理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

科学者たちは、なぜクローン羊ドリーや若山氏のクローンマウスの再現事例を教えようとしないのか?―再現実験に長期間誰も成功しなかった・・・

 
 再現性の問題について、週刊文春5月8・15日号の立花隆氏と緑慎也氏の対談記事を読んでいて初めて知りましたが、クローン羊として有名なドリーは、発表から1年半は誰も再現実験に成功しなったそうです。
 それより更に難しいクローンマウスを、見事に作製して、ドリーの再現可能性を認識させたのが、今回のSTAP細胞問題で渦中の一人となっている若山照彦氏だったとあります。また、その若山氏も、自らが作ったクローンマウスの再現が第三者には難しかったため、内外の研究現場を実際に回ってその場で再現することによってやっと理解が得られたとあります。対談内容は次のようになっています。
 
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立花 それでは、やはりSTAP細胞があるか、ないか。僕はありうると思っています。ありはずがないとドグマティックに言う人もいますが、僕はそういう立場はとらない。
  なぜですか?
立花 過酷な環境で生き抜くガン細胞の異常なサバイバル能力の研究がいろいろあるからです。今のところSTAP細胞の再現実験は誰も成功していません。それが、あの論文が疑惑を招いている大きな要因ですが、だいたい発表して2、3ヶ月で追試に成功できないとしても何ら不思議ではありません。生物系では、さじ加減の要素が大きい実験には、実験者の個人差が結果を左右する場合がかなりある。
 小保方さんは会見で「コツがある」と言っていたし、その後会見した笹井さんも、小保方さん自身文章化できていない「個人的手技、たとえば細かい細胞のハンドリング、微妙な手際」があったのではないか、と言っている。そういうコツが含まれる実験であれば、そう簡単に再現はできない。
 若山教授の場合がまさにそうでしたね。1996年にイギリスのイアン・ウィルムット世界初のクローン羊ドリーを誕生させたと発表したものの、その後長い間、再現実験に成功しませんでした。そのため、ドリーも捏造が強く疑われた。ドリー誕生から1年半後、羊より難しいと考えられていたマウスのクローンを世界で初めて作ったのが若山教授です。この成果は哺乳類のクローンは可能であることを示した第二の例として、ドリーの再現実験の意味を持つことになりました。

立花 だからSTAP細胞も現時点で再現できていないことをもって、「なかった」と結論づけるのは早い。それにコツがあるならすぐに出せという意見もありますが、これもおかしい。研究者の世界では、問われたことは正直に答える、包み隠さずに何でも教えるのが表面上のルールです。しかし、これは表向きであって、画期的研究成果、特に莫大な経済的利益が見込める場合、その研究者はライバルに対するリードを保って独走態勢を維持するために、実験技術の肝心の部分を小出しにすることがよくある。そういうケースが結構多いことを、昔、『精神と物質』(文藝春秋)の取材で、利根川進さんから聞きました。
 若山教授によると、クローンマウスの作成成功を報告した後、しばらくそのれを再現できる研究者が現れなかったそうです。そこで彼は、世界中の研究室に出かけて行って、実演してクローンマウスを作った。そうするとその研究室の人たちは信じてくれる。そうやって少しずつ支持者を増やしていった、と。しかし、そのせいで、自分のアドバンテージは失われたとも言っていました。
立花 (中略―iPS細胞論文投稿の際に、ソウル大ファウソク教授によるES細胞論文捏造スキャンダルがあった直後のた、成功、失敗双方の生データを全部つけて送ったことを紹介したのち)
 山中さんはそうやって自分の研究成果に対する批判をはねのけようとしたわけですが、論文を投稿するときに実験の生データを全部つけるというようなことは通常しません。それなのに山中さんの先例があるために、小保方さんに対しても、全部データを出せというような課題な要求がなされているように思えます。」
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 これだけ著名な研究成果であるクローン羊、クローンマウスであっても、発表当初はこういう状況だったということは、今回のSTAP細胞の問題を論じるときに、誰か科学者なり、科学評論家なり、マスコミなりが、きちんと情報として紹介してしかるべきだったのではないでしょうか。緑氏もマスコミに頻度高く登場していましたが、この立花氏との対談までに、こういうことは紹介していなかったように思います。こういう一例を知るだけで、かなりバイアスや思い込みが正されます。
 
 このクローン羊ドリーや、若山教授のクローンマウスの再現実験の困難さの事例からわかることは、いくら、再現するためのプロトコルが公表されていても、第三者がそれを再現することはそう容易とは限らず、何か付加的な要素(立花隆氏は「個人的なさじ加減」と表現)がありうること、したがって確認まで時間がかかること等の点です。
 それなのに、STAP細胞に関して、科学者や科学評論家からなされる発言は、嵩にかかって、
 
「簡単にできると言うが、誰もできないじゃないか」
「できるというなら、さっさと再現させろよ」
「記者会見は科学的証明になっていない」
「これだけ世界中の科学者が取り組んで再現成功の事例がないということは不正にきまっている」
 
 といった素人が言うことと変わらない発言ばかりです。
 「研究倫理・不正に詳しい~」といっていつもマスコミに登場する常連の学者?が複数いますが、彼らから、そういう事例のことは、一度として聞いたことがありません。立花隆氏と緑慎也氏とが紹介してくれなかったら、知らずに終わっていたところです。
 
 東大の研究不正の調査事例をみても、捏造、改竄の認定には、相当慎重に調査手続きや本人への再現実験指示等を経た上で行っていますし、かなりの材料が集まっても、「科学的に適切ではない」「悪意のない間違いの可能性も排除できないので更に慎重に調査が必要」といったように、段階を踏んで調査を進めています。
 
 裁判の判決もそうで、例えば東北大の元総長の研究不正指摘に関する名誉棄損事件についての判決文を見ても、一般論として、
 
「再現性が求められるが、再現が本人を含めてすぐにできないからといって、ただちに捏造と断定できるわけではない」
 
という趣旨の指摘をしており、やはり、研究不正の判断には相当の慎重さをもって臨んでいます。
 

心底驚き、かつあきれたのは、文藝春秋6月号に載っている分子生物学会副理事長にして研究倫理に詳しいという中山敬一九大教授の寄稿記事『小保方捏造を生んだ科学界の病理―実は医学論文の7割が再現不可能』です。
冒頭から、小保方氏批判であることは分かりましたが、読み進むうちに、次のように書かれていました。
 
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「(小保方氏の捏造等の認定をされた点についての「無茶苦茶な言い訳」と、残る点について「悪意はなかったので不正には当たらない」との理研調査委報告書に)
ちゃぶ台をひっくり返しそうになったのは私だけではあるまい。
そもそも悪意、って何だろう。科学の世界を語るにはあまりにも主観的な言葉だ。今回初めて、こういう規定があることを知った科学者は多いだろうし、実は私も恥ずかしながら今回初めて九州大学の規定を読んだ次第である。そこでわかったことは、多くの大学・研究機関の規定は、2006年に文部科学省が作成したガイドラインを元に、各機関が各々のローカルルールお作っているという事実である。ちなみに文部科学省ガイドラインでは、この箇所に相当する文章は「悪意」ではなく、「故意」という言葉を使っている。」
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研究不正に関する文科省ガイドラインと各研究機関での研究不正規程の存在を知らず、読んだこともなかったと平気で書いた上で論じていることがまず第一の問題です。研究倫理や不正に詳しく、自ら分子生物学会内に「アンチ捏造委員会」を立ち上げてその撲滅に取り組んでいるというのであれば、「捏造」「改竄」の定義づけをしている文科省ガイドラインや各機関の研究不正規程の存在を知らないままに論ずるなどあり得ないことでしょう。それでは素人と変わりありません。尺度や定義なき、研究不正判断などあり得ません。
文科省ガイドライン策定の背景、趣旨、具体的内容を踏まえつつ、「研究不正」と「科学的に不適切」とを如何に峻別するかについてのメルクマール、手続き、過去の判断事例、留意点等を紹介しながら総合的に解説するというのが、「研究不正・倫理に詳しい科学者」「捏造撲滅推進者」として当然に求められる要件であるはずです。中山氏は、東大の加藤茂明教授ラボの論文捏造事件の調査委の調査が進まないことを批判していますが、その中間報告書には、「科学的な適切性を欠いたこれらの画像」のパターンを列記しつつ、一部では「悪意でない誤り」の可能性も排除されない、と記載されています。「悪意」という言葉は、研究不正を語る上では常用語であり、東大の調査報告書にも使われているのに、小保方問題によって初めて知ったということは、東大の調査報告書も読んでいないということではないのでしょうか。短い中間報告で、画像の加工パターンも小保方氏と同様のパターンのものが含まれています。小保方論文の「捏造」「改竄」について論評するなら、こういう先行事例にも言及しつつコメントするのが、研究不正を専門と自認する科学者としての役割だと思います。
 
●中山敬一教授の記事の問題の第二は、この時点でSTAP細胞自体が捏造だと断じて論じていることです。
STAP論文事件は、わが国における史上最大の捏造事件であると言っても過言ではない」「シェーン事件と小保方事件は、いろいろな点で酷似する」と、この時点(発売は、5月10日頃なので、4月末頃の執筆でしょう)で、STAP細胞の存在自体が捏造であると決め付けてしまっています。
論文について調査委が「捏造」「改竄」認定をしていますが(それはそれでひどい内容であることは既に述べましたが)、しかし、理研本体、そして多くの者がSTAP細胞自体の存在の判断については留保し、理研自身が再現実験に取組んでいるわけです。したがって、それらを無視して、自ら「捏造」であることの積極的根拠を挙げるわけでもなく(「間違うはずがない」とするのみ)、当然に存在自体が捏造だという前提で、諸々論じることはおかしな話です。
分子生物学会の副理事長であるならば、笹井氏が指摘している「STAP現象を前提としなければ説明できない点」について、学会として科学的な議論を進めるイニシアティブをとることが期待される役割ではないのでしょうか? この点は大隅理事長も同様であり、笹井氏の指摘について自らのブログで触れていますが、断片的な推測に留まっているように思えます。
 
ES細胞「疑惑」が改めて指摘されていますが、他方で、ES細胞では小さな細胞塊にはならないとか、ES細胞とTS細胞とを混ぜることは難しいとかの指摘とは、どう両立しうるのか?といった科学的論点について、もっと突っ込んで議論・見解の紹介がなされてもいいと思いますし、それこそ分子生物学会の出番なのではないのでしょうか? 笹井氏、丹羽氏の二人がともに、記者会見で、ES細胞(又はそれとTS細胞との混合)とは考えられないとの見解を示しているのですから、科学界の責任として科学的に解明してほしいものです(解明できているというのであれば、それをわかりやすく説明してほしいものです)。
告発者的な研究者の推測を一方的に垂れ流すままにしておくのでは、科学界への信頼は揺らいでしまいます。