を理解せず、研究不正規程のもととなる文科省ガイドラインをよく理解していれば、論文の研究対象であるSTAP細胞の有無の判断や、それを裏付けるための再現実験を切り離して研究不正判断はできない、ということは容易にわかったはずですが、そうはならなかったところが、その後の混迷を招いた出発点での大きな誤りです。
そして、理研調査委の調査が始まりましたが、小保方氏からの事情聴取や弁明に当たっては、その調査委の結論がそのまま懲戒処分の事実認定に直結するわけですから、そこでは、懲戒処分に準じた手続き過程が担保されなければなりません。また、小保方氏は、入院中でしたから、病休の職員に対して業務上の負荷を与えることが、不当労働行為的なことにならないか、マスコミ等からの圧迫に対する保護の仕方、当局側の接し方次第で病状が悪化したならば「業務災害」になる懸念はないか、まして、体調を無視した詰問、一方的尋問により精神的、肉体的な体調悪化を招くことになれば、使用者責任を問われ損害賠償責任を問われかねない等の労働法的視点も必要不可欠です。
懲戒処分に準じた手続きとしては、まず、調査委側が認定しようとする事実関係や判断理由を明確に小保方氏に示したうえで、十分な余裕を以てその弁明の機会を保障しなければなりません。懲戒処分であれば、訴訟に発展しますから、きちんと書面で相手に示し、小保方氏からの説明、反論も書面で求めることも必要だったと思います。その際の時間的な猶予としては、入院加療中であることを踏まえた配慮をしなければなりません。学者がそういう点で無知でも、弁護士がそういう点は配慮しなければなりません。しかし、検事上がりの弁護士にはそういうことは理解できず、ただ「吐かせる」「立件に持っていく」という発想のみで調査を進めたのでしょう。
研究不正調査が、概ね150日程度とされていることからすれば、事実認定を慎重に行うことが必要であり、わずか20日間で結論を出すことの妥当性が問われるとの懸念も普通の研究不正調査であればあったはずです。しかし、上記の通り、実験の実在性、再現性とは切り離して「研究不正調査」を行うという奇妙奇天烈な調査になってしまったために、話が混迷を深めてしまいました。通常の研究不正調査であれば、再現実験が権利として保障されている旨の告知をすることも、デュープロセスとして必要だったと思います。調査委の捏造・改竄認定が論外の論理によるものであることは既に述べた通りで、それはデュープロセス以前の話です。
 
●改革委は、改革提言を行うのであれば、まずは実態解明、事実認定が先になければなりません。そんなことは当然の話です。判決でもまず「当裁判所としての事実認定」があって、「原告、被告双方の主張」そして「当裁判所の判断」が来ます。たとえば、東日本大震災事故調査委員会はいくつかありますが、いずれも、なぜ原発事故が起きたのか?を詳細に解明したのちに、その対応の報告を示しています。そこでは、原因が地震なのか津浪なのかが争点となり、それによって対応の在り方も違ってくるわけです。
理研改革委は、「第二論文も含めて、しっかり事実認定をせよ。再現実験もさせて検証せよ」と提言しながら、他方で、遠藤、若山両氏の主張の丸呑みを前提とした「前代未聞の不正」「世界三大不正」とまで断じています。ページや提言項目によって、そのどちらを言っているのか、前提としているのかがめまぐるしく入れ替わる混乱を極めた代物になっています。


CDB解体をはじめとしたあれだけの提言をするのであれば、その根拠となる事実関係はよほど慎重に見極めなればなりませんし、それにはまず、STAP細胞の再現実験や検証実験の結果と、第二論文を含めた研究不正調査委員会の報告により、事実関係や論文の再現性という基本的判断要素が明確になるのを待たなければなりません。それが、社会一般の判断の順番の常識というものです。
そのような事実関係や論文の再現性が明らかにならない時点で、客観的根拠なく、「前代未聞の不正」「世界三大不正」と公の報告書、会見に言い放つことは、名誉棄損による刑事、民事双方の可能性を惹起します。小保方氏側は、今それを争っても仕方がないからしないだけですが、それに甘えて、自らが急にビッグになったような錯覚でもしているのでしょうか、高見に立って大言壮語を吐くような委員たちに、デュープロセスのマインドの片鱗も伺うことはできません。事実関係が確定しない限り、軽々なことは公式には言えない、書けないということもまた、委員として弁えるべき基本的事項です。
 
研究不正調査は、研究者の生死を左右する性格のものでありながら、その委員たちの資質がバラバラな中で、結論が出されてしまうというのは由々しき問題です。それがもし、今回のようにいい加減なものであった場合に、その不正判断を被調査者側が直接争う法的手段がないことが、制度上の大きな問題です。現在は、それを争うためには、懲戒処分か名誉棄損かのいずれかを争点として争うほかありません。そういう場合、理研改革委提言及び委員自身による「前代未聞の不正」「世界三大不正」との公式発言を捉えて、それを名誉棄損として損害賠償請求、慰謝料請求の形で争うことは、局面によっては考えられるケースです。
世の中には、損害賠償請求訴訟の形をとりながら、請求額1円として、実質的に名誉回復や、争点についての裁判所の判断を求めることのみを目的として争う事例もしばしばあります。そういうことにならないように、公正性を欠くようないい加減なことはしない、言わないということもデュープロセスの一つですし、リスク管理の一つでもあります。



こうやって書きながら感じるのは、やはり、理研当局の初動対応と、それに誘導した文科省の対応が、大きな誤りだったということです。
第一の誤りは、実験の実在性や論文の再現性と切り離した通常ではあり得ない「研究不正」調査を理研当局が決めたことで、法案成立を焦る文科省1カ月程度で結論を出せと迫ったり、コンプライアンスがしっかりしていない組織では認定できないと言ったりしたことが、それを誘発した要因だったと思います。本来指示すべきは、「きちんと研究調査委員会を立ち上げて、研究不正規程とそのベースとなる文科省ガイドラインを踏まえて、第一論文、第二論文ともに、その再現性も含めて十分な調査を速やかに行え」ということでした。その後、自民党側のプッシュもあったのでしょうか、少なくとも、第二論文については、本来の研究不正調査がなされることになったようですし、再現実験、検証事件も踏まえたものになるでしょうから、一応は正常化したということかと思われます。


第二の理研当局の初動対応の誤りは、こういう事実関係、研究不正調査の結果が出ていない時点で、改革委を立ち上げてしまったことでしょう。第一論文について、中途半端な再現性、実在性とは切り離した「不正」認定がなされてしまったために、それに対応してということだったのでしょうが、改革委自体が、それをとっかかりに、暴走してしまったがために、事態はさらに複雑化。遂に貴重な財産で日本の内外や地元にも多大な貢献をしていたはずのCDBの大幅縮小に追い込まれてしまいました。組織的にも人材的にも大きな損失となりました。
 
小保方氏の再現実験や、丹羽氏の検証実験が失敗すれば、このまま今の流れが見直されることなく推移してしまうでしょうが、もし成功すれば、そこで一斉に1月以降の動きの見直しが始まり、各科学者たちの言動は逐一取り上げられ検証されて、我が国科学界の対応はスキャンダルに近い厳しい批判にさらされることでしょう。何といっても、日本の逸材が死に追い込まれています。
その検証が逐一なされれば、その過程を通じて、日本の科学界の権威は失墜することでしょう。科学者でありながら、マスコミと同レベルの反応しかしなかった、できなかったということで、あるいは、「気が付くべき時点で気が付かなかった」という小保方氏らへの批判がそのままブーメランで返ってくる形で・・・。松本サリン事件の真相判明後に、それまでの警察の対応に激烈な批判がなされたことと同様の事態になると思います。


別に小保方氏を無条件で擁護しているわけではありませんが、小保方氏批判・非難の杜撰さ、無法さには目に余るものがありますので、縷々述べているものです。科学者が批判するのであれば、もっと冷静に、科学的論点を整理しながら科学的視点で(お互いの仮説の根拠の批判、再補強のサイクルで)議論をしてほしいものです。
日本の社会は、いったん事が起きると、一方向にダダっと傾斜しすぎて、バランスを取ろうという動きがなかなか見られない傾向にあります。いったんこうと思い込んでしまうと、すべてをその一つのフィルターでしか見れなくなってしまいます。今回の早稲田大の学位問題についてもそうでしょう。マスコミであればともかく、プロの科学者がそれではいけません。
ああやって、世論が沸騰しているような時こそ、冷静に眉に唾をつけて、自分の目で読み、自分の頭で考えてみるという当たり前の対応が求められると思います。朝日新聞慰安婦報道で、マスコミ報道を単純に信じるのは危ういということが多少とも意識されるきっかけになればいいと思うのですが・・・。