いつか陽の目を見るであろう大手新聞社の没原稿―形勢は徐々に変化している
小保方氏の『日記』の中で、気になるものの一つが、上層部からストップをかけられて没となった某大手新聞社の報道の動きです。
次のように、大々的に報じられるまで、あと一歩でした。
「2015年6月4日
某大手新聞社から、これまでの私に関する報道を覆すような内容の記事を7月2日に出す予定だという連絡があった。その記事が出れば、理研が請求している印万の支払いも、私にだけ求められている博士論文の再審査もいかに不当であるか、社会は理解するだろうと伝えられた。
記事の内容は衝撃的で、全国版の一面を大幅に割いて掲載される予定。確実に嘘をついている関係者がいることと、その人の責任について記事にしたい。取材は独自に進めてきたもの。記事を事前に見せることはできないが、小保方さんにとっては必ず救いとなるものである。小保記事を陰から攻撃していたその関係者からは、新聞社にも小保方さんを追い詰めるための情報提供方がたくさんあった。その人は社会から責任を追及されるはず。後追いの対策なども、小保方さんに負担がかからないようによく考えます、とのこと。
不安もあるけど、期待もしてしまう。ずっと苦しめられてきた報道機関に期待してしまうなんて、本当に情けない。でもこれまでの報道が間違っていたことは真実なのだから、私の境遇が不当であることは真実なんだから、ちゃんと報道されてもいいはずだ。」
「2015年7月22日
以前、全国紙に今回の騒動の真相を暴く記事を掲載する予定と連絡してきた某大手新聞社からメールが来た。今回、掲載予定の記事は、私が取材協力をしなかったために、新聞社が独自に取材を進めて書いたという。インパクトの大きい記事なので、他社の後追い取材があると思うが、私がそれに応じてしまうと、そっちのほうが注目されてしまうので、我が社の記事のインパクトを守るために、他社の取材には応じないでほしい、という旨。また、社内での調整を進めて、8月初旬に記事が出る、と連絡が入った。
「2015年8月22日
以前、新聞社系列の出版社から手記を出しませんか、という話が来てから少しずつ執筆をしている。しかし、その後、出版社からは音沙汰がなく、手記の話は立ち消えになったようだ。だから、まだ誰にも見せるわけでもないけれど、今日再び書き始めた。これを書かないと終われない、死ねない、気がする。英語をやっていても、心をよぎるのだ。」
「2015年9月4日
悪いことは続く。以前、今回の騒動の真相を掲載すると言っていた新聞社から、「掲載を取りやめた」との連絡。社内の上層部からストップがかけられたそうだ。真実であったとしても社会が求める内容ではない、というのが本当のところ。当事者たちからの言質が取れない、というのが表向きの理由らしい。これまでどの新聞社も、私の言い分なんて関係なく、間違った情報もどんどん流してきたのに、私を擁護する記事を出すときだけは、他社の言い分が必要なのか。散々引き延ばしておきながらこんな結末。世の中が期待しても、真実が明るみに出ることはないようだ。自分で手記を書くほかないのか。」
以前、7月2日掲載予定が実際には掲載されなかった事情を、想像してみたことがあります(以下の記事の最後)。
8月初旬まではそれでも掲載予定だったということが、日記からはわかりますが、上層部からストップがかかった事情としては、様々な思惑が絡んでいたと思います。
まずは、何といっても、理研や科学界を敵に回すことになりますから、以後の様々な科学関係の取材等に支障が出る可能性は念頭にあったと思います。実際、『あの日』を出した講談社に対して、取材拒否呼びかけの動きもありましたから、あり得る話です。
上記ブログ記事にも書いたように、「小保方氏が返還請求に応じて、不正を認めた。それでも小保方氏が正しいといって書くのか?」といった迫り方で、記事潰しにかかった可能性は想像に難くありません。
STAP細胞問題は、2015年夏時点では、大手マスコミ的には一件落着的雰囲気で、関心が失われていました。あれだけ騒がれたものの一気に冷めてしまった小池都知事や希望の党の扱いの如く、少なくとも大手マスコミが扱うマターではなくなっていた感があります。
同問題をフォローしていた者にとっては、BPOの審議、告発の行方、学位の扱い、特許出願の行方など、多々注視すべき問題はありましたが、大手マスコミとしては、紙面を割いて報じるようなニュースバリューはもうないと感じていたと思われます。それが、「真実であったとしても社会が求める内容ではない」という言葉に現れたのでしょう。真実を追求するのがマスコミの役割のはずですが、大手新聞社といえども私企業ですから、取材や販売への影響などの損得勘定を、上層部としては考えざるを得なかったのでしょう。
大手新聞社の経営は、不動産収入で持っている面もあり、肝心の新聞販売収入は凋落の一途です。くすぶっている押し紙問題の展開次第では、深刻な経営問題となる社も出て来るかもしれません。
取材に影響が出るとすると困る、という思惑は、東大医学部の論文不正の疑いの件でも、如実に表れていました。「真実であったとしても社会が求める内容ではない」という言葉は、換言すれば、「真実であったとしても見合わない」ということでしょう。
■しかし、その取材記録が抹殺されたわけではありませんし、真実ではないという判断されているわけでもありませんから、新聞社としての損得勘定で、「使える」と思えば、陽の目を見ることもあると思います。取材した記者たちにとっても没のまま陽の目をみないのは不本意でしょう。
この当時は、まだ、『あの日』の出版前でしたし、それが出版されて30万部?の大ベストセラーとなり、更に『小保方晴子日記』も連載ののち出版され、瀬戸内寂聴氏という、出版社としても決して無視できない重鎮が、小保方氏を全面的に支援していることが広く知られるようになりました。今回の単行本の『日記』でわかったことは、寂聴氏と小保方氏の密な交流がずっと続いているということでした。文芸誌を出している出版社としては、なかなか微妙なところでしょう。
また、これはSTAP細胞問題の本質とは関係ないことではありますが、今回の単行本の末尾に掲載された小保方氏の美貌というのは、無視できない要素だと思います。その文才と併せて、スター性を持っていることが、有利に働くことは否めません。
諸々の形勢が、じわじわと変わりつつあると思います(私はそう思っています)。その形勢が今までとは逆転したと受け取られるようになった時には、没となった大手新聞社の取材記録も陽の目を見ることになるでしょう。
『あの日』の翻訳本の海外出版は、その形勢変化を加速する働きをするものと思います。
大手新聞社がどこだったのか?は気になるところですが、毎日、日経は論外で、朝日もT女史がアンチですし、そうすると、読売か産経ですが、産経もあまり関心なかった様子ですので、読売かな、というのが一般的想像でしょう。系列出版社は、今回の『日記』の中央公論新社です。一時、手記の出版話を持ちかけてきたのも、新聞社系列の出版社だったといいますが、同社だったのかもしれません。
STAP細胞事件は、まだまだ続きそうです。