理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

再論:早稲田大の小保方論文調査委の詳細な調査認定ぶりと優れたバランス感覚

小保方氏に早稲田大での学位論文の扱いについて、その「条件付き取消」の時期が近づくにつれて、また議論がなされてくるかと思います。
 
 本件については、以前、このブログ記事で書きました。
 
◎「意外にも小保方氏の実質的潔白証明となった早大学位論文調査報告書―理研調査委とは異なり実証の積み重ね」
 
◎「小保方氏の早稲田大・博士号の学位維持はほぼ確実に―早稲田大の冷静な事実認定による対応は高く評価されるべき」
 
 早大の調査委の報告書の趣旨を私のほうでまとめると、次のようなことです。


「中身は、ティッシュ誌もクリアした立派な研究内容が基になっていて、研究・実験の裏付けもあることは確認しており、公聴会で学位授与の実質的審査がなされるところ、そこでの提出論文には形式的記載ぶりに若干の修正指導があったが、実質的部分については草稿段階から然るべく修正がなされており、それに即したパワーポイントによる発表により、学位授与に問題ない旨の実質的判断がなされた。しかし、学位授与を最終決定する審査委では、それらの修正指導が反映されたものが提出されたものと誰もが思い込み、学位授与が決定されてしまった。しかし実際には、小保方氏は、よりによって初期の草稿を製本化してこれを博士論文として提出してしまっていた。これに、小保方氏側、審査側双方とも気が付かないという信じられないミスによって、形の上では、草稿段階のものが博士論文となってしまい、ここまでの大問題となってしまった。」
 
 早大の調査委は、このような事実認定に立って、この草稿段階のものを「本件博士論文」として検討し、それが「学位授与に到底値しない」「小保方氏が博士学位を授与されるべき人物に値しない」としています。
 他方で、上記の事実認定に至る検討結果を「補足」の形で述べ、


「小保方氏としては、Tissue誌論文の内容を踏まえ、かつ論文審査員の指導に従い、博士論文を作成さえしていれば、本件博士論文審査には容易に合格できた蓋然性が高い。」

として、製本・提出時のミスがなければ、公聴会で認められた通り、学位は問題なく授与されたであろう、ということを述べています。
 
 こういう認識と構図に立った報告書であることが、極めてわかりにくく、「本件博士論文」(=間違って提出した草稿段階のもの)についての批判が前面に出ているため、本報告書をめぐる議論が錯綜してしまった、という面が多分にあります。「小保方氏主張論文」(=最終的に提出されるはずだった本来の論文)の妥当性の検討が実際にはこの調査委の検討の中核なのですが、それが見えにくくなってしまっていました。
 
 それで、その後の経過は周知の通りで、調査委としては、いったん授与された以上は、取消ができる規定がなく、学位取り消しはできないと結論づけたのに対して、その後、早大当局は「条件付き取消」とし、然るべく指導を受けて、本来の通りに修正がなされれば学位は取り消さないという決定をしたわけです。
 
●これらの調査委の結論や早大当局の決定の是非について、それぞれ議論があるわけですが、いろいろな例を思い浮かべると、なかなか悩ましいところです。
 
 一番卑近な例では、学校の試験でしょう。受験で、答えは100点でも名前や受験番号を書き忘れていたらアウトだ、という例です。あるいは、受験で合格しても、期限までに入学金を納付するのを忘れたら、入学は認められないという例・・・。それらは、わが身に置き換えても、抗弁できないもっともなことですが、他方で、同様にわが身に置き換えてみて、次のような事例を考えるとどうなんでしょう・・・。

【事例】 
大学で卒論指導をゼミの教官から受けていて、OKもらってめでたく卒業して(「学士」となって)、立派に就職してバリバリやっていたら、実は自分が最終的に提出していたものが草稿段階のもので、それが教官にも気付かれないまま受理されていたことが判明した。それに気づいた大学側からは、卒業を取り消すと通告され、せっかく就職した会社も辞めざるを得なくなってしまった。婚約していた女性とも別れざるを得なくなってしまった・・・。
 
これが自分のことだと思うと、そんな殺生な!と感じることでしょう。自分の大チョンボで草稿のものを最終稿と間違えて提出してしまったことは確かだが、教官の指導もみっちり受けて、仕上がって発表した内容も問題ないと認められて実質OKが出ていたのは間違いのない事だし、大学側も正式に受理していたわけで、手続き的ミスによって本来の卒業論文を出していなかったからといって、卒業自体を取り消すというのは、あまりにバランスを失しているではないか! 大学側だってチェックを怠っていたではないか!と思うのではないでしょうか。正規の卒論と差し替えるから、卒業はそのまま認めてほしい、いや認めるべきだ、と思うことでしょう。他人が見ても、それで卒業を取り消すのはいくらなんでもやり過ぎだと感じると思います。
 
小保方氏の学位論文についての構図も、基本的にはこれと同じだと思いますし、早大の調査委や当局の判断も、そういうバランス感に立ったものだったのではないかと感じます。
大学を卒業するということは、「学士」しての資格を得るということですから、大学院で学位論文の審査を経て得る「博士」と、何ら位置づけに変わるところはありません。
早大の判断の根底にあるのは、
 
①実質は担保されているのが明確なのに、形式ミスの事後的判明によって、遡ってすべてを否定してしまうことの是非
②いったん確定した地位に基づいて、社会的関係が形成されているものを、形式ミスの判明によって、それらの社会的関係を崩壊させてしまうことの是非
教育機関として、形式ミスの是正の機会を与えずに、実質に問題がないのにすべて否定してしまうことの是非
 
 についての総合的判断であり、規程の適正な適用の在り方と、諸々の利害得失についての十分検討した上での適切な結論だったと思います。しばしば、事実関係を読み込まないままに早大を批判して、「法律的理屈をこねて、世間の常識に反することをした」というような議論がありますが、上記のような卒論取消の事例をわが身のこととして考えてみれば、至って常識的な結論だったということが感じられると思います。
 
 
●法律の世界でも、よく「瑕疵の治癒」とか「違法行為の転換」といったような、事後的に問題が解消されたら、取り消すまでもない、という事例があります。
 分かりやすく書いてある次のサイトから引用します。
 
◎ 瑕疵の治癒と違法行為の転換について 
行政行為に瑕疵があるにもかかわらず、その効力を維持しようとする技術である点では共通します。しかし、瑕疵の治癒とは、行政行為がなされたあと、欠けていた要件の追完がなされ、その結果、まさに瑕疵がなくなった場合をいいます。すなわち、行政行為に違法なところがあるが、その後の事情のちゆ変化によって欠けていた適法要件が実質的に充足され、処分をあえて取り消すには値しないと考えられる場合には、違法の瑕疵はもはや治癒されたとして、その行政行為を適法と扱うことをいいます。たとえば、瑕疵ある招集手続によって会議を開いたが、たまたま構成員全員が出席して異議なく議事に参加して議決がなされた場合や、農地買収計画の縦覧期間が1日短かったが、その間に関係者全員が計画の縦覧をすませていたという場合がこれにあたります。判例は、農地買収計画につき、決定・裁決を経ないで手続を進行させたが、事後に決定・裁決があった場合には、買収処分の瑕疵は治療されるとします。これに対し、違法行為の転換とは、ある行政行為が法令の要件を充足していないにもかかわらず、別の行政行為としてみるとこれを充足しているような場合には、その別の行為であるとしてその効力を維持しようとすることをいいます。たとえば、死者を名宛人として農地買収処分がなされ、買収令書をその相続人に手渡した場合に、その相続人を名宛人として処分がなされたものとみなした事例や、農地買収計画で、当初適用された根拠条文では違法であるが、他の根拠条文によれば適法になるとされた事例が挙げられます。」
 
 これは行政行為の話ですが、やはり、いったん確定したことについては、実質が担保されているのであれば、形式的違法があってもそれが事後的に是正されれば、あえて取り消して全チャラにすることはない、というバランス感に立ったもので、上記の卒論、学位論文の扱いの場合と、根底の発想は共通していると思います。
 
●その他、裁判の世界でも、いったん確定した判決に明らかなミスがあったとしても、それを是正するには、控訴が必要といった話もあります。
検索サイトで、「判決+ミス」で検索してみると、いろいろ出てきます。
 
明らかな誤記であれば、更正決定で訂正ができるようですが、例えば次のような場合には、裁判官の勘違いだと誰もが分かっていても、それを修正するためには、控訴が必要だそうです。
 
・刑期を間違えて言い渡してしまった場合
・判決文を間違えて読み上げてしまった場合
・執行猶予を付けることができない犯罪なのに、付けてしまった場合 等
 
「法律上は判決文と判決公判で読み上げた判決では、読み上げた方を正当と扱う」のだそうで、それは、「控訴上告の正当な理由になりますし、訂正の判決(上告審判決の場合)を求めるとの理由にもなります。」とのことです。
 
 こういう司法的感覚からすれば、「いったん授与してしまった学位については、それが欠陥があるとわかっていても、取り消すには然るべき手続きが必要であるはずであるが、早大の規程には、手続きミス、過失によって与えられた学位を取り消す根拠規程がない。だから、学位取り消しはできない。こういうことになるから、慎重にも慎重に手続きを踏むべきであった」という考え方になるでしょうから、その考え方に立ったのが、小林英明弁護士を委員長とする調査委だったということでしょう。
 しかし、社会の非難にさらされて、早大当局は、提出間違いを「基本的注意義務違反」と捉えて、学位取り消しの理由になる「不正の方法による学位授与」に該当するとして、取り消すとした上で、指導と訂正がなされれば維持するという、条件付き取消としました。
 早大当局の判断は、「基本的注意義務違反」(=過失)であると認定しながら、「不正」(=故意)に該当するという論理矛盾をはらんでおり、対世間対策の要素のある苦渋の内容ですが、結論的には、調査委の判断と実質はあまり変わりないものとなっています。
 
 以上のことは、あくまで、実質的に審査された学位論文は、ティッシュ誌にも認められた優れた意義のある内容のもので、ハーバードでの実験ノート、関係者の証言等からして、実験・研究が実在しているもので、問題ないという事実認定を前提とするものです。学位を条件付きで取り消すとした早大当局も、その点は何ら異なる立場、認定に立っているものではありません。
 「小保方氏は捏造やコピペするような奴だから、学位など剥奪して当然だ!」という議論は、事実関係を踏まえない単純な感情論ですし、「テッシュ誌掲載論文には疑問がある」ということであれば、それはまた別途の論点です。別途の論点は、必要があるのであれば、別個の手続きにおいて検討がなされるのが筋でしょう。
 
 改めて、早稲田大調査委の詳細な実証と、諸要素の慎重な比較衡量、法治的判断には敬意を表したくなります。論点を抽出し、それを一件一件仔細に検討していく、というこのやり方が本来の「調査」であり、理研2回に亘る不正調査委や改革委提言のような、論点の抽出設定も不十分で、思い込みに立った断罪に終始するものとは対極にあります。