理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

過去が吹っ切れて意欲旺盛になりつつある印象の小保方氏―小保方晴子日記第11回


 本日発売の「婦人公論」(6月27日号)の小保方晴子日記第11回を読みました。

 かなり元気になってきている印象ですね。
 躁状態かもしれない、と自らを分析して、躁風船が萎むのを感じるときもあるようですが、全般的には、前回までの2年前の5月時点とは、雲泥の差のような気がします。

 ともかく、五感がフル回転(特に味覚・・・笑)ですし、読書にも寝食を忘れるほどにのめり込んで気が付いたら深夜2時のことも。

 過去は吹っ切れつつあって、明らかに前を向いている印象・・・。
 まだ多少、本来の自分とのズレを感じるものの、今までの自分とは違うということを描写しています。

「気が付いた時には一日が終わっている。・・・ここ数年私が過ごしてきた世界とは別世界。・・・浮き足立つとはきっとこのことだ。」

 (一日があっという間に過ぎ)「夜は眠い、食事が美味しい、体を動かすのが楽しい。」

(以前は、理不尽で納得がいかないと内心怒り狂っていたこともあったが)
「今の私に怒りはない。時間が過ぎたんだな、私だけが取り残されるわけにはいかないな、と思う。そう思う胸の奥にはまだくっきりと、でも明らかに以前よりは弱い痛みを感じる。」

 他にも随所にそういう、吹っ切れつつある印象を抱く記述があります。

■5月2日の日記の記述が、少々ややこしい文章ですが、「これからが一番つらい」と書いているのは、前回の2015年5月から先のことを指しているのだと思います(「底の底」の期間)。

 「思い出すのを一番避けていた時期に差し掛かる。原稿を準備するのがすでに怖い。」
 「当時の苦しみがそのまま体に蘇る。」
 
 それを書いてしまえば、もう嫌なことはなくなり、吹っ切れるということでしょう。
それはやはり、早稲田の学位取消のことなのでしょう。たしか、5月頃からでしたから。
 次回は、前回の続きの2015年5月19日からだそうですので、その辺の話がメインなのでしょう。

■今の小保方氏は、今後のことに目が向いているようです。

「(米とぎ用の笊を買いに出かけて)強い日差しの中、人目を避けながら、一応やるべき仕事があるのに、勉強だってしないといけないのに・・・笊を見つめながら何時間も悩んだ挙句、…買わずに帰宅した。」

 やるべき仕事があるんですね♪

 大学院で実験を教えてくれた先輩と再会して、長時間話し込んだり、『あの日』の編集者だったベロニカさんが会いに来てくれて、コーヒー4杯おかわりしながら久しぶりの長話をしたり・・・・と、ちょっと気になる箇所もチラホラです。

■今回の日記を読んで、この日記の連載の読み方に留意が必要な気がしました。

「1回の原稿が終わるごとに、私に絡みついた紐が一本一本解けていくような気がする。こうして書く機会がなければ・・・私自身ががんじがらめにされたままだったと思う。 この先の連載はこれまで以上に体力がいるけれど、乗り越えられるものも大きいといい。」

 読者側とすると、過去の日記の記述を、現在進行形のような錯覚で、追体験的に読んでしまいがちで、こちらも、その喜怒哀楽に同調して、ついつい感情を昂ぶらせてしまいがちです。しかし、小保方氏とすると、この連載は過去の自分の脱皮の過程を描いているということのようで、現在の自分の気持ち、状態とはかなりの落差があるようですので、そのことを念頭において読むほうがいいように感じました。

 家内を始め、女性たちは、ずっと以前のことでも、昨日のことのように感情を蘇らせて怒り出すこともしばしばなので(笑)、小保方氏の日記もそういう面もあるのかな?と思って読むと、どうも違うようです。
 前を向いて諸々の意欲が出てきているのは何よりです。


※ かつての味のあるNHKのお天気キャスターで、お天気博士として人気があった倉嶋厚さんが、ご夫人を亡くされて、失意のどん底で、もう死にたいと思ったこともしばしばの深刻な鬱状態から、傷の薄皮が少しずつはがれて行くように回復していったことを描いた
『やまない雨はない―妻の死、うつ病、それから』(2002年、文藝春秋刊)
を思い出しました。