理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

【余談】須田記者の『捏造の科学者』をめぐる動き2つ

少し余談ですが、毎日新聞の須田記者の『捏造の科学者』が、話題となっているようです。ひとつが、出版界での波紋、もうひとつが、「小保方博士の不正な報道を追及する有志の会」での出版差止めの動きです。
 
1 出版界での波紋
 
 『選択』という月刊誌がありますが、5月号の記事の中で(P99)、最近、記者が書いたものを他社の媒体に寄稿することを制限しようとする動きが一部にある、と書かれていました。そのきっかけとなったのが、須田記者の著書なのだそうです。
 
毎日新聞では41日に毎日新聞出版が分社化されたのに合わせて、全記者に「総務部名で他社からの書籍出版を制限するかのような通達がされた」(毎日関係者)。それによると、毎日に記者が本を出版する際には、毎日新聞出版が優先交渉権を持つとしている。分社化してスタートした新会社を応援する意味もあるが、「もう一つの理由がある」(同)。今年文藝春秋から発売され、先日大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『捏造の科学者』。・・・毎日社内には、「売れる本を他社から出しやがってという怨嗟の声が渦巻いている」(別の毎日関係者)というが、やっかみがほとんどだろう。(以下略)」
 
 記事では、この後に、文藝春秋5月号に、共同通信編集委員による神戸連続児童殺傷事件の家裁判決全文の記事が掲載され、地裁から抗議を受けて幹部が萎縮し、社外執筆を絞めつけようという動きもあるとし、「メディアが多様な言論を制限するのは自殺行為だ。」と結んでいます。
 しかし、この神戸家裁の判決文掲載の話と、須田記者の文藝春秋からの出版の話とは、問題の所在がかなり異なる話で、須田記者の著書に関する話を、多様な言論の制限云々と一括りにするのは少々乱暴です。
 
 確かにそう言われてみれば、須田記者の著書は、文藝春秋社からの出版なので、あれ?とは思いましたが、それ以上、特に気に留めませんでした。しかし、こういう記事を読んだ上でつらつら考えてみると、毎日新聞としての取材活動を通じての記録の塊りのような内容ですから、毎日新聞社から出すのが筋のような気がします。
 
 科学技術研究の上での「職務発明」と似たような用語として「職務著作」というものが、著作権法上あります。
 
《職務著作の要件》
 ①法人等の発意に基づき創作された著作物であること
 ②その法人等の業務に従事する者が創作した著作物であること
 ③その法人等の職務上創作した著作物であること
 ④その法人等の著作名義で公表された著作物であること
 ⑤その法人等内部の契約や就業規則等に別段の規定がないこと 
 
これは、「職務発明」の話と言葉は似ていますが、内実は違っていて、法人名義で出された著作物の著作権者は、法人なのか、執筆した社員なのか、ということを法的に明確にするための規定です。法改正前の「職務発明」の連想で考えると、「社員が職務上執筆した著作物の著作権は、社員に帰属するが、会社が承継することができる」ということかな?と思うのですが、そういうことではなさそうです。
 
それで、上記の要件に照らしてみると、須田氏の著書の場合は、毎日新聞社の発意(指示、企画)に基づくものではないことや、毎日新聞社の名義で公表されたものではないことから、「職務著作」の要件を満たさないということなのでしょう。
しかし、どうも釈然としないことは確かです。須田氏の著書の内容は、ほとんどすべて、毎日新聞記者として取材をし、その取材内容の少なからぬ部分を毎日新聞紙上に掲載してきています。他の記者の取材によって得られた話もともに盛り込んでいます。それを出版社としては競合する他社から出すというのは、毎日新聞社としては割り切れないところでしょう。
 
 しばしば、いろいろなシンクタンク、研究所の人々が、自分の名前で書籍を出したり、雑誌に執筆したりしていますが、その場合には、別にそれらのシンクタンクや研究所が出版社であるわけではないので、どこから出そうと、(職務時間中に書いたりしたものでない限り)自由なわけです。
 ところが、毎日新聞社は立派な出版部門を持っています。例えば、Amazonで「毎日新聞」で検索してみると、ずらずらと出てきます。バルサルタンの疑惑の取材も、毎日新聞社から出ています。
 
『偽りの薬 バルサルタン臨床試験疑惑を追う』 単行本  2014/11/27
毎日新聞科学環境部 河内 敏康 (),    毎日新聞科学環境部 八田 浩輔 ()
 
 須田氏の著書の内容では、同僚記者とともに取材分担して取材したものも少なからず含まれていますから、毎日新聞社としては、バルサルタンの例と同じような形で出したかったのではないでしょうか。文藝春秋から出したということには、何か事情があったのでしょうか・・・??
 このように、STAP問題とは別の次元で、妙な余波があったようです。
 

2 「小保方博士の不正な報道を追及する有志の会」による出版差止めの動き
 
また、「小保方博士の不正な報道を追及する有志の会」が、その活動内容の中で、出版差し止めを一つの項目に上げているそうです。
 
バイアスのかかった偏向報道を糺すという会の目的自体には何らの異議もなく、実際に行動に移されることには敬意を表するものですが、ただ、出版差止めについてはかなり違和感があり、あまり妥当ではないと思っています。
出版差止めは、取り返しがつかないような名誉毀損やプライバシーの侵害等の余程の緊急性があって、他の手段では阻止できないような場合、というのが一般的に認められる事例だと思います。
最近では、田中真紀子氏の長女による週刊文春やしきたかじん夫人による宝島社の書籍の差止めの仮処分申立ての例がありました。
いずれも、当事者による申立てであり、直接関係のない第三者による申立てというのは考えにくいのではないでしょうか。
 
会による差止めの理由は、笹井氏への取材に対する回答のメールを掲載していることによる「私信の公開」ということでしょうか・・・? もしそれを理由にするのであれば、ありうるとすれば、遺族である笹井氏夫人によるものかと思いますが、そういう動きがあるわけでもありません。同会のブログの中では、文藝春秋5月号の宮部みゆき氏との対談の中で、小保方氏宛ての遺書の内容を須田氏が見て、「鳥肌が立って、絶対に本に書こうと決めていたんです。」(P155)との発言を捉えて、文藝春秋編集部宛てに抗議文を発出しています。

一瞬、遺書が掲載されていたのだろうか・・・?!と思って、須田氏の著書を改めてめくってみると、そういうわけではなく、新聞報道で報道されていた「関係者」による若干の内容のみでした(P346-349)。これは、毎日新聞に限らず、他紙も同様に報じている内容(「疲れた」「必ず成功させてほしい」)で、それを勝手に明らかにした「関係者」が指弾されるべきだと思いますが、その関係者の若干のリーク内容に触れただけでは、責任を問うのは難しいような気がします。遺族宛ての遺書内容の趣旨については、弁護人が明らかにしているという事情もあります。

※ ただ、「遺書にストーリー性をつけて読者に「小保方晴子氏」が「笹井芳樹博士の自殺に原因がある」とイメージ誘導する内容であります。」との同会の批判は当たっていると思います。須田記者は、「あまりに多くの矛盾が噴出し、STAP現象を信じ続けることができなくなったことこそが、笹井氏を苦しめた最大の要因ではないか――と推測していた。でも、それでは遺言の説明がつかない。」と書き、ある研究者の談として、「足かせを一生かけたとしか思えません。はいたら踊り続けなければならない「赤い靴」ですね」と紹介するなど、あたかも、笹井氏が自分を騙した小保方氏への恨み、復讐の遺言を残したかのようなイメージ誘導をしている印象は、明らかに受けます)。
いずれにしても、そうすると遺書の話ではなく、一連のメールのやり取りの公開についての話でしょうか・・・。
 
形式だけでみると、笹井氏による電子メールは、笹井氏の著作物ではあります。その著作権経済的利益の保護(狭義の著作権)と人格上の権利保護(著作者人格権)の二つの利益を著作権者に与えますが、後者の人格上の権利には、「公表権」(=公開の有無,時期、方式等を決める権利)がそのひとつとしてあります。狭義の著作権は、笹井氏の遺族が相続しています。また、著作者人格権は、一身専属で相続の対象になるものではありませんが、死後の人格権保護のための遺族による措置は認められています(著作権法116条))。
 したがって、著作権者である遺族が、何らかの措置を求めるというのであれば、まだあり得るのかもしれませんが、第三者では求めようがありません。
 
 しかし、仮に遺族側からそういう申立てがあったとしても、その差止めは妥当とはいいがたいと思います。それは、次の理由によります。
 
(1)収録されている笹井氏のメールは、須田記者からの取材に対する回答であり、それは、相手が新聞記者であることから、公開される可能性を暗黙裏に笹井氏は認めていたと考えられること。
(2)著作権が形の上では笹井氏の遺族にあるとはいっても、もし、取材先の談話等を著作権を理由に公開を拒否するならば、マスコミの活動は成り立たなくなること。また、著書の記述の文脈にしたがって、それに即した笹井氏の回答メールが引用であることが明確にわかる形で記載されており、著作権法上の問題は生じないと考えられること。
(3)内容的にも、STAP細胞問題に関する科学的論点についての笹井氏の見方を示すものが多く、問題を解明するという公益上からも貴重であること。
(4)出版差止めは、表現・出版の自由が認められている中で、それを制限してまでも、取り返しが付かないような人格的利益の侵害の切迫したおそれがあり、他の手段では救済できないような場合についてのみ認められるべきであるところ、須田氏の著書ではそのような事情にはないこと(既に数十万部発行されており、その内容は周知のものになっていること)。何か問題があれば、損害賠償請求、訂正謝罪請求で対応されるべきこと(実際、田中真紀子の長女の差止めも、いったんは差止めが認められましたが、すぐに覆されています)。
 
 私も、須田氏の著書は、既に書評として書いた通り、
科学ジャーナリズムとしては適切とは思えないですし、それぞれの関係者が述べていることの前後左右の整合性や科学的論点について問題意識を持って探求するわけでもなく,それぞれの箇所で右から左に紹介しているということで、評価できないと思います。
 しかし他方で、笹井氏、丹羽氏、若山氏のコメントを逐語的に(下手に要約することなく)詳しく、かつ多数、各時期ごとのものを収録してくれているために、様々な貴重な検討材料を提供してくれていることも事実です。なかなか、ああいう直接の当事者の生のメール、インタビュー回答をそのまま逐語的に示すような記事は珍しいと思います。
結果として、その著書の趣旨に反して、STAP捏造説(ES細胞説)を否定する材料、改革委等の恣意性等を示す材料が少なからず示されているというのは、皮肉ではありますが、そういう意味で、あの須田氏の『捏造の科学者』の存在意義は実に大きなものがあると、感じています。日経サイエンスの記事では決して得られない材料ばかりです。
 
そういうわけで、会の活動に少し水を差すようなことで申し訳ないのですが、上記の趣旨をくみ取っていただければ幸いです。