理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

笹井氏のSTAP会見への非難にみる「科学者」やマスコミの「非科学性」

 416日午後に行なわれた理研の笹井副センター長の記者会見がありました。
 ◎笹井氏会見詳報(産経新聞
 ◎笹井氏会見映像

 笹井氏の説明については、いろいろな論評がなされています。批判が多いようですが、有識者やマスコミの批判(非難)や指摘には疑問が多々あります。
 
●第一の疑問は、会見の主催者についてです。なぜ笹井氏の場合は、理研による主催なのか?ということです。小保方氏は自前で会見場を借りて行ないました。不服申立てに関する記者会見だから小保方氏が自分で、ということはわかりますが、しかし、今回の笹井氏会見の冒頭の広報とコンプライアンス担当理事の発言では、「本人からの申し出があった」ことと、「多くの疑問、質問があったことに答えるため」に会見を設けたと説明しています。それであれば、理研として、小保方氏以下、理研に関わる共著者から説明の機会を設けるべきではなかったのか?と思います。


 調査期間中は、理研は外部への発信を禁じてきたのですから、報告書が公表された以上は、外部からの指摘5点だけでなく、STAP研究全体について、共著者による説明がなされるべきでないでしょうか。小保方氏、笹井氏、それから若山氏は山梨大に移りましたが、理研の研究室での研究の話ですから、この3人については、理研として対外説明の機会を設け、かつその機会を保証すべきです。41日に、4人のコメントを理研として掲載しているのですから、それを更に説明するための機会を理研として設けるということは、小保方氏が不服申立てをしていることとは関係なくなされるべきことです。こういう観点からの指摘は、ざっと見る限りどこにもありません。
 

第二の疑問は、共著者、責任著者に関する責任分担についてです。科学者やマスコミは、「責任逃れだ」「実験ノートを全部チェックしなかったのはおかしい」とさかんに言いますが、もともと責任分担について確立した評価尺度がない中で、てんでばらばらに個人的見解を述べても仕方がありません。今回の研究は、1月当初の理研発表によれば、
 
理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)細胞リプログラミング研究ユニットの小保方晴子研究ユニットリーダーを中心とする研究ユニットと同研究センターの若山照彦元チームリーダー(現山梨大学教授)、および米国ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授らの共同研究グループによる成果です。」
 
 と書かれています。こういう研究グループを複数にまたがる場合の共著者間の責任分担はどういうものか? 確立した尺度はあるのか? と思っていたら、理研の不正防止改革委が、その点について「今後検討する」と発表していました。
そして、
「改革委員会の岸輝雄委員長は、『共著者なのだから普通はあり得ないという気がする』と話した。東京都内で開かれた改革委の第3回会合後、記者会見で個人の見解として述べた。共著者の責任をめぐっては『委員の中で意見が分かれており、(中心の研究者と)同等に責任を持つべきという考え方と、役割分担に相当する責任という考え方がある。私は前者に近い』という。」(時事通信
 
 そんな基本的なことも科学界では共通認識がないことには驚きです。それがないままに、個人見解を軽々に発して非難することにも驚きです。共通尺度がなければ、「科学的」評価はできず、単なる印象論に過ぎません。責任論の尺度が存在しない中で、個人的印象論だけで「小保方氏と責任は同等だ」と非難する岸委員長の姿勢は非科学的です。
 笹井氏は、研究の段階ごとの分担、関与について説明しています。ああいうことは、本来、理研なり調査委員会が整理して述べるべき筋合いの話です。岸委員長の考えでいけば、構想したバカンティ教授も共著者ですから同等の責任ありということになりますし、若山氏は責任著者の一人ですが、当然に責任ありということになります。そこまでは言っているようではないので、それでは笹井氏を非難するためだけのダブルスタンダードということになります。
 
 マスコミは、「指導責任」という言葉まで持ち出して非難していますが、高度の専門性がある科学の世界である以上、全共同著者、全責任著者がすべてのプロセス、証拠について同等に実質的責任を負い、自らチェックする責務があるとは到底思えません。ましては国をまたがる国際共同研究ともなってくればなおさらでしょう。マスコミでは、記者が書いた記事を編集長が全文裏取りするでしょうか? 社員の発表を社長が全部個別に裏づけ資料まで見るでしょうか? 大臣が課長作成の資料の裏取りをするでしょうか? 常識で考えればわかる話で、それを責任著者である以上、実験ノートのすべてをチェックすべきであるとして、責任逃れだと指弾するほうがよほどおかしいと思います。小保方氏には「研究リーダーである以上甘えは許されない、責任を持つべきだ」と非難しておいて、笹井氏には「指導責任がある」というのは矛盾しています。マスコミのダブルスタンダードの悪弊がここでも出ています。
 笹井氏は、研究上の関与と分担内容、時期等について事実関係を説明しただけで、責任逃れをしているわけではありません。責任著者として論文全体について責任はあるとして謝罪しています。
 

第三の疑問は、実験ノートの位置づけ、内容や冊数についてです。小保方氏の実験ノートの冊数が2冊ということが、研究の「杜撰さ」を象徴するかのような伝えられ方です(小保方氏は4~5冊あると説明)。マスコミだけでなく、調査委員長自身が、「自分の経験ではこんなに少ない例はない」と述べて、その印象増幅に関わっています。一般の人々はそういうものかとも思ってしまいますが、他方で「いまどき、全部紙のノートにつけるのか?」という素朴な印象も正直ありました。そんなアナログなのか・・・と。他方、武田邦彦氏は、実験ノートなどそれほどつけないようなことを書いていて、実験ノートの冊数や内容が研究レベルと相関するものではないという趣旨のことを繰り返し述べています。しかし武田氏以外に言っている人が見当たらないので、ユニークキャラの武田氏ならではの半分冗談のような話なのかと思っていました。
ところがどうでしょう、笹井氏の会見で、実験ノートの使い方は人によって大きく異なり、メモ程度に考える人もいるとあっさり述べたのには心底驚きました。
 
「ノートの付け方は個人差が大きいと感じている。私の研究室でも(研究者によって)非常にばらつきが大きい。ノートはメモ程度の考え方の人もいらっしゃる」「私の研究室のやり方ではノートはもっと増えたと思う。ただ、データを(ノートに記さずに)コンピューターに入れているとすれば、アナログのノートの数は減ることになる。4、5冊という数と、実際の研究の因果関係についてコメントするのは難しい」
 
 ということになると、「実験ノートがたった2冊」「内容が第三者からみてよくわからない」といった話は、何らの意味も持たないということになってきます。その研究者が実験ノートをどう位置づけているか、パソコンにどういうデータが残されているかまで含めて、本人からのヒアリングと客観データとの突合せ等を経て、総合的に判断する必要があるということになってきます。笹井氏は、画像はプロパティでいつのものか確定できるとしています。もともと、理研調査委は、小保方氏からろくにヒアリングをせずに、実験ノートの少なさを強調していますが、もうこの笹井氏の「証言」だけで、調査委の調査の正当性が崩れたことになります。小保方氏のパソコンは調べていないと言っていましたし、小保方氏からまとまった事情聴取もしていませんから、調査は不十分であることは明らかでしょう。実験ノートの少なさと内容が他人にわかりにくいことを以って、科学的でないと一方的に断罪することのほうが科学的でないことになります。ここでも、共通尺度がない中で印象論だけで断罪するという非科学性があります。
 
 そして、この実験ノートの「重要性」というのは、識者も述べているように、直接的には米国の先発明主義による特許法の下での話だったはずです。いつ発明したのかが重要だから、その裏づけとなるものを記録として残しておく必要があるということです。しかし、その米国も遂に先願主義に移行しました。「20119月には特許改革法(リーヒ・スミス米国発明法)が成立し、先願主義への移行が図られることとなった。この法律は2013316日に施行し、この日以降の有効出願日を有した特許出願に適用される。」(ウィキペディア)だとすれば、今後は、実験ノートは、少なくとも米国特許法との関係では必要ではなくなるということにならないのでしょうか。

 
第四の疑問は、笹井氏の会見での「追加的データ・証拠なし」という非難についてです。例えば次のような記事がありました。


「(理研の)研究者の一人は「会見で示されたデータに、ネイチャー論文以上のものはなかった。論文の信頼性が失われている以上、そのデータをもって合理性が高いと言われても正直、理解できない」と指摘。」
 
 似たような指摘は、ネットでも多々あります。しかし、笹井氏は、41日公表のコメントで、「刺激惹起性多能性獲得の存在を前提としない説明が容易にできないものがある」と述べていて、今回の会見で具体的にその根拠を説明しました。しかしこれまでの間、科学者やマスコミは、その点に関し、何を以ってそう言える可能性があるのかについて何らの解説も提供しませんでした。また、笹井氏は、「ES細胞が混入したことは考えられない」旨の説明も根拠を挙げてしていました。この点もマスコミや識者は、あたかも小保方氏がES細胞をすり替えて若山氏に渡したかのような詐欺的構図を敢えて垂れ流したままでした。実際何があったのかはわかりませんが、これらの点については、科学的な見方が様々あるはずですし、実際、今になって笹井氏の説明を否定しようとして、「こういう可能性もある」という議論が出てきています。そういう議論は結構なことではありますが、もっと前からしてほしいところで、それを何もしないで、「新しいデータなし」と嘯かれてもしらけるばかりです。すり替え説で思考停止するほうが、よほど非科学的です。


 それと、この理研の研究者氏は、「論文の信頼性が失われている以上、そのデータをもって合理性が高いと言われても正直、理解できない」と指摘したとのことですが、笹井氏が、


「本日の配布資料に使った写真では、小保方氏が一人で解析できた実験結果は極力排除しました。実験の途中から投入することのできない細胞もあるし、撮影した画像などは、1コマ1コマ日付も入っており、これらをいじればすぐにわかってしまう」


 と述べていることについてはどう考えているのでしょうか?
 
第五の疑問は、笹井氏がSTAP現象の再現はどこが難しいのか?」について、説明資料の中で触れて説明していた点に関する理研の対応についてです。ここで笹井氏が説明していたのは、形成過程(=STAP研究の第一段階)についての話で、ライブイメージング画像等から第1~第4ステップまでを想定し、それぞれの段階ごとの発現現象と頓挫しやすい局面を説明しています。これらが頓挫せずにステップを踏むと、多能性マーカーの発現が強く見られるようになるとの説明です。これができると、次のキメラ形成能などの多能性の解析検証として、テラノーマ、キメラマウスの第二、第三段階に行くわけですが、小保方氏が会見で、200回成功したというのは、この第一段階の形成過程のことであることは、会見内容から見ても明らかです(補足資料では、第二段階以降は「複数回」作成に成功したとしています)。


 マスコミや識者は、200回と言っても、「キメラマウスの段階まで行ったわけではないだろう」「死ぬ細胞の自家発光と間違えたのだろう」と斜に構えて嘯いていました。しかし、笹井氏は、「死細胞の自家蛍光とは別」と根拠を挙げて説明していました。
 世界で再現ができないとされているのは、この第一段階の形成過程のことですから、この段階での困難さを乗り越えて、理研の別の研究者2人が別個に、多能性マーカーの発現まで成功したということは、やはり画期的なことなのではないのでしょうか? それを理研の広報担当者は認める一方で、「しかし、これはSTAP細胞があったかどうかを結論付けるものではなく、STAP細胞があると言えるものではない」と、敢えて過小評価した対外説明をするのはどういうことなのでしょうか? また科学者たちが色めきたってその具体的手順の説明を求めないのはなぜなのでしょうか? その反応は科学的ではありません。


 理研は、第三段階のキメラマウスの疑問指摘もあるため、第一段階だけ理研内の第三者が成功していても、それをあまりプレイアップしたくないという思惑があるのでしょうが、小保方氏に指摘されるまでそれを伏せていたというのは、大きな問題です。笹井氏の説明を聞けばなおのこと、第三者が成功していたということの意味合いは大きく、それを秘匿しておいたことは極めて問題だと思います。小保方氏の論文画像を「捏造」「改竄」認定するにしても、その成功の事実を公開していれば、受け止められ方はだいぶ違ったものになっていたような気がします。検証実験を行なう旨を直後の理事長会見で発表しているのですから、この点について触れなかったのはおかしなことです。「隠していたわけではない。聞かれれば答えた」と釈明していますが、通る台詞ではありません。
 


第六の疑問点は、ハーバード大理研との関係についてです。小保方氏は双方の身分を有してこの研究に臨んでいたわけで、ハーバードからの出張扱いで理研で勤務していたとのことです(客員研究員)。ホテル滞在はハーバード大からの出張によるものと説明されていましたし、実験ノートの全面公開の難しさ、特許との関連等、秘密保護を要する要素が多分にあるようでした。笹井氏も、バカンティ教授との調整が必要であろう旨を述べています。
 そうであれば、マスコミや識者は単にデータを出せ、証拠を見せろというのではなく、双方の権利関係はどういう構図になっているのか、ハーバードとの関係で秘密保護を要する部分がどういう部分で、小保方氏や理研だけでオープンにできる部分がどこなのか等について、解説をしてくれてもいいと思うのですが、そういう記事にはお目にかかったことがありません。これらの事情から話せないことを示唆する小保方氏の発言がありましたから、それについて質問、取材することなく、「隠している」「証拠を示せ」と言うだけとは能がない話です。
 

第七の疑問点は、なぜ小保方氏に再現実験をやらせよといわないのかという点です。「形成過程での再現の難しさ」として笹井氏が説明していたところを、小保方氏は、200回成功したとし、その手順についても詳しく説明の用意があるとしています。理研の第三者の2人も成功しています。そして理研自身も、「STAP細胞の有無については不明なので、今後検証する」とのスタンスであるのであれば、第三者による実験とは別に、小保方氏自身に再現実験をやらせてもいいのではないでしょうか。前にも書いたように、それは「被調査者」としての小保方氏自身にとっての規程上の権利でもあります。笹井氏も質問に答えて、「第三者による検証とは別に、小保方氏自身に再現実験をやらせることは、理研として否定したことはないと思う」との旨を述べていました。

 「200回成功したというなら目の前でやってみせてみろ」「データもなしにどうやって信じろと言うのか」「法的手続き論ではなくSTAPの有無の実証が大事だ」と批判するのであれば、笹井氏もここまで言っているわけですから、「小保方氏にやらせて実証させてみよ」と主張するのが流れだと思いますが、なぜかそうは言わず、罵倒するばかりです。
 小保方氏の会見のときに、「どうして実験して示さないのか?」と質問した記者がいましたが、常識を疑います。小保方氏は、理研では現状では実験室に入れませんからやりたくても無理な状況です。同氏は、「施設、時間が必要だし、守秘の関係もあるので自分の一存だけでは決められない」との至って誰でも想像できる常識的な回答をしていましし、「それらがクリアされればどこにでも出向いて実験する」と述べていましたが、それなのに「証拠示さず」という記事になるわけですからひどいものです。
 研究不正を専門にする教授も批判コメントばかりで、笹井氏の会見は「大失敗だった」そうですが、研究不正の調査手続きとして「調査の一環として再現実験がある」「被調査者に再現実験をさせる」ということも文科省ガイドライン理研の規程に規定されていることを知らないはずはないと思いますが、なぜかそのことには触れようとはしません。


第八の疑問点・・・というのも馬鹿馬鹿しいですが、「仮説」とか「現象」といった言葉を使っていることを以って、「逃げている」という非難に結びつけることです。
 当初から露出全開の某精神科医氏は「『検証に値する』など回りくどい表現だった。華々しく発表した内容が本当だったかどうかを聞きたいのに、社会的責任がわかっていない」と厳しく批判したとあります(読売新聞)。「仮説に戻った」と言っている以上、科学者としてはそれが正確な物言いでしょうし、「STAPがないと思っていたら研究には参加していない」とも言っているのですし、あると仮定しなければ説明できない現象があるとまで縷々材料を挙げて説明しているのですから、笹井氏の考え方は明々白々です。 こんな論評を平気でするとは情けない話です。

 
 笹井氏の記者会見を見て感じたことを、順不同で綴ると以上の通りです。
 笹井氏は、淡々と事実によって語らしめるという態度で、科学者のあるべき態度というのはこういうものかと感じ入りました。笹井氏は、別に小保方氏や若山氏に責任を押し付けてなどいませんし、責任著者の一人として事態を防げなかった責任を認め、謝罪しています。ところが、マスコミや識者は、責任分担のあり方について客観尺度がないにもかかわらず、個人的な主観だけで非難しています。小保方氏、笹井氏に批判(というより非難)ばかりの常連の「識者」が何度も登場して、したり顔でマスコミ受けする主観的批判ばかりしているのには、いい加減辟易します。善玉悪玉的視点が入り込んでいるから、バランスを失したものになっています。


 週刊誌は相も変らぬ低次元の記事ばかりですが、週刊文春では、ノーベル化学賞根岸英一教授までもが、激烈な言葉で小保方氏を批判しています。しかし、そこでは、「報道を見る限り」との前提でのコメントです。「科学者失格」「偽造の要素がある」などと断じるのに、報道をベースとして述べるなどとは軽率に過ぎます。
 
 コピペをする言語道断の「科学者失格」の研究者の研究が、検証によって正しいと認められ、自らも再現実験により作成に成功し、世界的大発見と改めて認められたけれども、日本の科学界やマスコミの猛烈バッシングに嫌気がさし、誘いに応じて米国や海外に渡っていき、そこで更なる成果を生み出した・・・という事態となった時、彼らはどう反応するのでしょうか??
 バカンティ教授の「ボストンに戻っておいで」という言葉の裏には、日本の科学界の今回の対応への嘲笑が感じられます。
 
 事実関係を冷静に追っていけば、弁護団の主張するように、画像の配置ミスに過ぎない可能性が高いのに、事実認定が杜撰で論理が飛んでいる調査委員会報告書の結論を鵜呑みにして、「改竄」「捏造」イメージをどんどん増幅させていく彼らの姿勢は「科学的」とは程遠いところにあります。
 「あってはならないミステイクだ」ということはそうかもしれませんが、それは「重過失」ということであって、「故意」ではありません。
 
【補足】
 笹井氏は、記者会見の前に、毎日新聞のインタビュー(メールベース)に答えて、次のように語っていますが、全くその通りだと思います。このブログでも指摘しましたが、
知財のことを考えていたら、こんなところで時間を無駄にしている状況ではありません。
 
毎日新聞は、論文の不正疑惑発覚後も笹井氏に複数回にわたって電子メールで取材した。
 論文については「調査に関わることなので話せない」との内容が多かったが、調査委が最終報告書を発表した翌日の今月2日、マウスのSTAP細胞が存在することを前提に、ヒトのSTAP細胞などの研究を海外の研究室が水面下で行っている可能性を懸念し、「日本の最大の損失」と表現。「論文競争はもちろんだが、知財(知的財産)競争は早くこの状況を抜け出せないと遅れをとるだろう」と記した。
 更に「STAP細胞の再検証と、ヒトへの応用研究などを並行する戦略性がないと、国内で過熱しているバッシングが自分の首を絞めることになる、という意見をネット上で書く人もいる。私も同じ危惧を抱いている」と表明した。」