理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問

小保方論文の「改竄」「捏造」認定の不合理さ、バッシングの理不尽さ

桂調査委の「ES細胞混入仮説」は、「その真実性を疑いの念無く述べることができない。」

それにしても、STAP細胞をめぐる科学的論議が深まらないのは不思議な限りです。「遺伝子の特徴の99.~~~~%の一致により、ES細胞だ」と「権威ある不正調査委員会の調査」により断定されたら、それで多くは思考停止状態に見えます。
  前にも書きましたが、「STAP細胞仮説」は、その証明ができておらず、再現実験も不調に終わったことから、その仮説は、科学的真実とは現時点では言えないのはその通りですが、しかし、桂調査委員会は、遺伝子解析を中心とした諸々の材料を以て、あれはES細胞混入だと、「ほぼ断定できる」と結論づけたのですから、その「ES細胞混入仮説」が科学的真実だとするためには、あらゆる反証材料に対して矛盾なく説明できなくてはならないはずです。

しかし、現時点で、ES細胞では説明できない材料が笹井氏、丹羽氏から提示されており、若山氏の2月の発言においてもES細胞とは異なる旨の発言があるわけで、それについて何ら答えようとしないというのでは、桂委員会が主張する「ES細胞混入仮説」は、「その真実性を疑いの念無く述べることができない。」状態かと思います。
どうもよくわからないのは、「ES細胞混入仮説」は、「STAP細胞仮説」とは別途の仮説であり主張であるとの認識が共有されないために、議論が混迷してしまっているように感じます。笹井氏が述べたように、「ES細胞混入」というのは、「STAP細胞仮説」への反証仮説なのですから、仮説を補強するために、矛盾する材料を説明しなければなりません。
ところが、「ES細胞混入仮説」を批判すると、「じゃあ、STAP細胞があると証明してみよ」とか、「理研や調査委に言うのが筋だろう」とか、あげくは、「権威ある委員会が出した公式の結論を(根拠なく?)批判するのは名誉毀損だ」とか、あるいは「小保方氏が異議申立てをしなかったのだから、ES細胞であることは小保方氏も認めたということだから、他人がとやかく言う必要はないんだ」とか、なんでそういう話になってしまうのかよくわかりません。
ES細胞混入仮説に疑問を呈する議論は、外野はするな!」といっているように聞こえます。
 
小保方氏が不正調査委報告書に異議を申し立てなかったのは、小保方氏による「捏造」とされた認定部分の話です。不正調査ですから、小保方氏対する不正認定箇所しか、異議申立てをする筋合いにありません。それ以外のES細胞混入云々の分析については、理研側が異議申立ての有無を小保方氏に確認する筋合いではありませんし、小保方氏も異議申立てをする立場に手続き上ありません。報告書で「ES細胞混入が誰によってなされたのか?」が不明としている以上、なおさらです。それをあたかも、小保方氏が、「ES細胞混入」との報告書全体の結論を認めたかのような喧伝し、第三者が議論することは余計なお世話だと言わんばかりに封じようとすることは、不公正というものです。

「(権威ある委員会によるES細胞混入との結論に異議を唱えるのであれば)理研なり調査委に言うべき」とか、「場外で批判するのは名誉毀損だ」といった議論については、典型的なダブルスタンダードでしょう。そういうことであれば、小保方氏を批判しバッシングしていたときに、理研なり小保方氏なり、笹井氏、丹羽氏なりにいちいち問い合わせていたか?ということです。みんな小保方氏を真っ黒の捏造犯扱いにし、あげくに、地位と名誉が欲しかったのだろうとか(石川氏の刑事告発書に書いてあるのですから驚きです)、笹井氏と個人的に親密な関係にあったのではないかとか、好き勝手にあちこち書きまくっていました。そういう事態に対して、同じように批判したでしょうか? そういう科学とは無縁の小保方バッシングには何もいわずに、桂調査委による「ES細胞混入説」の矛盾を指摘し科学的議論をしようとするだけで、なんで上記のような非科学的反応になってしまうのか、全く理解不能です。
 
事は単純な話で、ES細胞混入では説明がつかないとされている点である、以下のような諸点を、わかりやすく整合がとれるように説明すれば済む話です。何も感情的に議論を排除するような話ではありません。いずれも、理研の公式記者会見やマスコミのインタビュー等で述べられているものです。それなのに、STAP細胞否定派や小保方氏批判派は、こういう点には決して触れようとしないのはなぜでしょうか?
 
  1. 笹井氏の主張=ES細胞とSTAP細胞とでは、大きさ、形状、増殖速度が異なるので、見ればすぐにわかるし、実際、電子顕微鏡の映像では異なっていたこととの関係
    「10以上の視野を同時に観察でき、人為的なデータ操作は実質上不可能ライブ・セル・イメージング(顕微鏡ムービー)で自動的に撮影した映像では、Oct4GFP を発現しない分散したリンパ球からOct4-GFPを発現するSTAP細胞特有の細胞塊が形成」
     「二つ目は特徴のある細胞性質です。STAP細胞は非常に小さな細胞でありまして、リンパ球、幼弱なリンパ球やES細胞などは一般に小さな細胞と考えられますが、そのさらに半分程度の直径の小さな特殊な細胞です。これは電子顕微鏡写真を左にもつけておりますが、ES細胞と比べてもさらに小さな、核も小さく細胞質もほとんどない、特殊な細胞であることがわかります。また遺伝子発現のパターンの詳細解析、これの場合もSTAP細胞はES細胞や他の幹細胞とは一致しないパターンを示します。共通の部分もありますが、共通でない部分も統計的に明らかに出ておりまして、そうしたものを考えますと、ES細胞やほかの細胞の混入で説明ができないパターンとなっています。
      三つ目には、ES細胞は非常に増殖能が高く、分散培養すなわちばらばらにして一個一個の細胞から培養することが可能でありますが、STAP細胞は増殖力が低く、分散してしまいますと死んで増えません。ですから、もしもそういったものを混ぜていればES細胞のような増え方をするはずでございます。」
     
  2. ES細胞などでは、細胞の塊を酵素処理し、ばらばらにして使うのが普通だが、その手法ではSTAP細胞はさっぱり胎児にならない。失敗続きだったので手法を変えた。細胞の大きな塊を単細胞にばらさず、2030個程度の小さな塊にして注入する方法にしたら成功した」との若山氏の昨年2月証言との関係。
     
  3. 「「STAP細胞」として渡された細胞群は、「そのままでは弱く、桑実胚と違ってすぐに死んでしまう」と若山氏は日経サイエンスのインタビューで答えていて、そういう培養困難なSTAP細胞から、培養可能なSTAP幹細胞を作り出すことに成功したとの、若山氏の発言との関係。
     
  4. 若山氏が自ら(と院生一人)、マウスから一から始めて、STAP細胞~STAP幹細胞の作成に成功した旨、昨年2月に述べていることとの関係。
     
  5. FI幹細胞の培地でES細胞を混ぜたら、形態変化することなく、4~5回の継代後に全壊した」との丹羽氏の指摘との関係。
     
  6. 胎盤実質細胞で発現するマーカーともキョーセンショクを以って、確かにSTAP細胞由来と思われるGFP陽性細胞が胎盤組織にインテグレートしていることを、切片を顕微鏡で自分の目で確認している」との丹羽氏の発言との関係。なぜ、桂調査委は、調べるべきとさんざん言われていた残存ホルマリン漬けマウスはおろか、切片すらも確認せずに断定したのか? それについてなぜ疑問を呈しないのか?
     
  7. 「混入ではなくすり替えでシャーレごと交換している場合増殖の制御は不可能ではありません・・・しかしES細胞は通常シャーレに接着し浮遊細胞塊とはなりませんのでやはり見た目で区別がつきます。」との遠藤氏の指摘との関係。
     
  8. 笹井芳樹副センター長らは、目の前で弱酸性溶液に浸された細胞が、時間がたってから光り始めることを確認している(「動画」に記録されている)。多能性があると光る仕掛けなのだから、ES細胞だったら最初から光っているはずだ(ES細胞は最初から多能性を持っている)。光り始めるまで時間がかかったということは、弱酸性の溶液に浸したために多能性を獲得した、と考えるのが理にかなっている。」との竹内薫氏の指摘との関係。
     
    こういった諸点について、「ES細胞混入仮説」と矛盾が生じないような合理的説明をしてもらえれば、誰しも納得することでしょう。それを頑なに回避し、一切無視しようとするから、議論が混迷し、収束しないのだと思います。
     
     それと、これも関係がよくわかりませんが、今回、「ES細胞混入」との桂調査委の結論で、小保方氏批判派は納得してしまっていますが、例の、ES細胞とTS細胞の混入だとか、自家蛍光を見間違えたのだろうとかの説に対しては、どういうスタンスなのでしょうか?
     遠藤氏は、「ES混入」ではすぐわかるから無理で、「ESにすり替えて、TSを入れたのが小保方氏のレシピだ」と言っているようですが、これを肯定するのか否定するのかどちらなのでしょう? 桂調査委のES細胞混入説は、TS細胞混入を否定しています(胎盤は光っていないとしているのですから)。調査委が「胎盤は光っていない」というのであれば、「胎盤に寄与したのはTS細胞だ」との主張や、「TS細胞の特色あり」との遺伝子解析との関係はどうなるのでしょうか?
    また、TS細胞も混じっているとの立場であれば、「ES細胞とTS細胞とは混合して一つの細胞塊にはならず、分離してしまう」との、丹羽氏、笹井氏の指摘との関係はどう考えるのでしょうか?
     
    それと、笹井氏は、「GFPは死細胞の自家蛍光とは別(FACSでも確認)」と述べていますが、あれがES細胞だったのであれば、死細胞の自家蛍光の誤認云々の話はどうなってしまうのでしょうか? ES細胞だったら、最初から光っているはずですし、誰もがよく見慣れている発光画像がライブイメージングに映し出されたはずではないのでしょうか? 今となっては、死細胞だったとのスタンスは放棄したということでしょうか?
     また、仮にそれでも死細胞の発光だということだとのスタンスだとすれば、笹井氏は、FACSで死細胞の発光ではないことを確認したとしていますが、それとの関係はどういう説明になるのでしょうか?
     
     メインの桂調査委による遺伝子解析の結果については、様々な専門的議論があるようですが、私の文系的頭では難解なので、ここでは触れません。
     
     須田記者も、せっかく書籍をまとめるのであれば、こういう疑問もぶつけて取材するのが、「科学ジャーナリズム」ではないかと思いますが、そうは残念ながらなっていません。
     
     なんか、邪馬台国論議で、大和説、北部九州説が伯仲するなかで、「じゃあ、
    倭人たちは、大魚や水禽を避けるために入れ墨をし、水に潜って魚や蛤を捕って生活していた。」
    という魏志倭人伝の記述との関係はどう説明するのですか?」と問いには、それぞれの論者とも(特に大和説の論者)、一切答えないのと同じような構図に見えます。
    「死細胞の発光と見間違えたのだろう」という議論などは、「方角や距離の記載を間違えたのだろう」という邪馬台国論議での典型的な主張を彷彿とさせます。
     
    遺伝子解析内容の是非、解釈だけでなく、上記の諸点も含めて科学的議論をしていただきたいと願っています。