理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

小保方氏やシーケンサー解析担当著者らの正当な抗弁を封殺した理研幹部は誰か?―威力業務妨害・背任に等しい行為であり責任が追及されるべき

【注】 2月11日10:15に、かなり加筆しました。 

 これまで本ブログ記事では、不正調査の公正性を揺るがす理研や不正調査委側の行為について、小保方氏の手記から抜粋して紹介しています。
 
 その中で、次の2点は、特に問題が大きいものであり、調査の公正性、信頼性を決定的に揺るがすものです。被調査者の正当な抗弁を封じたものですし、特に後者の小保方氏の提出した証拠の封殺は、本件STAP細胞問題の構図の印象を根底から左右するものであるだけに、ほとんど犯罪的といってもいい(威力業務妨害に等しい)背任的行為であり、責任を追及されるべきだと思います。
 その提出しようとした証拠が提出され、それが採用・公開されていれば、STAP細胞事件の流れは大きく変わっていたことでしょう。
 
シーケンサー解析担当著者がGDから再解析を止められた】


「このブログ(注:kahoのブログ)のことを知らせてくれた研究員は、「あまりに内容がひどく、kahoという人は理研内部の誰かに違いない。しかし笹井先生に敵意を持っているように読める」と泣きそうな顔で訴え、なにより「自分はこの論文の次世代シーケンサーの解析担当だったのに、これ以上の解析を行うことを、CDBの2人のGDに止められている。kahoという人の卑怯なやり方に反論したくとも、解析を制限され、これ以上何もできない。業務時間を他人の論文の批判とブログの更新に使っていることも信じられない」と憤慨していた。
 さらに4月に入り、入院中だった私のもとにkahoと名乗る人の情報を教えてくれた共著者の一人から電話があり、「笹井先生から記者会見での説明のために、さらなる解析の協力を頼まれたが、2人のGDに止められた。なぜ共著者が科学的証明のために手伝うのを止められるのか理解できない」と泣きながら訴えてきた。
 このような経緯があり、若山先生以外の理研の著者らは、著者自らで再解析を行い検討することができなくされていた。そのために、後に発表される次世代シーケンサーのデータに関する疑義なども、すべてが外部からの告発という形態がとられることになり、理研の著者らはまったく身動きが取れない状況に追い込まれていった。
 その一方で、著者の中で若山先生だけが自由に自分が所持しているサンプルを解析し、自分の意見を社会に向けて発言することが許されていた。そしてその行為があたかも研究者の模範のように取り上げられた。解析されている細胞を作製し、保存していたのは若山先生だったにもかかわらず、理研内の著者だけが調査対象とされ、サンプルに触れることも許されなかった。もし理研内の著者らにも平等に自ら再解析する機会を与えられていたなら、社会の反応はどう変わっていただろうか。この不公正さを助長していた理研CDBの幹部たちは、何を目的として、著者らから再解析の機会を奪っていたのだろうか。この時点で、すでに、この混乱に乗じて誰を罰したいのか、調査する人たちの間で明確な線引きが行われているように感じられた。」(p150~151)
 
【助言という名の検閲で削除された小保方氏提出の証拠】


「桂調査委員会に対して、「若山研での実験の実態を伝えようと思ったが、多くの証拠が詰まっている若山研時代のメールアドレスは、ハーバードのものなので、すでにアクセスすることができなくなっていた。
 そこで、「委員会への取次を担当してくれた事務の人に相談したところ、当初は私の話を聞き、残っているメールなどの証拠を見たその人は、「若山さんが研究を主導していたのは明らか。調査はきっといい方向に行くはずです」と言った。調査委員会からの回答を求められていた質問状に対する回答の書類とともに、若山研での研究状況を少しでも伝えるための書類を同時に提出したいと考えていた。
 ところが、いざ調査委員会に「これらの証拠を提出したい」と若山研での実験の実態を示す証拠をまとめた証拠を見せると、助言という名の検閲が入り、公表されると理研に都合の悪い情報は、すべて削除された。・・・・その方をとても信頼していただけに、このとき私が感じた孤独感は、計り知れないものがあった。・・・川合理事から話があった、若山先生と私の情報量の補整も、結果的に行われることはなかった。」(p232~233)
 
 
 次世代シーケンサーの再解析を止めたのは、2人のGDとありますが、若山研での研究実態を示す証拠提出を阻止したのは誰なのでしょうか? こういうことができる立場の者は、GDクラスの者以外あり得ないと思います。小保方氏が、「とても信頼していただけに・・・孤独感は計り知れなかった」と形容する者は、だいたい絞り込まれます。
 
 当時のGDが誰だったのか? については、自己点検委員会報告書の補足資料に掲載されています。
 
(2)GD の主な分担(2013 4 月~2014 4 月)
竹市雅俊(センター長) 総括
笹井芳樹(副センター長) 施設、予算要求
林 茂生 人事
松崎文雄 予算
倉谷 滋 学術集会、広報国際
 
 GD の主な分担(~2013 3 月)
竹市雅俊(センター長) 総括
西川伸一(副センター長) 医療産業都市
相澤慎一(副センター長) 予算
笹井芳樹 施設、予算要求
林 茂生 人事
松崎文雄 学術集会
倉谷 滋 広報国際
 
 
 自己点検委報告書であるために、取りまとめ直前の2014年4月迄の時点で書いているのでしょうが、それ以降もこの体制だったと思います。
 笹井氏からの記者会見に向けた次世代シーケンサーの再解析の依頼を止めた2人のGDは、竹市センター長、林茂生人事担当、松崎文雄予算担当 のいずれかでしょう。
 小保方研究室の封鎖、試料保存を命じたのは竹市センター長ですから、それを調査対象者である次世代シーケンサー解析担当著者に触らせるのは適当ではない、という意味で止めたのだろうと想像されますし、それは理解はできます。小保方氏が抗議しているのは、最大の当事者であり被調査者であるはずの若山氏は、自由に残存試料を扱って、自由に(勝手に)主張を発信していたりするのを放置する一方で、不正調査実施の大きな要因となったkahoのブログの「ひどさ」に反論するための担当著者の再解析機会を奪うのはおかしいではないか、という二重の意味での恣意性、不公正性についてです。
 
 若山研での研究実態を示す証拠提出を阻止したのは誰か?については、小保方氏が、「とても信頼していた」「孤独感は計り知れないものがあった」と述べるところからすると、竹市センター長か、相澤特別顧問の2人のうちのどちらかでしょう。
 憶測で言うのはよくないのですが、相澤氏かもしれないと感じました。小保方氏の手記を読んで、印象が大きく異なったのは相澤氏でした。ネット等では、「相澤氏が小保方氏を激励していてけしからん」とかの話が流れていたり、検証実験結果発表の記者会見の最後に、「大きな制約のある形での再現実験をさせざるを得なかったことについて、小保方氏にお詫びをする」という趣旨のことを述べていましたので、小保方氏に理解を示していたのではないかと思っていました。
 他方、小保方氏の手記を見ると、相澤氏は、JISAIさんがいう「体育会系」ということなのかもしれませんが、小保方氏にかなり辛く当っている様子が垣間見られます。
検証実験中、「あなたが大変なのは、しょせんは身から出たサビだ」と言われ、涙ぐむと「何を甘えている」と呶鳴られた、とあります(p239~240)。
 
ややバイアスがかかっている様子が見て取れるものの、それは措くとして、
 
「検証終了とともに、辞表を出したらどうか。・・・検証実験はお前の実験の終了とともに打ち切りにする、と言われた時、ギブスでカチカチに固めた心が研ぎ澄まされたカミソリでサクッと半分に割かたれるのを感じた・・・。私はもうもたない。もう限界を超えた。この心はもう治らない。・・・広い砂漠の中にポツンと一人置き去りにされたような気持ちだった。」(p236)
 
 と書かれていますので、「とても信頼していただけに・・・孤独感は計り知れなかった」という記述とも符合します。
 竹市センター長は、自己点検委に対する小保方氏の陳述要請を、「今さら変更が増えると混乱が起きるので、もうあきらめてほしい」と却下している「前科」がありますが(p182)、ちょっと小保方氏の手記の雰囲気では、「偉い人」という捉え方で、「とても信頼していた」というほど身近ではないと思います。
西川氏は、6月末に「理研にいては自由に発言ができない」として辞職していますから、無関係です。

なお、小保方氏は、検証実験結果の記者会見の日程の連絡は一切来なかったとし、日程を伝え聞いた時に、「わたし記者会見にでましょうか?」と言うと、「これ以上、混乱させないでくれ」と言われた、と書いています(p217)。
相澤氏も、混乱回避、早期収束の意識が優先していたということでしょう。

【補足・訂正】 相澤氏ではなく、やはり竹市センター長かもしれません。下記のコメント欄をご覧下さい。小保方氏は、手記のまえがきで、相澤氏には、笹井氏、丹羽氏に対すると同様、深い感謝と尊敬の念を捧げています。全体の調査遂行を仕切っていたのは、明らかに竹市センター長ではありますし。
 
 もともと、桂調査委の調査の進行に関して、その事務局体制や、理研幹部の関わり方が明確ではなかったのですが、理研CDB幹部の関与は、当然(・・・では本当はないはずですが・・・)相当あったものと想像されます。
 特定国立研究開発法人法案の提出の環境作りという至上命題が密接に絡んでいますから、理研幹部としては、早期に収束させたいという思惑はもともとあったと思いますが、8月末の検証実験の中間報告辺りから、その早期収束に向けた動きは加速していったものと想像されます。
 遠藤、若山氏の主張に影響された科学界の捉え方や、改革委提言や検証実験中間報告の流れの中で、早期収束させるためには、そういった世の中の捉え方に合致する、ES細胞混入・捏造のシナリオで行くこととし、その犯人も断定までいかなくとも色濃く突き止めた印象を与えなければならない、というのは共通のコンセンサスになっていったのでしょう。
 だから、検証実験・再現実験結果も、「論文のような」STAP現象は確認されなかったという結論にしてこれを否定し、笹井氏、丹羽氏、かつての若山氏の述べたところの「ES細胞では説明できない材料、事象」については、「調査の対象外だ」としてこれをはずし、キメラマウス等の残存試料の解析ができなかったことは曖昧にし、若山氏の「マウスの系統のコンタミはない」との主張を何ら裏付けをとることなく所与の前提として、遺伝子解析のみで結論を出すこととした、ということでしょう。若山氏の不正調査でのスタンスは、一連のSTAP細胞研究では、「技術的支援のため受け身だった」というものであり、調査委もそれを受け容れていました。
 以前から述べていますが、上記の諸点について科学的に追求し、「真相は不明である」との結論では、政治的にもたず、特定国立研究開発法人法案の提出の環境作りが困難になってしまいます。
 
 そういうシナリオの中で、小保方氏から、若山研での研究実態についての証拠を提出されてしまうと、そのシナリオが崩壊しかねないですから(というか、崩壊しますから)、強権発動で、これを阻止したということでしょう。
 しかしこれは、不正調査における被調査者の弁明の機会確保という基本中の基本である要請を蹂躙するものであり、その公正性は著しく損なわれています。
 そのように、不正調査手続きの公正性を故意に著しく歪めたという点で、不正調査という業務を妨害したことになり、善管注意義務に違背する背任的色彩を強く帯びています。
 いずれ、STAP細胞問題が再度見直しがなされることとなったとき、不正調査委の調査の進め方についても第三者的に解明がなされれば、この点は大きな焦点となってくることでしょう。
 
 その契機とするためにも、小保方氏は、「若山研での実験の実態を示す証拠をまとめた証拠」が、今も手元にあるのであれば、公開すべきだと思います。
 
 もちろん、この小保方氏やシーケンサー担当共著者の弁明の機会を奪った行為だけが問題ではありません。
 そもそも、被調査者が調査者として扱われ、何らの研究室封鎖、試料保存等の措置がとられず、勝手に試料を理研から持って行ったことは実質的になんら咎めはなく、後で形だけ整えて良しとされ、その主張が裏付けを取られることなしに所与のものとして扱われ、しかもそれが、マウスの系統等のもっとも根幹となる部分だったこと。そして、STAP研究の主導の基本的構図を、事実に反する形で誤った認定に立っていること(若山研のSTAP関連幹細胞研究への一斉のテコ入れ、特許出願と取り分の具体的提示などの物証があるにも拘わらず、ということです)。…等々、ともかく、不正調査の構図の根幹を揺るがすようなことが、基本的大問題だということです。
 すなわち、理研自体が組織として、不正調査を公正に行うべき義務を果たしていなかったということであり、しばしば不祥事で「会社ぐるみ」と言われるような構図です。後にそれを主導した幹部らは、背任的責任を問われることになるでしょう。
 それが、もっとも尖鋭的に表れるのは、例の特許出願の放棄についてです。以前、以下の記事を書きました。


 今回の小保方氏の手記で明らかになったことは、幹細胞研究の部分は、若山研が全面的に主導していたということです。そして、その成果を理研独自で特許出願し、若山氏が51%をとろうとしたという事実です。そしてそれが、どういう経過をたどったのかはわかりませんが、結果として、一本の出願に統合されたということです。
 あれだけ、若山研が総力を挙げて、幹細胞研究の分担をし、誰もが、STAP細胞からSTAP幹細胞を作っていた模様であり、若山氏も特許室に、「若山研のラボメンバーは、スフィアの作製も細胞株化もまあまあできる」「いつでも再現できる」とまで伝え、学生の一人は論文投稿までしているという状況をみると、STAP細胞はもちろんですが、少なくとも、STAP幹細胞については、存在したと考えるのが自然でしょう。
 もちろん、かつての若山氏のSTAP幹細胞を作る際のES細胞との顕著な差異、小保方氏が、手記のp207~208で主張するような、STAP細胞ES細胞ではあり得ない理由などもあります。

 若山氏が山梨大に移ったとたんに、急に幹細胞ができなくなったというのは本当に不思議なのですが、いずれにしても、理研の若山研でのSTAP細胞の多能性確認や、幹細胞作製についての研究成果が特許出願に盛り込まれているということでしょうから、もし、今後、これが特許として認められた場合には、理研による放棄の是非を問われることになるでしょう。

 バカンティ氏の国防総省プロジェクトの結果発表の方が早いと思われますので、そこでまず、大きな転機が訪れるでしょう。その後、特許出願の動向が焦点となってくると思います。その時に、理研の放棄の判断とともに、その判断の前提となった不正調査がそもそも正しかったのか?という問題提起がなされることになるのは必至です。
 STAP細胞事件はまだまだ続くことでしょう。
 起承転結の「転」のひとつとして、小保方氏の手記があり、更に、NHKスペシャルの人権侵害認定があるでしょう。小保方氏側による手記の裏づけ材料の公表や、情報公開請求による材料の公開があれば、更に事態は混沌としてきます。そして、バカンティ氏の国防総省プロジェクトの結果発表によって、より本質的な点に焦点が移っていくことでしょう。 

 
※ なお、話はちょっと飛びますが、次世代シーケンサー解析担当のように、理研内の共著者というのは他にもいました。
 電子顕微鏡のライブイメージング撮影・録画を担当した、電子顕微鏡解析室の米村重信室長もその一人です。電子顕微鏡の撮影・録画を不正に操作したと言う人はさすがにいません。同氏は、単なる撮影技師ではないでしょうし、ES細胞の撮影については何百回、何千回と行っているでしょうから、STAP細胞の特異な形状、大きさ、発光までの時間等、ES細胞との相違については理解していると思われます。マクロファージの動き、死細胞の自家蛍光等、外部からの疑問視の声はありましたが、当事者である電子顕微鏡撮影担当の米村室長の考え方は、まったく外に出てきませんから実に不思議だと思っていましたが、小保方氏の手記によって、次世代シーケンサー担当の共著者と同様の立場に置かれていたのだろうと想像できます。