理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

小保方氏の学位取消と共通する、千葉大の監禁容疑の学生の卒業取消という暴走


少し前になりますが、千葉大生が、卒業直後に、その在学中に女子中学生監禁を行っていたとして逮捕されたことを受けて、千葉大が、卒業認定と学位授与を取り消しました。
 
 この件の経過をみると、大学側の対応に、早稲田大学の小保方氏の学位取消と共通する問題があると感じました。
 小保方氏の手記の最終章での早稲田大の学位取消に関する説明についてのコメント記事はまだしていないのですが、それは別途書く予定です。その前に、この千葉大の一件が起きたので、ちょっと取り上げてみます。
 
  まず最初は、卒業しても、まだ年度末までは在学期間中なので、遡って停学処分にし、停学期間中の単位は認めないということで、単位不足として卒業を取り消すという方法を示唆したので、「そんなことができるのか?」と異論が噴出しました。しかし、遡及的にそんなことはできないだろう、という指摘もあり、改めて検討し直すということになったということで、そのまま立ち消えになるかと思われました。以下、J-CASTニュースからの抜粋です。
 
千葉大では、犯行が在学期間中に行われたとみられることを重視。さかのぼって寺内容疑者に停学処分をくだし、卒業要件を満たさない状態にして事実上卒業を取り消すことを検討していたが、学内の法律専門家からは「さかのぼって処分するのはおかしい」と異論が噴出した。だが、「このまま卒業させていいのか」といった声もあり、改めて処分の方向性を検討し直すことになった。」
 
 ところが、331日付けで、卒業認定及び学位授与を取り消し、卒業を留保することを決定した旨が発表されたので驚きました。
 
「本学の学生による不祥事への対応について
         平成28331日  
 
(略)現在、本学として、下記のように対応しております。ご報告申し上げます。
 329日(火)、工学部の教授会において、本学の「学位授与の方針(1)」では、社会規範の遵守を求めているところ、当該学生の行動は懲戒処分事由(2)が疑われ再考の必要があるため、一旦、卒業認定及び学位授与を取り消し、卒業を留保することを決定しました。
 
 また、本学は同日、学生懲戒委員会を設置しました。今後は、捜査等のゆくえをまって、当該学生の処分について、検討していく予定です。
 なお、千葉大学学則第14条により、「学年は、41日に始まり、翌年331日に終わる。」とされており、当該学生の大学における学籍は、「331日」まで存続しています。」
 
 学籍がまだあるとの前提の下に、卒業を取り消した上で、改めて懲戒処分を考えるということだそうですが、裁判での有罪確定とともに「放校」処分にして、千葉大の卒業生ではなくしてしまうという思惑であることは明らかでしょう。
 
 しかし、千葉大のやっていることは極めて問題のある不公正手続きではないか、と感じます。最初の案と、実際に決定・実施された案のそれぞれに重大な問題があります。
 
 
1. 当初の「遡って停学処分にして、単位不足で卒業を取り消す」という案の問題
 
 最初に考えて異論が噴出したという、まずは遡及して停学にして、実際には単位とっているのにとっていないものとみなして、単位不足で卒業取消にするなどという策は、荒唐無稽すぎます。記事に書いてあるような、遡及的に停学させたことにして、実際単位と取っているものを取っていないものと見做すなど、事実を覆す話ですから考えられませんし、そもそも、懲戒処分をするためには、本人に懲戒対象の事実が確定していること(又は学生が認めていること)、懲戒対象の学生に意見陳述の機会を与えることが必須となります。
 
千葉大学学生の懲戒に関する規程
 
(当該学生等の意見陳述)
14条 当該学生の所属する部局の長は,当該学生等に対し,予告された懲戒処分案について意見陳述の機会を与えなければならない。
2 当該学生等は,前条の規定による予告を受けた日から5日以内に,所属する部局の長に陳述書を提出することができる。」
 
 まだ逮捕されて起訴もされていない段階で、事実関係が確定しているわけでもなく、新聞報道ベースでの話ですから、本人が直接、千葉大に監禁事実を認めたのでなければ、処分ができないはずです。
 
 また、そもそも、卒業し学位授与した後も、本当に学生としての身分があるのか?という論点もあります。通常、卒業を以て、学籍を失うのではないかと思いますし、学生証も返還するように規定されています。他大学ではそうなっているので(「卒業、中途退学などで学籍を失った場合には学生証は返還すること」という規定の仕方)、千葉大の規定をみようとして検索かけたら、なぜかERRORで表示されませんでした。卒業証書を授与したら、それで在学生としての恩典(例えば、図書館、学生食堂、生協、保険等の利用)も失うのではないかと思うのですが、そうでもないのでしょうか? 単に、「学年が331日に終わる」とあることを以て、学籍が本当に年度末まであるのか、そういう運用をしているのか、そういう運用で全体を統一的に扱っているのか、といったことが明らかにならないと、卒業後も年度内は在学生としての身分が続くという今回の千葉大の扱いには釈然としません。
 
 いずれにしても、これは、逮捕された男性が学籍があるとしても、3月末までですから、それまでの間に、懲戒対象となる事実関係が公的に確定させることはもちろんできませんし(本人が認めない限り)、意見陳述の付与についての手続きを完了させることは物理的に困難ですから、この案は、案たり得ないということで、見送られたということでしょう。
 
 本来は、そこで終わりなのです。女子中学生誘拐・監禁犯が千葉大卒業生だった、しかも在学中に犯行に及んでいたということは、千葉大当局だけでなく、在学生や卒業生にとっては気持ちの上では到底納得できないところだろう、ということは想像できますし、私もその立場だったら、そういう気持ちになるでしょう。
 
 しかし、この気持ち、心理状態になるのは当然だからといって、その後の公正手続きを無視した私刑的な暴走が許されるものでありません。この点は、小保方氏の学位を剥奪した早稲田大学の暴走と共通するところです。ほとんど相似形といっていいでしょう。その点は、実際、千葉大当局が実際どういう措置をとったのかをご紹介したあとでご説明します。
 
 
2.実際に行われた「卒業認定と学位授与を取消し、卒業を留保した上で懲戒を検討する」との措置
 
最初の「1」の案も酷い内容ですが、こちらの実際に行われた措置は、それ以上に酷い内容で、こういうことが有力国立大学で行われ得るのか、ちょっと信じがたいと思います。
 あっさりと、「卒業認定及び学位授与を取り消した」と述べていますが、そもそもこれは、懲戒処分とは別途の、独立した不利益処分そのものです。卒業を留保して、これから懲戒委員会を設置して処分について検討していくとしていますが、それ以前に、卒業・学位取消という重大な不利益処分を、何らの根拠、事実認定を経ずに行うなど、絶対にあり得ない話です。
 
 千葉大当局は、本措置の発表文の中で、次の方針や規定を引用しています。要するに、社会の規範やルールを尊重しないような反倫理的な学生に学位授与などできないから取り消す、ということの根拠にしているのが、最初に引用された学士課程における「学位授与の方針」であり、卒業を取り消した後の懲戒処分の根拠とするのが「懲戒規程」というわけです。
 
1 千葉大学 学位授与の方針(抜粋)
 
「自由・自立の精神」...自立した社会人・職業人として、自己の設定した目標を実現するために自ら新しい知識、能力を獲得でき、自己の良心に則り社会の規範やルールを尊重して高い倫理性をもって行動できる。
 
 2 千葉大学学生の懲戒に関する規定(抜粋)
 
 3条(停学の基準)二 学内又は学外において重大な非違行為を行った場合
 4条(放学の基準)四 学内又は学外において重大な非違行為を行った場合で、特に悪質と判断された場合
 5条(悪質性及び重大性の判断)第3条第3号及び前条第3号から第5号までにおける悪質性は、当該学生の主観的態様、当該非違行為の性質、当該非違行為に至る動機等を勘案の上判断する。
2 第3条第2号及び前条第4号における重大性は、当該非違行為により被害を受けた者の精神的苦痛を含めた身体被害の程度、非違行為が社会に及ぼした影響等を勘案の上判断する。」
 
 しかし、ここには糊塗している重大な問題があります。
 
第一は、「※1」で引用している「学位授与の方針」は、個別具体的な手続きを定めた規程ではなく、総論的な人材育成指針的マニフェストに過ぎないということです。 
  千葉大当局が引用している箇所は、冒頭部分ですが、これは大学院課程における「学位授与の方針」とも共通した文言です。開いてみれば、総論的指針であって、手続き規程でないことは一目瞭然です。
 
 このようなマニフェスト的指針を根拠にして、何らの根拠、手続きも経ずに、卒業の取消、学位の取消など、できるものではありません。例えば、「我が大学は、知性に富み、高度な使命感、倫理観に立って社会に貢献できる人材を育成する。」という指針を標榜していて、それに反するからと教授会が勝手に決めて、学士号を取り消すなど考えられないでしょう。
 
 第二は、学士号の取消の根拠となる規程がないのに、取り消してしまったということです。取り消すためには、卒業と学位の取消の根拠規程が必要です。それが、千葉大学では、「千葉大学学位規程」という形で定められています。
 
 学位の授与も取消も、この規程に基づいて行われることになっています。早稲田大学が小保方氏の学位取消に際して根拠規程として検討したのも、同様の「学位規則」です。
 ところが、本当に驚くべきというか信じられないことに、千葉大当局はこの学位授与規程を何ら参照・検討することなく、学位を取り消したのです。
 
 この規程は、学士、修士、博士の各学位について規定しています。学士号は、学則の規定によるとされています。
 
(学士の学位授与の要件)
3条 学士の学位の授与は,千葉大学学則の定めるところにより本学を卒業した者に対し行う。
 
 それで、学則には、次のように書かれています。
 
「第5節 卒業及び学位の授与
(卒業)
49条 本学の卒業の要件は,第12条に規定する修業年限以上在学し,124単位以上を修得するものとし,各学部の定めるところによる。
2 前項の規定により卒業の要件として修得すべき124単位のうち,第36条第2項の授業の方法により修得した単位数は,60単位を超えることができない。ただし,卒業要件の単位が124単位を超えるときは,卒業要件の単位数から64単位を控除した単位数を超えることができない。
3 卒業の認定は,学年又は学期の終わりに,当該学部の教授会の意見を聴いて,学長が行う。
(早期卒業)
50条 (略)
(卒業証書の授与)
51条 前2条の規定により卒業を認定された者に対し,学長は,卒業証書を授与する。
(学位の授与)
52条 本学を卒業した者に対し,学士の学位を授与する。
2 学士の学位に関し必要な事項は,別に定める。」
 
 必要な単位を取得すれば、卒業認定がなされ、学位が授与されることになっており、それらの取消については規定されていません。
 他方、修士や博士は、授与は大学院学則により修了した者に対して行うとされる一方で、その取消も、学位規程で明示的に定められています。
 
「(修士の学位授与の要件)
4条 修士の学位の授与は,千葉大学大学院学則(以下「大学院学則」という。)の定めるところにより本学大学院修士課程(3年の課程の修士課程を含む。)及び博士前期課程を修了した者に対し行う。
 
(博士の学位授与の要件)
5条 博士の学位の授与は,大学院学則の定めるところにより本学大学院博士課程を修了した者に対し行う。
2 (略)
 
(学位授与の取消)
 21条 修士若しくは博士の学位又は専門職学位を授与された者が,その名誉を汚辱する行為があったとき,又は不正の方法により修士若しくは博士の学位又は専門職学位の授与を受けた事実が判明したときは,学長は,教授会の意見を聴いて,学位の授与を取り消し,学位記を還付させることがある。」 
 
 即ち、修士、博士の学位は、いったん与えて後も、名誉の汚辱行為、不正の方法により授与された事実があったと認められる場合に、取消すことができるとされています。早稲田大では、「名誉の汚辱行為」という要件がなく、「不正の方法」だけが取消要件となっていたため、その解釈を判例に則り厳密に解釈して、小保方氏の場合には取消要件には該当しないとしたのが、不正調査委員会の結論でした。
 しかし、学士号の場合には、(どの大学でも共通だと思いますが)このような取消規定が存在しません。同じ学位規程の中で、修士・博士には取消規定があり、学士には取消規定がないということは、いったん与えた学士号を取り消すことは想定されていないということであり、できないということです。
 それをあっさりと、「学位授与の方針」という総論的な指針だけを根拠に取り消してしまったというのが、千葉大当局が行った措置です。法治もなにもあったものではありません。
 
 一般的に、大学卒業や学士号が、事後的に取り消されることが想定されていないというのは、そんなことをしていたのでは、それこそ、早稲田大の調査報告書が述べていたように、それを前提にして出来上がっている法律関係や社会秩序が崩れてしまい兼ねないからでしょう。
 就職では、高卒や大卒という資格を前提に採用が行われているのが通常で、それを、ちょっと刑事罰になるようなことをしたり、倫理的に問題となるようなことをしたら、大卒資格自体が、事後的に取り消される可能性が出てくるということがあれば、本人のみならずその所属組織自体も極めて不安定な状態に置かれることになってしまいます。
 大卒資格(学位)というのは、一定の専門的な講義を受け、試験を通って単位を取ってそれなりに高度な学力を保有するに至った者であるという学力証明です。その過程が不正であったということであれば(例えば、替え玉で試験を受けた等)、潜在的に取消対象にもなり得るのでしょうが、それならばそのような根拠規定を置いておかなければなりませんし、時効も必要でしょう。


 東大卒の詐欺師、凶悪犯罪犯などごまんといるでしょうが、それで東大卒の資格を剥奪しようなどとは誰も考えません。大卒の暴力団員なども多いことでしょうが、それでもって、その暴力団員の大卒資格を取り消せなどという指摘はどこからも出てきませんし、頭にチラとでも浮かぶことはありません。
 
 修士号や博士号が、不正な方法により得た場合に、事後的に取消対象になるのは、専門的識見を有するに至ったという証明となる学位の根拠が崩れたことになりますから、その目的上当然のこととして、その名誉を汚辱する行為があったときにも取消対象になる規定があるのは、高度な専門資格として、一種の倫理性を求められるとの判断によるものでしょう。弁護士や公認会計士らが、犯罪や不正行為を行った場合に、資格停止・剥奪処分があるのは、高度な倫理性の期待を裏切ったから、ということでしょう。


 修士号は微妙な気はしますが、博士号で、「名誉を汚辱」という要件で事後的な取消を規定している例があるのは、(今でこそ、博士というのは山ほどいますが)かつては「末は博士か大臣か」と言われたように、社会を支える高度な知見を有する識者であり、社会の木鐸的な目で評価され、尊敬もされていたことの延長によるものだろうと思います。それが今では、石を投げれば博士に当たる、というくらいに珍しくもなんともなくなってきていますし、社会の木鐸的な目で見られることもなくなっています。いわば、学士の延長的な色彩が濃くなってきていますから、その事後的な資格剥奪は、学士号の取消と同様に、その資格を前提に形成された法律的、社会的関係・秩序が不安定なものになりかねないとの判断から、大学によっては、早稲田大のように、「不正な方法により学位を得た場合」に限定した取消要件にしているということだろうと思います。
 
 いずれにしても、

① 千葉大の規程において、大卒資格=学士号を、事後的に取り消す手続き的根拠規定は、他大学と同様、存在していません。
② 学位授与規程において、修士号、博士号は事後的な取消規定がある一方で、学士号についてはそれがないことからしても、事後的な取消はできません。
 
千葉大当局は、それにも拘わらず、工学部教授会の決定を経て、何らの根拠規定も、根拠となる認定事実もなく、ましてや当事者本人の弁明の機会も与えずに、あっさりと重大な不利益処分を行ったということです。
この処分には、当初案に対するように、なぜ「異論が噴出」しなかったのか、不可解ですが、工学部教授会が、みんなで渡れば怖くないとばかり、空気で決めて、学籍がなくなる年度末が目前に迫っていたためにそのまま学長、当局が卒業を取り消してしまったということなのでしょう。


     
要するに、千葉大当局は、「私刑(リンチ)」をした、ということです。「こんなヤツが千葉大の卒業生だなんて堪えられない!」という気持ち、空気だけで勝手に剥奪してしまったわけです。

 
千葉大学には、法学部はないのだろうかと思って検索してみると、法経学部という立派な学部があるそうです。学部紹介に次のようにありました。
 
法学科
法学系の学部学科を擁する国立大学は、本学を含めて東京圏に3校しかありません。
千葉大学法経学部法学科は、教員数やその教育水準においても、また学生の水準においても、他大学の法学部にひけをとらない陣容を誇ります。
先端的な研究実績を誇る法学科スタッフは、教育面でも現代社会で必要とされる問題発見能力・問題解決能力を備えた人材育成に力を注いでいます。」
 
こういう学部学科の教授陣のセンスがあれば、今回の工学部の教授会の審議を経た学長の決定が、如何に法治に反するものか、如何に公正手続きの要請を蹂躙する暴走だったかということは、よく理解できると思います。
大学という組織は、企業とは異なり、経営陣の指揮命令の下、コンプライアンスを徹底させるということができず、一種の無責任体制的な面があると思います。大企業であれば、一部門において、今回の千葉大工学部教授会のような暴走的決定がなされても、法務部門やコンプライアンス担当部局でストップがかかり、決して対外的にそのまま出ていくことはないでしょう。


記事によれば、千葉大当局の渡辺理事は工学部、徳久学長は医学部出身だそうです。理系の学長や理事がいることは、もちろん何の問題もありませんが、大学運営に責任者、当局者として従事する以上は、手続き的公正性、法治の必要性を十分に理解し、それが大学運営に反映されるような仕組みを整備し、担保することが必須となってきます。それが全くできなかったのが、今回の卒業取消措置でした。
 
 当事者の学生は、警察に逮捕され、今後の裁判で実刑を言い渡されて、長期間の服役をすることはほぼ確実ですから、とんでもない処分を受けても、実質的に対抗できない状態にあります。世間も別にそれに異議を唱えることはありません。それに乗じて、一気に千葉大との縁切りをし、世間の忘却に期待して、あとは何事もなかったかのような顔をしよう、という思惑がはっきり見えています。
 女子中学生監禁犯が千葉大卒であることを不名誉に思う気持ちによる暴走によって、国立大学とは到底思えない法治の無視というより大きな不名誉の烙印を押されることになった、というのは皮肉な話です。
 
 早稲田大の小保方氏の博士号剥奪処分については、学位取消規定の文言に該当するかどうかというところが争点になっていましたので、千葉大のような全く無根拠の措置と比べればまだましですが、理工学部の教授会が、手続き的公正性、法治の必要性を十分に理解しないまま暴走し、それを大学当局が十分抑止できないままに追認してしまったという点では共通だと思います。
 「不正の方法」の解釈変更や、処分の条件内容の実質的な事後的変更など、司法界に人材を多数輩出する天下の早稲田大とは思えない措置でしたし、小保方氏の手記によれば、不合格の理由書に(!)「博士に値しないことは、一連の業界の反応を見ても明らか」と書かれていたとありますが(p247)、それが本当だとすれば、それもまた信じられないセンスだと感じます。「我が教授会(運営会議)は、世間の空気も勘案して可否を決めます」と言っているようなものでしょう。
 小保方氏の手記の最終章に書かれた早稲田大の学位取消の件については、近々、また別途書くようにします。