理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

1 理不尽極まりない理研改革委提言は破棄されるべきである―支離滅裂な非科学的内容

 
 理研改革委の罪、万死に値する。そのことを書く。
 いずれ、改革委のあまりのひどさについては、具体的に報告書の記述を示しながら、その理由を述べるつもりでいた。が、笹井氏の逝去で、すぐに書くことはためらいがあった。しかし、岸委員長の次の発言で、そういう躊躇はなくなった。
 
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理化学研究所改革委員会の委員長を務めた岸輝雄東京大名誉教授の話
笹井芳樹氏は幹細胞研究の天才とまで言われ、さらに研究費を集める経営能力もあった。亡くなったのは幹細胞に関する基礎研究分野の大きな損失だ。私もショックを受けた。改革委の不正再発防止策は、笹井氏や理研の理事らを交代するよう提言した。潔く交代し、数年間渡米するなりして研究に専念すれば良かった
 
◎岸輝雄・東京大学名誉教授「『理研の中で笹井さんが他に移るように』と我々(改革委員会)は提言したんですが、もし笹井さんがその延長で責任を取って理研も辞めたりしていれば、事情は随分変わっていたかなという気はしています」
「(Q理研にとどまって)責任を負い続けたゆえの悲劇であった可能性も?)そうなんですね。理研のここに対する責任は非常に大きなものがあるという感じ方をしております。(STAP問題の)ある種の幕引きを笹井先生が先導してしまったかなと」
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 ここまで独善的で無神経とは思わなかった。
 今、従来このブログで使ってきた「ですます」調の文章で綴る気になれない。
 
 批判する対象は、次の改革委提言書と、委員長らの記者会見録である。
 
 日本学術会議はこれを一読でもしたのか? 結論と記者会見だけしか見ていないのではないのか? 一読すれば、その論旨の支離滅裂なことはすぐ気がつく。日本の頭脳のはずの学術会議がそれに気が付かないままに提言しているとすれば、怠慢でなければ無能である。
 本来は、具体的な箇所を引用しながら説明するのが、このブログ記事のスタイルである。しかし、その詳細はまた後日行うとして、まず何が問題なのかを簡潔に説明する。
 
第一は、「全容を解明せよ」と提言しながら、「世界三大不正だ」と断言する根本的矛盾である。


 全容を解明しなければ、不正かどうかわからない。コンタミの可能性はもともと指摘されている(しかし、他方でコンタミでは説明できない事象もまた指摘されている)。小保方氏の勘違いの可能性も否定できない。過失によるものかもしれない。他の者が関わっていたかもしれない。何も現時点ではわかっていないのである。だからこそ、改革委は、全容解明に及び腰の理研を批判し、小保方氏による再現実験も含めて、全容を解明するための全面的調査を行えと主張したのだろう。
 改革委の委員たちは、自分達がまとめた提言書に次のように書いたことを認識しているのか?
 
「再現実験の目的は、「STAP 現象は有り、小保方チームはこれを完成していた」のか、それとも研究成果の捏造であるのか、を明らかにすることにある。第3の7項で述べたように、理研が現在行っている「検証実験」は、①2つの論文ないし 2014 3 5 日に理研により発表された範囲内のプロトコルによることが明らかではない②テラトーマ形成能を評価法としていないため、「検証実験」の結果を以て不正の有無および不正を犯した人物が明確にできない。すなわち、小保方氏が STAP 細胞の作製に成功したのかが明らかにできない等の問題があり、STAP 現象は有り、小保方チームはこれを完成していた」のか否か、を明らかにする再現実験としては不備があると指摘されている。したがって再現実験は、次の方法で行われなければならない。(以下略)」(p16)
 
 提言時点では、捏造かどうか不明であるとしているのである。不正があったのかどうか、不正があったとして誰が犯人なのかわからないから、再現実験でそれが明らかになるようにせよと言っているのである。それは全く正しい。
 
 あるいはまた、こうも書いている。
「いずれも第2論文の根幹に関わり、捏造を疑わせる重大な疑義である。第2論文には未だ研究不正行為の存在が認定されておらず、したがって、研究不正防止規程上も、研究不正行為の事実そのものの全容解明は未だなされていないもの、と判断せざるを得ない。研究不正防止規程に定める調査は、研究不正の疑義を調査し、研究不正行為の有無を認定するものであるから、対象となる論文が取り下げられた場合であっても、「研究不正行為を行ったのは誰か」が明らかにされず、当該論文に研究不正行為があったと認定されていない以上、研究不正防止規程上の調査から除外されるべきではない。」(p15)
 
 ここでも同様に、研究不正は存在したのか否か、存在したとして誰が不正行為を行ったかがわからないから、それを明らかにせよ、と言っている。
 更にはこうも述べている。
 
「大々的な広報を行い国内外の多大な注目を集め、再生医療への応用への期待をかきたてた理研は、事実の有無を自ら社会に明らかにする社会的責任を負っている。STAP 現象の有無を明らかにせずうやむやにすることは、科学研究に対する国民の信頼を著しく傷つけ、ひいては科学研究を公費で支えることへの深刻な疑念を生じさせるものである。
 
 改革委の本来主張すべきことはそれに尽きている。理研が当初外部から指摘された第一論文の6か所の疑義についての「研究不正調査」だけに留めて、他の疑義は論文撤回されたから調査しない、というように早期幕引きの姿勢が顕著だったから、それはならぬとして、「全容解明のための不正調査をきちんとせよ!その上で、不正ないし科学的不適切さが認められれば、責任に応じて厳正に処分せよ」「全容解明のためにも、再現実験をきちんとさせよ」というのが、この時点での主張であるべきはずだったのである。
 
 ところがどうか?!


 この提言書は、遠藤氏や若山氏の遺伝子解析結果に対して無批判的に与し、単なる調査委認定の「研究不正」以上の捏造、改竄の存在を念頭において、一連の提言を行っているのである。そう解さない限り、「CDBの解体」などという極論が出てくるはずがない。何よりの証拠は、記者会見での岸委員長及び市川委員の「世界三大不正」発言である。岸委員長は、外部からは誰ともわからぬ海外の知り合いの学者のかかる感想を紹介して、あたかも大不正が行われたとの強い印象付けを行った。極めつけは、市川家国氏である。
 
「研究者の倫理観を研究している信州大学特任教授の市川家国氏は、STAP論文問題では様々な不正が同時に行われている点を挙げ、2002年にアメリカで起こった「超電導研究不正(シェーン事件)」や、2005年に韓国で起った「ES細胞捏造(ファン・ウソク事件)」と並び、三大不正事件の一つであると断言。「3つの事件のなかでも一番がSTAP細胞論文の問題で、これから教科書的に扱われることになる」と述べた。
市川氏はさらに、「教科書になったときに、理研が確実に真実を明らかにしなかったことが、日本として問題だ」と述べ、今後の対応次第で、日本への見方も変わるという考えを示した。
「これから若い人が論文を発表するときに、『理研』や『JAPAN』と名前がつくだけで疑われるとなると、国益に反する。 ・・・」」

 こう断言して、一大研究不正が行われたことが既定事実であるとの前提で(実際、提言の結語部分で、「前代未聞の研究不正」と断じている)、公式記者会見で発信した。研究不正があるのかないのかを明らかにするために全容を解明せよ、と提言しておきながら、一大研究不正はあったと根拠もなく断言しているのである。STAP現象の有無を明らかにせよと主張しておきながら、STAP現象は捏造であると断じているのである。自らの提言内容での記述とは全く乖離したメッセージを世界に発信したのである。
 これを支離滅裂と言わずして何を言うのだろうか? 朝日新聞慰安婦報道と同じような犯罪的発信と言える。公式の委員会によるものだけになおのこと問題性は大きい。これは一読すれば、すぐに気が付く点である。
 
 「研究不正」と公式に認定されているのは、第一論文の当初の指摘のあった6か所のうちの2か所である。しかし、これは、既に詳しく述べた通り、「研究不正」ではなく、過失により、「科学的に不適切な扱い」がされていただけに過ぎない。それはあくまで「過失」によるものであり、「故意」では断じてない。「重大な過失」だったかもしれないが、調査委の事実認定を前提としても、「故意」にはなりえない。調査委は、多くの確信犯的すり替え、捻じ曲げをあえてしている。


一つは、定義の捻じ曲げである。定義における「捏造」とは、架空実験を行ったりデータをでっち上げることである。しかし調査委は、実験は行っていても学位論文に(も)ある画像の過失による使用を以て、捏造と断じたのである。実際の実験で得られた画像が意味するところを何ら変えることがない、よりはっきり見せるためとの目的に出でた加工を改竄と断じたのである。これは、定義を強引に曲げたもので、こういう解釈をするのでは、「科学的に不適切」という別の範疇に入るものまで、「研究不正」になってしまう極めて問題のあるものである。提言書は、要約の冒頭にもあるように、「研究不正行為」と「不適切な研究行為」とを峻別して、「それらも含めた全体像を捉えよ」と述べている。にも拘わらず、調査委の報告書、異議申立て却下決定書(審査書)は、定義で両者を、それこそ故意に混同させているのである。
 
二つ目は、過失を「未必の故意」論で強引に、「故意」を認定して「不正」と断じていることである。改革委提言書のP9の下部でも引用しているが、
 
「パソコンにおけるデータ管理についても、「ある実験のデータが他の実験のデータとして使用されるおそれがあること」(審査結果報告書 10 頁)の明らかな管理方法であった。「実験条件の異なる画像データを論文に使用することになるおそれがあること」の予想されるデータ管理であることについては、「研究者であれば誰でも認識できるところ」であり、小保方氏のデータの扱いは「こうしたおそれがあることを無視した行為」(審査結果報10告書 11 頁)であった。」(p9)
 
というように、「実験条件の異なるデータを混在させて管理するのでは、間違う恐れはあることはわかるのに、それをあえてしたのは、間違ってもいいという未必の故意があったからだ」という論法なのである。これは暴論である。これは、飲酒運転すれば、人をはねる恐れがあったのに、それをあえてしたということを以て、殺人罪に問うような話である。飲酒運転で人を死なせてしまっても、基本は業務上の「過失致死傷」の罪である(正常な判断ができないほどの酩酊していた場合などは、別途の危険運転致死傷罪となる。)。殺人罪ではない。それを殺人罪に問うのと同じようなことを、調査委はしているのである。
これでは、「不正」の定義を、故意だけでなく、「過失」にまで広げるような危険な行為であり、科学者たち自身にとっても首を絞める話である。そういうとんでもない不正認定を調査委は行っているということを認識しないままに、それを援用して、不正があったとして、そこから前述したような、遠藤氏や若山氏らが描くような一大不正があったかのようにすり替えて、一連の極論の提言をしているという構図である。
 
日本の科学界の最高峰であるはずの日本学術会議までが、こういった改革委提言の根幹部分の論理的、実態的欠陥に気が付かないままに、これを鵜呑みにして追認的提言しているようでは、世も末であり、日本の科学界の権威は大きく毀損しつつある。
                                                           続く